BOXの締めくくりは「大地の歌」で

DECCA《ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団エディション》をきく㉑
 
このシリーズ記事、ようやく最終回。
まさか最後まで到達するとは思わなかった。
BOXの内容を全部聞いてコメントするというのは、確かに難事だけれども、せっかく入手した盤を「つまみ聞き」に終わらせず、大切に聴くためにはいい方法かもしれない。
でも、棚には未聴のBOXが結構ある。
気力があればまた挑戦したいが…さすがにこれ全部は無理だろうなあ…

 
CD53
マーラー:大地の歌リュッケルトの詩による歌~
キャスリーン・フェリアー(A) ユリウス・パツァーク(T)
ブルーノ・ワルター(指揮[録音:1952年]



 
これをLP時代に初めて聞いたときは、正直、よくわからなかった。
マーラー晩年の「交響曲」と解説には書いてあるのに、ナンバリングはなく、
しかも全曲に独唱があり、楽章ごとの所要時間もまちまち。
これって、オーケストラ伴奏つきの連作歌曲じゃないか。
オーケストラが主役になるのは、最終楽章の葬送行進曲のような中間部だけ。
肝心の歌の内容も、厭世的気分が強く、どうもしっくりこない…

けれど何度も聴くうちに、なかなか心に染みる音楽と感じるようになってきた。
また、ライヴ演奏で聞くと、オーケストラ部分の音色が多彩で、音の花園のような魅力にあふれていることにも気付いた。
たしかに交響曲と呼んでも、不思議はない。

ブルーノ・ワルターの指揮は、歌だけでなく、オーケストラの細部までしっかりと意志を通わせていることがわかる。
とくに、常に歌の背後で鳴っているヴァイオリンは、一つ一つの擦弦や弓の返しの跳ね上げが見えるようだ。
朗々たるホルン、
ふっくらとしながらも芯のあるオーボエの響き、
ワルターらしさを刻印する地響きのように強靭なコントラバス、
リュート、チェレスタ、ハープの瞬き…どれもみんな、よく聞こえ、独唱と対等に音楽を主張していく。

ネコパパが特に好きなのは第4楽章「美について」と、第6楽章「告別」の、特に後半部分。
「美について」は主部と中間部の対比が面白く、中国の雅な絵画が目に浮かぶようだし、第6 楽章は人生との別れを前に、夕暮れの中にに沈んでいくような情感が、ひたすらに押し寄せる。

この両楽章で聴かれる、カスリーン・フェリアーの、まるで男性のような低く野太い声は、初めのうちは抵抗があるが、いったん聴き馴染んでしまうと、容易に耳から離れなくなる。
この曲を聴くときは、誰が歌っていても、エコーのように彼女の声が同時に響いてしまう。こんなことはめったにないことだ。良くも悪くも、この演奏は、私の耳には「曲と一体化した」歌唱になってしまったようである。

ユリウス・パツァークの歌も、フェリアーと同じくらい独特だ。
彼は誰もが想像するような「上手なテノール」の声でなく、鼻にかかった地声で、投げ捨てるように歌う。
オペレッタを本領とした彼らしく、この曲も「酔っ払いの若者の歌」と解釈しているのかもしれない。そう思って聴くと、これはこれで、味がある歌のような気もしてくる。

それにしても、戦後久々となるウィーン・フイルとの録音に、この二人の個性派ソリストを敢えて起用したワルターも、なかなかの曲者ではないだろうか。

余白に納められた「リュッケルト歌曲集」が、またすばらしい。
フェリアーの歌手としての真の実力は、むしろこちらのほうに、表れているかもしれない。ワルターの指揮ともども、民謡風の素朴さと耽美に満ちたマーラーの歌の世界にたっぷりと浸ることができる演奏だ。

ワルターは1960年、ウィーン・フィルとの告別演奏会でこの中の二曲を取り上げているが、フェリアーの歌は、あきらかにシュワルツコップよりも奥深さがあると思う。
わずか三曲しかないのは、とても惜しい。


 
CD54
マーラー:大地の歌
ジェームズ・キング(T) D・フィッシャー=ディースカウ(Br)
レナード・バーンスタイン(指揮[録音:1966年]




 
バーンスタインはマーラーを得意とする指揮者であったが、
「大地の歌」に関しては、ワルターの解釈に、多くを学んでいるのだろう。
1961年にニューヨークで行われたワルターのステレオ録音にも同席していたという。
この盤を聴いても、ウィーン・フィルの音の出し方、楽器の音のバランス、気合を入れたフレーズの奏で方に共通するものを感じる。
ワルターの録音から12年後だが、楽員たちはワルターの音をよく覚えていたのだろう。第4楽章のティンパニの柔らかい音の叩き方などを聴くと「ほんとに、そっくりだな」と思う。
違いは、バーンスタインのほうがテンポの動きがずっと激しく、曲想の変化がくっきりと描き分けられているところだ。
ワルターはマーラーの譜面のテンポ指定をかなり無視して、古典的な構成に近づけるのが常だったので、あるいはバーンスタインのほうが、より譜面に忠実なのかもしれない。
とにかくこの演奏、音楽が何の抵抗もなく心に入ってきて、痛快この上なし。曲のよさがいまひとつ分からないと言う人は、ワルターよりもこの盤を聴いたほうがいいかもしれない。

録音も優秀。
スタッフも、これを「交響曲」ととらえているらしい。
歌とオーケストラが対等のバランスで、むしろ、オーケストラをばんばん前面に出して、色彩的な音色の妙を再現していく。


二人の独唱者では、偶数楽章を歌うフィッシャー=ディースカウが面白い。
とにかく巧みで、指揮者が要求する細かく急激なテンポの動きに難なく付いていってしまう。第4楽章中間部のすごい速さを、むしろ楽しんでしまう余裕には唖然とする。
6楽章の息の長い語りかけも、男声の違和感はまったくなく、音楽の魅力に聴き手を誘う。(指定では男声、女声どちらも可となっているらしい)

ただ、ワルターの演奏にかもし出される「諦観や哀切」の情は、バーンスタインやフィッシャー・ディースカウにはいささか薄い感じがするのも確か。
いかにもこの二人にふさわしい、現実肯定的な力強さに満ちた演奏だ。

ジェームズ・キングのテノールは、パツァークに比べると「普通のテノール歌手」として高度で、模範的な歌唱といってもいい。これを聴くとパツァークがいかに「変」なのかよくわかるのだが、
この曲に関してだけは、その変なところが、妙に似合っていたりするのだ。
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コメント

コメント(2)
No title
VPOのBOX、完聴お疲れさまでした。
私は寄り道が多くて、まだ半分にも到達しておりません…(汗)
最近の廉価盤BOX乱売状態ですと、ついつい荒っぽい聞き方になってしまいますので、私もブログを使いながら、なるべく丁寧に聞くようにしていますが、LP時代のように飽きずに毎日のように同じものを聞き続けるというのはなくなりました。

「大地の歌」は、私はバーンスタイン盤LPを発売日に入手し、その後数か月間、まさに飽きもせず毎日聞き続けた刷り込み盤です。
友人たちはワルター/VPO盤を絶賛しておりましたが、高校生の私には共感するところが少なかったように記憶しています。
3年ほど前にワルター盤をじっくり聞いてみたのですが、少なくともオーケストラは健康的な音楽を奏でていたのは意外でありました。
発売当初、技巧的すぎるという評がありましたけれども、フィッシャ=ディスカウのディクションの正確さには、相変わらず舌を巻きます。

gustav_xxx_2003

2015/04/30 URL 編集返信

No title
グスタフさん、疲れましたが達成感はありますね。
「大地の歌」の「最初の一枚」はこのバーンスタイン盤がお薦めかもしれません。彼はイスラエル・フィルと二回目の録音も残していますが、これは録音がいまひとつで、オーケストラの音も乾いていてちょっとイマイチです。同じ録音かどうか分かりませんが、リハーサル映像もあり、第4楽章中間部ではやはりテンポを煽ります。ところがこちらの独唱者のクリスタ・ルートヴィッヒは、そのテンポに付いて行けず、息を切らして閉口する…そんな様子が記録されています。これを見て、ディースカウの凄さが改めてわかりました。
但し「最後の一枚」ということになれば、私は躊躇なくワルターです。
記事の最後がこの二枚になった理由も、どうも、そのあたりにありそうです。

yositaka

2015/04/30 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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