どちらがモントゥー? どちらもモントゥー…

「音盤のある部屋」で、モントゥーの「田園」を取り上げた。
これは「第1番」との組み合わせでボックスセット「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団エディション」に含まれていた一枚。
まずは、その内容を再掲載してみたい。


ベートーヴェン:交響曲第1&6番~
ピエール・モントゥー(指揮[録音:1960&1958年]/



 
モントゥーのベートーヴェンは、中高音を中心に、
音をたっぷりと鳴らしたスタイルだ。
特にこのウィーン・フィルとのセッションでは、各パートのバランスを工夫したり、管楽器のソロを際立たせたりする工夫はあまり目立たない。
陽光の下で、豊かに響くベートーヴェンを楽しむ一枚になっている。
 
第1番はベートーヴェンの青春譜。モントゥーの朗々とした演奏が曲想に似合う。
第3楽章までは肩の力を抜いた歩みで進むが、フィナーレではこれまで抑えていたものを開放するように、力と情熱にあふれた演奏に変わる。ここで音楽が一段と大きくなったような印象を受ける。
しかしネコパパは、ふと思う。
この快活なフィナーレこそ、モントゥーがロンドン交響楽団やサンフランシスコ交響楽団で聞かせていた音楽だ。すると第3楽章までは、オーケストラに遠慮気味になっている、ということなのだろうか。
 
「田園」も、厚みのあるふくよかな響きで一貫する。
第1、第2の両楽章はいつものウィーン・フィルよりも心持ちドライな感じの、陽性の音色で朗々と歌っていく。
体温の温もりを感じさせる、強めの音で一貫し、音の起伏は少なく、なだらか。
第1楽章などは、もうすこし彫りの深さというか、立体的な造形がほしい気もする。
けれどこんな気楽な響きの「田園」もいいものだ。
モントゥー独特の溌剌たるリズムのはずみと活力は、第3、第4楽章で発揮され、特に第4楽章は全曲のクライマックスと呼べるような迫真の響きを作り出す。
そしてフィナーレでは、再び陽光さす田園の気分が戻ってくる。


以上が記事の内容。
ここからはネコパパがちょっと付け足しておきたい「おまけ」である。
このウィーン・フィルとの「田園」は、厚みのある響きでブレンドされた、聴き心地の良い演奏だったが、指揮者の解釈を正確に伝えているか、といえば、それはちょっと…というのが正直な感想だ。
例えば、ここに、一枚の音盤がある。
1959年8月8日、米タングルウッドの野外劇場でライヴ録音されたものだ。

ピエール・モントゥー指揮、ボストン交響楽団(伊Memories Reveance CD)




VPOとの「田園」とかなり違う。
びっくりするほど違う、といっていいかも。
冒頭から、個々の音が屹立した、張りのある音が飛び出しくる。
リズムは鋭く、テンポや音の表弱は細部に至るまで変化に満ちて…とにかく、すべての音符に命を吹き込もうとする覇気が伝わってくる。
これだ。
ネコパパがモントゥーという指揮者を「巨匠」として認識した、満ち溢れてくるような音楽は、このような響き方をするものだった。

VPOとのセッション録音と、そのわずか1年前に、モントゥーが実演で成し遂げている演奏との違いは、「ライヴだから」ですませるにはあまりにも大きいと思う。
この事実は、何を物語っているのだろうか。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(7)
No title
こんばんは。
このCDは、どちらも持っています。
モントゥーはライブでは、かなり燃えるタイプのようですね。
memories盤は、言わば海賊版ですが結構、私は持っています。音はあまり良くないものが多いのですが、ハットするような演奏も多く、良く購入しますね。
私は、ひねくれ人間なので?「田園」はどうでもいいという人間。ベートーヴェンの交響曲では一番つまらなく感じます。この曲は、とにかく心地いいBGMとして流れていればいい・・・という感じの曲であまり構えては聴きません。そうするとモントゥー盤はやはりウィーン・フィルですね。

HIROちゃん

2015/01/24 URL 編集返信

No title
追記:でも、このボストンSOのモントゥーの田園は凄演ですね。
これほどライブで変わるのでしょうか・・・同じ意見です。

HIROちゃん

2015/01/24 URL 編集返信

No title
HIROちゃんさん、こんばんは。「田園」という曲は、私にとって音楽の価値を図るものさしのような役割を果たしていると感じます。いわば「水準器」ですね。人は誰もがそうした「一曲」を持っているように思いますし、その違いからさまざまな嗜好が生まれてくるようにも思います。
このボストン響盤はタングルウッド音楽祭の放送録音が元になっているようです。聞くところでは火災でかなりのオリジナルテープが消失したようですが、この日のものは無事だったとのこと。それでこのセットの中では比較的良い状態で聴けます。本来は正規版で出すべき内容と思いますが…

yositaka

2015/01/24 URL 編集返信

No title
セッション録音とライブとではかなり印象が異なる場合は、ままありますね。
やはりセッション録音の場合には、手間暇をかけた録音を長く残すものという意識が、どこかで働くのではないでしょうか。
たまたま私が聞いた中でも、カラヤンとミュンシュは、コンサートの熱気は録音で聞くのとは桁外れでありました。
著作権の問題があり、多くの場合聞くのが辛い音質の海賊盤は、私は好んで聞くことはほとんどありませんが、知らずに入手したミュンシュの音源は宝物になっています。
モントゥーの第6番も、おそらくはライブ盤が本当の姿ではないかと、未聴であるにもかかわらず、そんな推測をしてしまいます。

gustav_xxx_2003

2015/01/25 URL 編集返信

No title
グスタフさん、ライヴ録音の重要性が認識されたのはフルトヴェングラーからだったと思います。彼の場合、解釈そのものは変わらず、同じ土台に立った上でライヴでは激しさが付け加わる、というものでした。私が系統的に聴き続けているワルターとベームも、大体はそうです。けれども、シューリヒト、モントゥーといった指揮者の場合は、解釈自体が相当違っていると感じる場合が多いのです。気質の問題か、それとも音楽観が違うのか…
どちらが本当の…なんてつい問いかけてしまいますが、きっと「どちらも本物」なのでしょう。人のすることは、音楽というものは、底知れないというべきでしょうね。

yositaka

2015/01/25 URL 編集返信

No title
話が少しそれて申し訳ありませんが・・・
セッション録音とライブ録音・・・と聞いていくと本当はドッチ?と考える事があります。これでいつも悩むのがカラヤンの演奏。特にライブを聴くと自分はアンチ・カラヤンと言っているが・・本当はカラヤン・ファンかも?と思う時があります。まあ曲にもよりますが・・
これからカラヤンのベートーヴェンの交響曲について投稿記事を書いてブログ・アップするつもりです。

HIROちゃん

2015/01/25 URL 編集返信

No title
HIROちゃんさん、私はカラヤンの熱心な聞き手ではなく、ライヴも来日公演の放送に接したくらいです。彼はメディアによる音楽拡大に期待を持つ一方、ライヴはライヴでしっかり取り組む人だったというイメージはあります。近年では日本で演奏したベートーヴェン・チクルスの音盤が話題になりましたが、私は未聴です。「田園」だけでも機会があれば…とは思っています。

yositaka

2015/01/25 URL 編集返信

コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR