DECCA 《ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団エディション》をきく⑰
【CD4】
モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番, 交響曲第36番「リンツ」
レナード・バーンスタイン(指揮&P) [録音:1966年]
ピアノ協奏曲第15番は弾き振り。
バーンスタインのピアノは、エネルギッシュな指揮ぶりとは違って、内向的、即興的なものだ。
旋律線をちょっとずらして遊んだり、沈んだ曲想の部分では、思い切りの感情移入を聞かせたりする。音符の一つ一つに彼の神経が細かく反応している様が、手に取るように伝わってくる。音のタッチは均質でデリケート。打ち出しも弱い。技巧は十分に持っているが、それ自体を目立たせるそぶりは一切ない。
こういうのを「指揮者のピアノ」と呼ぶのだろうか。
第1楽章は指揮の比重が強いと感じるが、第2、第3楽章では、バーンスタインは、大まかな枠組みだけ示して、ピアノ独奏に専念しているように思われる。その分、ウィーン・フィル持ち前の自発性が生かされる。
ピアノのソロにオーボエやフルートが合いの手を入れる場面などの彼らの絶妙な反応振りを聞くと、この時期から両者の関係が一気に深まったというのも、よく納得できるのだ。
一方「リンツ」は、ベートーヴェンのようなスケール感を持った演奏である。
テンポは遅く、フォルテは強く、メロディーは思い切って豊かに歌われる。
これはブルーノ・ワルターの造形にとても近い。第2楽章や第3楽章は特に。でも、よく聴くと、バーンスタインのほうが形が堅固で、いっそうベートーヴェン風に聴こえる。
彼は1984年に、VPOを振って同曲を再録音する。
すでにピリオド演奏の時代は始まっていたが、演奏のスタイルは不変で、新校訂楽譜を採用することもしなかった。
頑固者だったのである。
【CD15】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番
ウラディーミル アシュケナージ(P) ズービン・メータ(指揮)[録音:1983年],
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ウラディーミル アシュケナージ(P) ベルナルト・ハイティンク(指揮)[録音:1982年]
アシュケナージのピアノの音色は、磨かれた陶器のように艶やかで、膨らみがある。ピアノという楽器の、一つの理想と言ってよいのかもしれない。近年は指揮者として活動し、彼の音色をオーケストラからも引き出そうとしているようだが、なかなかそれは難しそうだ。
ベートーヴェンの第2番は、彼の書いた最初のピアノ協奏曲である。
モーツァルト的な味わいを残しつつ、若き作曲家の若々しい気概が、特にフィナーレに満ち溢れている。アシュケナージはくっきりとしたタッチの魅惑を生かしつつ、沸き立つような生命力を込めて演奏していて、曲の良さを存分に描き出す。
メータの指揮もいい。粒立ちのよいソロを受けて、フレーズの終わりをクレシェンドさせ、きりっと切り上げる合いの手が、心地よく決まる。オーケストラの勢いに刺激されて、ピアノのタッチもぐっと力がこもるのが明晰な録音の力もあって、はっきりと伝わってくる。特にフィナーレでは、両者の呼吸が合って、まさに「協奏」している。
ところで…先日TVで拝聴した番組で、メータの協奏曲の指揮ぶりを見た。
曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲、ソリストは五嶋みどり。
フィナーレに入り、五嶋が没我の境地のような壮絶な演奏を始めると、メータはそれに反応できず、わずかに棒を上下させるだけ。楽員たちは互いに目配せし合い、必死で合わせている様子が捉えられていた。
これって…「大人の余裕」なのだろうか。
ネコパパは、どこか痛々しいものを感じながら、その画面を見ていたのだが…
一方のブラームスは、どちらかというとオーケストラが主役の音楽だ。
遅めのテンポで、隅々まで丁寧に語っていくハイティンクの目に見えているのは、おそらくブラームスの譜面だけ。ピアノと掛け合いを演じようという意志は、もとより感じられない。アシュケナージもマイペースだ。
潔癖そのものの指揮と、滑らかで曇りのないピアノが、晦渋になりがちな曲想に、くっきりとした輪郭を与えていく。内省的な深みを楽しみたい本格派ブラームス・ファンには、これでは物足りないかもしれない。
でも、ネコパパには満足度が高い。
チェロとピアノがしんみりと対話する、曲中最も魅力的な第3楽章が終わり、フィナーレに入ると、晦渋な曲想の連続にがっかりする…そんな気持ちになる演奏も多いのだが、この盤はそうではない。アシュケナージとハイティンクの生み出す明快な幸福感は、最後まで途切れることがないからだ。
ネコパパは、このブラームスに個人的な思い出もある。
新婚旅行でウィーンに出向き、ムジークフェラインで聴いたのがアシュケナージのリサイタル、そして、帰りの飛行機でたまたま機内放送に入っていたのが、このハイティンクとのブラームスだった。録音されてから2年後だが、まだ発売されたばかりの話題の新譜だった。当時は発売のテンポも、こんなふうにゆっくりだった。
ネコパパはきっと、夢見心地でこの演奏を聴いていたのだろう…
【CD16】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3&4番
フリードリヒ・グルダ(P) ホルスト・シュタイン(指揮)[録音:1970年]
グルダのピアノの音は独特の個性がある。
打鍵の強さと瞬時に指を離すアクションが生み出す音なのか。打鍵の瞬間、硬くピンと張り詰めた音が鳴り、それは瞬時に減衰する。中低音の割合が低い、ちょっとフォルテピアノを思わせる響きである。
グルダという人は、そんな神経質な音遣いを駆使して、即興的な要素も強い「速く」野心的な音楽をやる…というイメージがあった。
そのグルダが、至極真っ当なベートーヴェンを演奏した…と評判になったのが、当盤を含む1970年録音のピアノ協奏曲全集だった。
改めて聴いてみると、確かにそうだったな、と思う。遅めのテンポで、金管をしっかりと鳴らすオーケストラの響きに乗って、じっくりと歩みを進めていくピアノ。
第4番冒頭、呟くような弱音で弾き始めるピアノを受けて、ゆったりとオーケストラが滑り出す。一息置いて歌い出す第二主題も、ちょっとリタルダントした感じ。ピアノは最強音を抑え、常に余裕を持って奏でられる。
構えの大きな演奏と感じるのは、シュタインの指揮によるところが大きいと思う。
ホルンの朗々たる響かせ方にも、息の長いクレシェンドにも、この指揮者の得意とするワーグナーの影がある。ピアニストはそんな指揮者の造形にあわせて、主要部分では弱音主体の重心の低いソロを取っている。
その代わりに、グルダは、カデンツァに入るとすぐにテンポを速め、第3楽章のような俊敏な指捌きが生きる場面では遠慮なく「自分の音楽」を展開する。
この、やや指揮者寄りに感じられるの二人の役割分担によって、この演奏はソリスト中心型の演奏スタイルとは違う、交響曲的な深みを持つことができた。
これは華やかなピアニズムを求める聴き手には向かない、渋い演奏だけれど、ネコパパは、いかにもベートーヴェンらしくて、いい感じだと思う。
しばらくぶりに聴いたが、やはり傾聴に値する演奏。
コメント
残念ながらアシュケナージの音源は何曲かありますが、指揮をしたのは持っていません。ピアニストで指揮者をする人はたくさんいますが、このアシュケナージの指揮者としての評価は、どうなのでしょうか?
バーンスタインのモーツアルト・・私は「リンツ」は、モーツアルトの交響曲では、何故かあまり魅力を感じませんが・・・バーンスタインは、コンチェルトも「リンツ」もVPOを上手くコントロールしていると思います。
グルダ/シュタインのベートーヴェンは名盤だと思います。この演奏は、どちらかというとシュタインの堂々とした、オケの伴奏の方が素晴らしいと思います。
HIROちゃん
2015/03/06 URL 編集返信yositaka
2015/03/06 URL 編集返信yositaka
2015/03/06 URL 編集返信CBS録音のベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番でも弾き振りをしているのを聞きましたが、モーツァルのとき以上にリリカルなピアノで印象深いものがあったように感じています。
アシュケナージは、少し前にラフマニノフBOXで結構な数の録音を聞きましたが、繊細なピアノの響きは他のピアニストにはないものを感じてしまいます。
それだけに、ピアニストとしての活動が少なくなったのが残念にも思えます。
gustav_xxx_2003
2015/03/06 URL 編集返信アシュケナージ、ピアニストとしては広大なレパートリーを持っていて、70年代から80年代前半は大人気でした。今は世代交代が進んで、彼の過去の録音が歴史的名演として評価されていくかは微妙なところですが、個人的にはモーツァルト、ベートーヴェン、ラフマニノフの協奏曲は今聴いてもすばしいと思っています。
yositaka
2015/03/07 URL 編集返信アシュケナージと言えば、20年くらい前にベルリン・ドイツ響の指揮者として来日したときにぼくはホールの舞台裏でバイトしていたのですが、当日は彼は指揮のみでしたが、本番前の空き時間に控室でピアノを練習する音が漏れ聴こえてきました。出てくるのを待ってサインもらいました(笑)
Loree
2015/03/07 URL 編集返信アシュケナージのサインをそんなやり方で入手されたとは、すばらしい体験をお持ちですね。そのときの演奏はどうだったのでしょうか。
yositaka
2015/03/07 URL 編集返信