ワルター&ウィーン・フィル/マーラー生誕100年記念祭公演
シューベルト
交響曲第8番「未完成」
マーラー
子供の魔法の角笛~美しいトランペットの鳴り響くところ
リュッケルトの5つの歌~私はほのかな香を吸い込んだ
交響曲第4番
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ) <1960.5.29、ムジークフェランンザール>
ALTUS ALT 267/8 (2CD)
この、指揮者ブルーノ・ワルターとウィーン・フィルとの最後の演奏会を記録した録音は、1970年代に米ワルター協会からLPが発売され,日本ワルター協会、後には日本コロムビアからも国内盤LPが発売されていた。
このLPは、ネコパパの宝物で、珍しく2セット購入して大切に聞いてきたもの。
CDは米ワルター協会の後進レーベルであるMUSIC&ARTが発売し、
国内ではキングレコード、日本コロムビア両社から国内盤が発売されていた。
面割りがLPそのままで、マーラーの第4が1枚目の途中で切れるのが難点で、音質面でも期待できないと判断したので、購入はしていない。
今回のCDは、フランスのINA(国立音響研究所)の音源によるもの。
ORF(オーストリア放送協会)提供のコピー・テープと思われる。
演奏は、ワルター・ファンには既にお馴染みのものだ。
戦前から気心の知れた指揮者とオーケストラの、最後の共演という感慨があったのだろうか、とくに2曲の交響曲は、双方が
「いつまでも終わって欲しくない」
と思っているかのように、じっくりと遅く、万感の思いを込めて演奏されている。
特にマーラーは、音楽を古典の枠組みに引き寄せつつ、最小限のメリハリをつけて颯爽と運んでいくワルターの45年、50年、55年録音盤とは違う、切々たる哀感のようなものが漂っている。
マーラーやシューベルトの音楽よりも、演奏家たちの個人的な感情の色が強く出ている演奏で、ファンにとってはかけがえのない音盤ではあるけれど、あくまで特殊なもの…というのがこれまでの私の位置づけであった。
今回の盤も、ステージ前方からオンマイクで音を拾った、指揮台から聴くような独特のバランスは変わらない。
しかし、さすがにオリジナルテープに近いだけあって、霧が晴れたように楽器間の絡みや、表情のニュアンスがよく聞き取れる。
音や解釈の事などすっかり忘れ、
指揮者と楽員が一緒になって奏でる「白鳥の歌」に、聞き惚れるばかりだ。
特に「未完成」の第2楽章、マーラーの第3楽章は、敢えて「絶品」と呼びたい。
なお、当日前半に演奏されたマーラーの歌曲は3曲。
このCDには「私はこの世に忘れられ」が収録されていない。
よく聞くと「ほのかな香を」のあと、一瞬音が切れ、前半の終了を感じさせる長い拍手が入る。
これは放送時に行われた、割愛を目立たなくするための編集で、実際は「私はこの世に忘れられ」のあとの拍手と思われる。
このカットについて、ブックレットには注意書きがなく、解説にも全く触れられていないのは、不適切だ。
発売が1年遅れたのは、この1曲の搜索のためだったと「ブルーノ・ワルター・ホームページ」のDANNOさんが述べておられるが、
3曲だったのは、ワルター・ファンなら周知の事実。発売元は公式に欠落を明記すべきだろう。
解説によると、フランス、ソ連、日本など各国にコピーテープが提供されたのに、ORFにオリジナル・テープは存在していないらしい。
このような歴史的コンサートの記録が保管されていないとは、信じにくい話だ。
あくまで個人的な憶測だが、シュワルツコップの頑強な差し止めにより、廃棄せざるを得ない事態になったのではないか、と私は思っている。
彼女はライヴ録音の発売を基本的に認めない方針で、そのために貴重な録音がオクラになるケースが多かった。この録音を聞いても、前半の歌曲に比べ、マーラーの第4楽章の歌唱は冒頭から不安定だ。youtubeで視聴できる、リハーサル時の歌の方が、明らかによい。
出したくなかったかもしれない。
でも、そこは大人の裁量で…
コメント
私は熱心にワルターを追いかけてはおりませんので、この録音は未聴です。
ワルター・ファンからすれば、当日のコンサート全容を聞きたいところでしょうが、シュワルツコップは、よほど不安定な歌唱であったので、いつまでも残されるのが嫌だったのでしょう。
私は、世評ほどシュワルツコップの歌は高く評価していません。
gustav_xxx_2003
2015/03/31 URL 編集返信SL-Mania
2015/03/31 URL 編集返信私は「未完成」は第2楽章が好きなのですが、この録音の2楽章は、確かに絶品で、天国的な美しさです。SL-Maniaさんが、この音源について最近、投稿されたので、私も久しぶりに聴いてみました。私はLPも良く聴きますので、プレーヤーは必需品ですね。
シュワルツコップ・・・そんな話を聴いたことがありますね。フルトヴェングラー/フィルハーモニアとのルツェルンでのベートーヴェンの「合唱」もシュワルツコップのちょっとしたミスで発売をごねたとか・・・聴いてはどこがミスか私には分かりません。
HIROちゃん
2015/03/31 URL 編集返信ですが、一部はパブリックドメイン音源にもなっていますので、機会あれば「歴史のひとこま」として一度はお聞きになっても良いのではと思います。
シュワルツコップは現在でも世評が高いのでしょうか。幾多の名歌手が輩出した現在は、彼女も過去の演奏家になっていくのかもしれません。でも彼女の「語り演ずる」歌は、曲によっては心惹かれるものがあるのも確かです。若き日のEMI盤「モーツァルト・アリア集」は、その一つです。
yositaka
2015/03/31 URL 編集返信yositaka
2015/03/31 URL 編集返信シュワルツコップだけでなく、声楽家の方は自分の歌に神経質な人が多いのかもしれません。バス歌手の岡村喬生さんの抗議で、ミュンシュ指揮日フィルの「第9」が販売中止に追い込まれたこともありました。是非を論じるのは難しいですが、音楽は誰のものなのかを考える上で、課題を投げかける事例です。
yositaka
2015/03/31 URL 編集返信このCDでは、音質がだいぶん改善された事が本当に喜ばしいですね。
これまでの音盤は、1960年録音としては極めて劣悪な音で、ワルター最後のVPOとの共演で、双方万感極まりない名演なのに、ゴミ同然の糞録音しか残されていない事は悲しく、腹立たしかった。
長年、ゴミ同然の糞録音を聞くたびに「ワルター最後のVPOとの共演で万感極まりない名演なんだから、ジョン・マックルーアやトーマス・フロストがウィーンに乗り込んで、ライブ録音をステレオで録ってくれていたら!!」といつも悔やまれてならなかった。(当時CBSはVPOとの契約は全くないうえに、まだステレオ最初期であったため、ステレオ録音によるライブは困難であったと思われる。しかしおそらくジョン・マックルーアやトーマス・フロストは、ウィーンに乗り込んで録音したくてたまらなかったのではないだろうか[演奏会後セッションであっても])
少年X
2015/06/21 URL 編集返信おそらく両プロデューサーとも地団駄踏んだことでしょう。帰国後すぐのコロムビア響との録音予定にこの曲が入っていたのは、ウィーンの余韻をともかくも残しておきたかった気持ちがあらわれています。それはそれで残してほしかったとは思います。
ところで1960年のウィーン芸術週刊では、同時にクレンペラーとPOによるベートーヴェン・チクルスが開催されていたことはご存知かもしれません。この録音もB&WやALTUSから発売されていますが、テープの供給元は不明で、オーストリア放送協会から提供されたものではないようです。とすれば、この時期のマスターテープはもしかして、まるごと封印もしくは紛失しているのではないかという疑問が浮かび上がります。
どなたかがこの謎を解明してもらえないものか、ずっと思っています。
yositaka
2015/06/21 URL 編集返信