詩人「一匹」長田弘氏、死去

詩人、長田弘氏の訃報をきく。
2011220日に、四日市の子どもの本専門店『メリーゴーランド』でお話をお聞きしたときは、あれほどお元気だったのに。
そのときの長田さんのお話の中に、こんな言葉があった。
 
本は、読んだ人の作るもの。
伝えられたことを
受け止めた人が書きとめてゆくもの。
「受」です。いまの人たちは、「受」を忘れてしまってはいませんか。
歌も同じです。
エルヴィス・プレスリーは歌とは「送り手への返送」と言っていました。
 
「子どもの本」に僕が誘われた秘密はここにあります。
子どもの本では、どんなものでもしゃべります。人も動物もものも区別なく話します。
大人の本ではそれはない。大人の本でしゃべるのは、「自分と他人」だけだから。
 
 
敏感な受け手として、長い歴史の中に生き、死んでいった人々の言葉を聴き続け、生命や自然の言葉を聴き続け、「送り手への返送」として書き続けた詩人は、
故郷福島を襲った未曾有の大震災のあと、大病を患う。
それからしばらくして、やや痩せられたものの、くっきりと優しい口調そのままに語る姿をテレビで拝見して、ほっとした。つもりでいた。
けれども…
 
大学生のときに出会った
現代詩文庫版『長田弘詩集(思潮社)
物語エッセイ『ねこに未来はない(晶文社)
この二冊は、私の「文章」に対する価値観をすっかり変えてしまった。
 
両者の文体は、同じ人が書いたものとは思えないほど違うものだったけれど、どちらも
「自己表現」とも「叙情」ともまったくちがう、言葉だった。それは自我を突き放したクールで繊細な衣をまとった、けれども、世の中をまったく新しい言葉で見直し、書き直そうとしている「静かな力業」としての言葉だった。
出会ってすぐに、私にとって良い文章とは、「長田弘の書くもの」と確信した。
40年、一冊も欠かさず読み続け、なおその確信は変わらない。きっとこれからも…
 
詩人の言葉を読みながら、
ご冥福をお祈りします。
 
 


こんな静かな夜     
 
先刻まではいた。今はいない。
ひとの一生はただそれだけだと思う。
ここにいた。もうここにはいない。
死とはもうここにはいないということである。
あなたが誰だったか、わたしたちは
思いだそうともせず、あなたのことを
いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
悲しみは、忘れることができる。
あなたが誰だったにせよ、あなたが
生きたのは、ぎこちない人生だった。
わたしたちと同じだ。どう笑えばいいか、
どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、
いったい確実なものなど、あるのだろうか?
いつのときもあなたを苦しめていたのは、
何かが欠けているという意識だった。
わたしたちが社会とよんでいるものが、
もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、
みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。
わたしたちは、何をすべきか、でなく
何をなすべきでないか、考えるべきだ。
冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの
Conversations With Myself」を聴いている。
秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
ここにいた。もうここにはいない。
―詩集『死者の贈り物』みすず書房(2003)より
 
 
 
ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事になりました。―読むこと。聴くこと。そして、書くこと。物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるえをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまっとことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。
 
書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです。

―詩集『すべてきみに宛てた手紙(2001 晶文社)より

 
きみはねこの友だちですか? 
 
一ぴきのねこと
友だちになれたら
ちがってくる 何かが
もっと優しくなれるかもしれない
ねこは何もいわずに語る
はげしく愛して
ゆっくり眠る
きみはねこの友だちですか?
 
 
 胸のドアを開けなくちゃ
 ねこが きみの
 こころにはいれるように
 胸のドアを開けなくちゃ
 
 
一ぴきのねこと
友だちになれたら
ちがってくる 何かが
もっと自由になれるかもしれない
ねこは生きたいように生きる
ゆきたいところへ
すばやく走る
きみはねこの友だちですか?
 
 
 胸のドアを開けなくちゃ
 ねこが きみの
 こころにはいれるように
 胸のドアを開けなくちゃ
 
   ―エッセイ集『心の中にもっている問題(1990晶文社)より


 
 
詩人の長田弘さん死去
NHK NEWS WEB 510 1512
 
数多くの詩集を発表し、評論活動でも知られた詩人の長田弘さんが、今月3日、胆管がんのため東京都内の自宅で亡くなりました。75歳でした。
長田弘さんは福島市出身で、早稲田大学在学中に詩誌「鳥」を創刊し、昭和40年に詩集「われら新鮮な旅人」でデビューしました。
その後も、詩集「深呼吸の必要」や「記憶のつくり方」、それに「世界はうつくしいと」など次々に発表し、中でも代表作の1つ「奇跡―ミラクル―」は、日常の中にある輝くものの大切さを表現して、高い評価を受けました。
長田さんは評論活動でも知られ、NHKの解説番組「視点・論点」に出演した際のコメントの数々は、エッセー「なつかしい時間」として出版されました。
また、中東のイラクで戦争から本を守った図書館の実話を基にした絵本「バスラの図書館員」など、海外の30作以上の翻訳も手がけました。
先月には、「長田弘全詩集」が出版されたばかりでした。
関係者によりますと、長田さんは、4年前に胆管がんの手術を受けましたが、去年、再発し、今月3日、療養を続けていた東京・杉並区の自宅で亡くなったということです。
 
長田弘(おさだ ひろし ウィキペディアより)
 
福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。
1960年、詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1965年に詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。以来詩人として活躍する。代表作は児童向けの散文詩集『深呼吸の必要』であり、ロングセラーとなった。詩集の他には評論、エッセイなどの著書がある。1971 - 1972年までアイオワ大学国際創作プログラム客員詩人を務めた[1]NHKのオピニオン番組『視点・論点』にも出演した。読売新聞の「こどもの詩」の選者を、死去した川崎洋に代わって200412月から20155月まで務めた[2]
201553日、胆管癌のため死去[3]75歳没。
アメリカ文学者で早稲田大学教授の青山南は弟。
 
詩集


『われら新鮮な旅人 詩集』思潮社 1965、みすず書房 2011
『長田弘詩集』思潮社現代詩文庫 1968
『メランコリックな怪物』思潮社 1973、晶文社 1979
『言葉殺人事件』晶文社 1977
『食卓一期一会』晶文社 1987
『笑う詩人』 人文書院 1989
『世界は一冊の本』晶文社 1994、みすず書房 2010
『続・長田弘詩集』思潮社・現代詩文庫 1997
『黙されたことば 詩集』みすず書房 1997
『記憶のつくり方』晶文社 1998、朝日文庫 2012
『一日の終わりの詩集』みすず書房 2000
『長田弘詩集』ハルキ文庫 2003
『死者の贈り物 詩集』みすず書房 2003
『肩車 長田弘・いわさきちひろ詩画集』講談社 2004
『人はかつて樹だった 詩集』みすず書房 2006
『空と樹と』日高理恵子画 エクリ 2007
『幸いなるかな本を読む人 詩集』毎日新聞社 2008
『世界はうつくしいと』みすず書房 2009 
『詩ふたつ 花を持って、会いにゆく 人生は森のなかの一日』グスタフ・クリムト画 クレヨンハウス 2010
『豊かなことば現代日本の詩 10 はじめに… 長田弘詩集』伊藤英治編岩崎書店 2010
『ジャーニー = JOURNEY』渡邉良重絵 薗部悦子ジュエリーリトルモア 2012
『奇跡-ミラクル-』みすず書房 2013
『長田弘全詩集』みすず書房 2015



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コメント

コメント(4)
No title
長田弘さんの訃報は気づいておりませんでしたので驚きました。

私もまた、思潮社のアンソロジーを読みふけっていた学生時代、長田弘詩集は本棚に並んでいました。
現代詩手帖で、もっと過激で実験的な詩ばかり愛読していた私は、長田さんには物足りなさを感じつつも、どこか気になる方でありました。
そういえば詩集を読みふける感性は随分前に失ってしまっています…

gustav_xxx_2003

2015/05/13 URL 編集返信

No title
若い頃の長田さんは、詩も評論もそうとうにつっぱっていましたが、『言葉殺人事件』のころから「ぼくは言葉を節約して使う、ぼくは貧しい…」という意識からか、優しく静かな文体に変わってきました。私には彼の言葉がモーツァルトやブルックナーと同じような音楽にも感じられ、ずっと読み続けてきました。
「詩」とは、若い時代にこそふさわしい形式です。
私も近現代詩を読む習慣を、とうに無くしてしまいましたが、長田弘など、ほんの一握りの人のものは、今も大切なものになっています。新しいものを読むよりも、これまで出会ってきたものをもう一度読み返すときなのかもしれません。

yositaka

2015/05/14 URL 編集返信

No title
おはようございます。
長田弘さんの訃報に気づいて、心が動かされていました。長田さんの良い読者ではなかったのですが、以前に読んだ文章が心に引っかかっていました。

記事を読ませていただいて、図書館で本を探してみようと思いました。<新たな>読書体験にチャレンジです。ありがとうございました。

”音”故知新

2015/05/17 URL 編集返信

No title
”音”故知新さん、コメントありがとうございます。
大切に読んできた書き手の皆さんが次々逝かれるのは心が痛みます。
けれども長田さんは、こんなふうに書いています。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。



もう、
どこへもゆかないし、
どんな遠くへゆくこともない。

そう知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、
ほんとうは、この世に、

いちばん近い場所だということに。

話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。

私の書棚にずらりと並んだ長田さんの著作の列をみて、彼と本当に語らうのはこれからかもしれない、と思ったりしています。

yositaka

2015/05/17 URL 編集返信

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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