響きはクールで、切れ味鋭く

DECCA《ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団エディション》をきく①

CD20
シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」,
ウェーバー:プレチオーザ序曲,
シューマン:ゲノフェーファ序曲,
ケルビーニ:アナクレオン序曲~
 
カール・ミュンヒンガー(指揮) [録音:1974&1967年]



 
デッカとの録音も少なくなっていた1974年の時点で、ミュンヒンガーがウィーン・フィルとの録音を行っていたことが驚き。
ここでは、ミュンヒンガーの初期の録音が持っていた独特の響き―ドイツ風に無骨な、固い響きが影を潜め、ゆったりとした晩年の演奏様式に変わっている。それがシューベルトの作風にもよく合い、かつウィーン・フィルの艶やかな弦の魅力を引き出している。
ところで、劇音楽「ロザムンデ」は魅力的な音楽か?
たしかに「間奏曲」の旋律は美しい。けれど全体としては、ごつごつして渋すぎて、シューベルトという人からイメージされるロマンティックな味わい、というものとも違っていて、日ごろ聞きたいと思う曲ではない。
ところが、この盤を聴いて「舞曲」のリズムと旋律が何故か頭にこびりついて離れなくなった。これが演奏の力というものだろうか。
序曲ではシューマンが特にみずみずしい魅力に満ちている。こちらは紛れもなくロマンティック。

 
CD7
モーツァルト:レクイエム
アリーン・オジェー(Sp), チェチーリア・バルトリ(Ms)
ヴィンソン・コール(T) ルネ・パーペ(Bs)
ウィーン国立歌劇場合唱団

ゲオルク・ショルティ(指揮) [録音:1991年]/



 
モーツァルト没後200年の命日(1991125日)、ウィーンの大聖堂シュテファン教会で、モーツァルトのための歴史的様式による実際の追悼ミサが執り行われた。その際に演奏されたレクイエムのライヴ録音がこれ。
指揮者はバーンスタインが予定されていたが、前年になくなったため、ショルティに白羽の矢が…その演奏は、指揮者の個性が濃厚にあらわれたものに。
テンポは速く、フレーズは短くポキポキ切れて、定規で測ったように堅い。音楽の骨の部分ばかりを聴いているみたい。
でも、それが曲の深刻さを一掃し、パートの動きや絡みのよくわかる室内楽的な透明感を出しているのも確か。意識したかはともかく、ピリオド・アプローチの先駆けのような新鮮さを感じるレクイエムである。
また、実際のミサの雰囲気をよく伝えているのも面白い。
昔訪れたことがあるけれど、ここは非常に残響の多い会場だ。デッカの録音チームは、そんな中で演奏を鮮明にとらえ、鐘の音、鈴の音、司教の語りなども効果的に取り入れている。聞き手がその場にいるような気分にさせられる。
それだけに、繰り返し聞くにはちょっと向いていない盤かもしれない。
 

CD21
シューベルト:交響曲第9番~
ゲオルク・ショルティ(指揮) [録音:1981年],
メンデルスゾーン:交響曲第4番~
ゲオルク・ショルティ(指揮)[録音:1993年]/



 
「ザ・グレート」はショルティ初のデジタル録音。構えの大きい、正統派のシューベルトを狙った演奏と感じる。
モーツァルトのレクイエムのようなポキポキした感じはなく、フレーズも広々と伸びる。ショルティはこういう演奏も出来るのか。これはよさそうだ…
しかし、聴き進んでいくと、この音はいつものウィーン・フイルとは随分違うことに気づく。響きはクールで、切れ味鋭く、まるで傷ひとつない新品のジェット旅客機を想像させる。メロディーもリズムもよく決まるので、「骨だけ」という感じはまったくないが、叙情的な部分は、リズミカルな部分との対比をねらって計算しているという感じが、拭いきれず残ってしまう。
曲と演奏が違和感なくまとまっているのは第3楽章。そして注目は、第4楽章最後の和音がディミヌエンドで消え入るように終わるところ。
多くの演奏ではフォルテで終わるが、実はこちらが譜面どおり。ショルティのように自信を持って、スパッと音を弱めて「決め」られると、これもいいな、という気がする。
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コメント

コメント(4)
No title
凄い勢いでBOXをお聞きですね。
貧乏性の私は、もったいなくて1曲ずつ舐めるように聞いております(汗)

ミュンヒンガーは、古楽以外のレパートリーも録音したがっていたあたりがカルショー本に批判的に書かれていましたが、どうもこの本は信憑性に薄く、ニルソン自伝ではこっぴどく批判されていましたので、話半分にした方が良さそうです。

ショルティは、私も限られた録音しか聞いてきませんでしたので、このBOX収録の録音はちょっと楽しみにしています。
モーツァルトは、記念的行事での演奏ですから独唱陣が豪華ですね。
繰り返し聞くのには向いていないとお書きの部分は、最近多くなったライブ盤でまま感じるところです。
これは実際のミサをそのまま録音したこともありましょうが、録音芸術として繰り返し聞くことを前提とするならば、私は手間暇をかけたセッション録音を好みます。

gustav_xxx_2003

2014/11/19 URL 編集返信

No title
ミュンヒンガーの近代作品ではグリーグ『ホルベルク組曲』やバーバー『弦楽のためのアダージョ』などの入った一枚がありますが、辛口ながら鮮度の高い演奏で好きです。
「手間暇をかけたセッション録音」が出来た時代はもう終わったのかもしれません。例えば当BOXにも収録されている、ボスコフスキーのニューイヤー・コンサートにあわせてのワルツ集は、毎年夏場にセッションを組んで、曲目も重複を避け、丁寧に録音されていました。それが1979年以降はすべてライヴとなり、消耗品に。毎年惰性のように録音される「美しく青きドナウ」に名演は生まれようがないと思います。

yositaka

2014/11/19 URL 編集返信

No title
ショルティコンダクトが適切なテンポでかつインテンポだなと思ったことがある。惑星の火星をかなりの演奏音源と聞き比べをした時だ。無機質、機械的音源のようと過去何度思ったことか。しかし、9年前必要に迫られて何度も聞くうちに、彼は指揮者の心情吐露した音の形でなく、ステレオ装置からなりつづける作品のスタンダードな完成された音を目指していたと推測する。初学者に聞かせたところ、一番わかりやすい音源と言っていた。そのかわり、その演奏を聞いて人生観が変化するかはわからない。初学者たちは、形がよくわかり、カッコいいと口々に言っていた。

toy**ero

2014/11/19 URL 編集返信

No title
>ステレオ装置からなりつづける作品のスタンダードな完成された音
なるほど。70年代はショルティの次々に出るレコードがよく売れた時代でした。宣伝上手なキングレコードの売り方のせいもあるけれど、若い聞き手が多く、彼らはまず形の明確な演奏が望んだのかもしれません。私たちも若かったけれど、嗜好はいくぶん一般の基準とはずれていたのかも。

yositaka

2014/11/19 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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