さよなら、ネコグランマ

ネコパパの母親、ネコグランマが4月16日死去。
享年83歳。

父親のネコグランパは、既に平成8年に69歳で死去している。
それから19年、昨年1月まではネコパパ庵と同じ敷地に立つ自宅で、悠々自適の生活を送ってきた。

ネコグランマは昭和6年の生まれである。
女学校に通った娘時代はちょうど「さきの戦争」の時代であって、
名古屋の中心地に住んでいた母は、疎開、空襲、軍需工場での「風船爆弾の製造」に従事し、目の前で友人の死を目撃するなど、厳しい戦争体験も持っていた。
が、そんなことを家族に語ることはほとんどなく、
ひたすら毎日を、おおむねは笑顔でもって、楽天的に、人生を送ってきた。

ハリウッド映画にご執心だった女学生は、
長じても海外テレビドラマのファンであり、時代劇や日本映画の「湿り気」を好まず、
終生「二枚目俳優にときめく」人であった。

当時の女性のたしなみであり、流行であった「洋裁」にはことさらに熱心で、
母にとって「買い物」は、身につけるものを購入する以上に「針仕事の材料」である布地を手に入れることであった。
多くは安価な「端切れ」である。
家事育児、何事も「細かいことにはこだわらず」アバウトな母であったが、
針仕事、裁縫については、一徹のこだわりをもった。
きるものにせよ小物にせよ、型紙や市販品をつぶさに研究し、
「それ以上にできのよい」品を製作しようと心を砕いていたものである。

生活の糧はほぼ父の収入に依存し、
家計簿以外の貯蓄保険等、
家の収支も、おおむね父がやっていただけに、
父の死去以後の金銭帳簿の「おおまかさ」は、なかなかのものだったと思う。
それでいて物事の好き嫌いはかなりあり、「思い込み」で断定的にことを言い切る癖もあり、なにごとも自分中心でないと我慢できないところもあった。

交友範囲は広く浅くを旨として、
カラオケ、太鼓、書道、パッチワーク、海外旅行…を楽しみながら、
仲間と「組めども尽きぬ」おしゃべりをする
…実際の趣味はこの「おしゃべり」のほうだった気がする。

それが2014年の1月、リビングで転倒して左腕を骨折してからは、急激に元気をなくした。
もともとの持病である膵臓の(良・悪性)混合腫瘍が肝臓に転移しており、進行はきわめて遅いものの、体力を確実に奪っていて、骨折の治りが悪かった。
何とか手術はしたが、左手の動きは緩慢で自宅での生活はもうできない。
仕事のあるネコパパ、同じく膵臓に難もあるアヤママも介護しながらの生活は困難で、桜の季節から介護つき老人ホームのご厄介になることになった。

同じ年頃のお年寄りとの生活はそれなりに楽しかったようで、
ふさぎこみがちだったネコグランパにも、幾分笑顔が戻り、一息ついたネコパパ一家。
しかし秋口にはいって、高熱を発し、敗血症に至って救急車で病院へ搬送される。
まもなく、心臓停止が二度続く。その際緊急措置で行った心臓マッサージで折れた肋骨がもとで、自力呼吸が難しくなる。
搬送された大学病院は、懇親の治療に当たったものの、症状が安定すると退院となり、生活能力回復を期待してのリハビリ病院に誘引となったが、回復叶わず、体調は日々上下しながらも、ゆっくりと下降していった。

意識は最後までしっかりしていたと思う。
死去の日も、ネコパパ、その妹のネコオバ、二人とも病室を訪れ、体調低下しているものの「まあ、今日明日ということはなさそう」と、挨拶して帰宅していた。
知らせはネコパパが帰宅して、ほんの2時間後である。

ネコパパは「孝行息子」ではまったくなかったと自覚している。
ネコグランマにとっても、ネコパパはなかなかに「厄介息子」であったかもしれない。
長年同じ敷地に住み続けながらも、週二回の「一緒の夕食」に同席する以外はとくに親密ではなかった。
その夕食も、仕事帰りの遅いネコパパは席を外しがちだった。
アヤママには、母の世話を甘えていたと思う。

しかし昨年春、離れて住むことになると、却って足繁くホームに出向くようになった。
リハビリ病院にも三日にあけず顔を出した。
声が出ず、少しずつ受け答えも鈍くなっていく母親の近くで短い時間を過ごした。

私にとっては
「自分のことばかり考える、どうにもやっとれん」
ところの多いネコグランマではあったが、胸に手を当ててみるとそれは、はっきり自分のことだなと思えてくる。
相手のことを考えないで、自分勝手にしゃべるところも
人の気持ちが分からぬところも
やたらとものを集めてきては、小さい隙間に隠して「目立たないようにしておく」ところも
ものを捨てられないところも
面倒なことはどんどん後回しと言うところも。

あれは、いつだったか…

ネコパパが小学校に入る前のような気もする。
母のこぐ自転車の荷台にのせられて、随分長い時間、あちこち連れて回られたことがあった。
なぜだか、自宅に少しだけ食べ残されていた駄菓子の一つを私が妙に気に入り、母に強くせがみ、
二人で近所のお菓子屋に買いに出た。毎日出かける、商店街のなじみの店には置いてなく
さらに少し遠くの店まで探しに出たが、なぜだか置いてあるところがない。
それで何を意固地になったか、母はしつこく探し回り、
ついには探偵よろしく、袋に書かれていた製造元まで探り当てて、とうとう目当ての品を手にしたのだった。
もう日暮れに近い時刻になっていた。
当時我が家のあった名古屋の外れの町は、家内制手工業の家の集まっている場所で、そんな駄菓子の製造工場も数多くあったのである。

母が意地のように、息子を乗せて自転車を走り回らせたのは、なぜだったのか…
母親というものは、子どものためにこんなにするんだ、ありがたいものなんだ、と殊勝に思ったかは、ちょっと定かではない。
でもこのときの記憶は私には、とても重い…


さようなら、ネコグランマ。
いままでほんとうにありがとう。












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コメント

コメント(12)
No title
ご冥福をお祈り申し上げます。ネコパパ氏の母屋で母上とたくさん喋り、快活に話されお笑いになり、君を心配され…こうして書いていると自然と涙ぐんできます。君の文章を読んでいたら、よけい涙ぐんできます。生きることを本当に楽しんでいらっしゃった。ここのところ母屋に顔を出さずにいたから、よけい申し訳ない。あの世でも笑顔でいらっしゃると思う。ご冥福をお祈り申し上げます。

toy**ero

2015/04/22 URL 編集返信

No title
SIGE君とは、大学時代から家族ぐるみの交流を続けていただいています。母が40代の頃からだったのですね。
今のわれわれの年齢を考えると、この年月も、ずっしりと感じます。
家族親族でのつつましい葬儀でしたが、SIGE君には来ていただけました。心から感謝申し上げます。
そして…これからの時間を大切にしなければと改めて思います。

yositaka

2015/04/23 URL 編集返信

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ネコグランマ様のご冥福をお祈り申し上げます・・・合掌。
私の母も83歳の生涯でした。

HIROちゃん

2015/04/23 URL 編集返信

No title
私は母親を亡くして、もう15年が経過しました。
ご母堂より少し年上の大正生まれでありましたが、一番楽しいはずの娘時代を戦争で費やしたのは似たようなものであったと思います。
あるとき母方の祖母から、母親が料理が下手だからお前はかわいそうというようなことを言われたと口走った途端に「娘時代は戦争と家の手伝いで料理なんかしてる暇がなかったのよ!」と烈火のごとく怒り出して早々に退散したことを思い出しました。

私は18のときに家を出て、そのまま東京に居を構えましたので、親と一緒に過ごした時間はそれほど長いものではありませんでした。
すぐそばに息子夫婦がいるということだけで大変な親孝行であったと、私は思います。
読ませていただきながら、我儘で気の強かった自分の母親のことを思い出してしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

gustav_xxx_2003

2015/04/23 URL 編集返信

No title
HIROちゃんさん、ありがとうございます。
昨今は83歳で「まだお若いのに」と言われます。長寿社会になったのですね。

yositaka

2015/04/23 URL 編集返信

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先日は、ご母堂様のご容態が重いなか拙宅においでくださり有り難うございました。
昨年、私の母も97歳の誕生日をすぎてから亡くなりましたがネコパパさんの思い出を読ませて頂くと全く同じ思い出で胸がつまります。
在職中は、母の世話を嫁にまかせきりでした。アヤママさんご苦労様でした。ご母堂様のご冥福をお祈り申し上げます。

チャラン

2015/04/23 URL 編集返信

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グスタフさん、痛み入ります。
私が高校に入るまで、家は父方祖母、叔母との二世帯同居、ウサギ小屋のような市営住宅に五人家族がひしめく家庭でした。
おまけに祖母(ネコグレートグランマ?)と母との折り合いもよろしくなかった…でも思えば懐かしい日々でした。

yositaka

2015/04/23 URL 編集返信

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チャランさん、お互い寂しくなりますね。
母もきっとどこかでチャランさんの母上とめぐり合うことでしょう。妻には苦労をかけ、ますます頭が上がりません。
チャランさんの思いやりの一言を伝えておきたいと思います。ありがとうございます。

yositaka

2015/04/23 URL 編集返信

No title
ネコグランマ様のご冥福をお祈り申し上げます。
母親の思い出はとても重いですね。
アヤママサンが介護されてたのですね。介護は大変ですね。

マント・ケヌーマー

2015/04/24 URL 編集返信

No title
マントさん、ありがとうございます。
アヤママも無理のできない健康状態なので、母の介護は多くの人に支えられました。
介護保険制度もフルに活用しましたが、父の会社から支給される遺族年金のおかげもありました。高齢化社会の生き抜き方は厳しさを増していると感じます。

yositaka

2015/04/25 URL 編集返信

No title
合掌。
姿は見ずとも、声は聞こえなくとも、
母上様は、ずっとそばに居ると思いますよ。

ユキ

2015/04/25 URL 編集返信

No title
ユキさん、ありがとうございます。
人は誰でも死にます。
死後もずっと存在するとは、ありうることではありますが、それはやはり人々の外部ではなく内部に、と考えたいものです。
外部にいるとなると、それはちょっとコワイです。

yositaka

2015/04/26 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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