きっぱりとリズミカルな、端麗辛口の「田園」

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op67「運命」第6番ヘ長調Op68「田園」
「プロメテウスの創造物」序曲Op43

アンタル・ドラティ指揮 
ロンドン交響楽団
1962715~25日録音
Mercury Living Presence Box



 
ハンガリー出身の指揮者アンタル・ドラティは、名オーケストラ・ビルダーとして知られた人。
切れ味が良く、リズムの明確な演奏スタイルで知られた。

彼の芸風は「田園」よりも「第5」の方により生かされるだろう…製作者もそう思ったのか、ジャケットの文字の大きさを見ると「田園」はオマケみたい。
これを見て、よほど曲想に合っていないのだろうと思いこみ、なかなか手が出なかったが、先日、ふと思い立って聴いてみた。
これ、なかなかいいじゃないか。

第1楽章冒頭、なるほど予想通り、明瞭な響きと速いテンポで、何の思い入れも無くサクサク進む。
音の出し方はまるで定規で仕切った線のように直線的だ。
トスカニーニ風?いや、違う。
ドラティは、イタリアの巨匠のように「歌に徹した熱血ぶり」はない。むしろ情感をクールに抑制し、磨きこまれた合奏から生まれる美を目指して生み出されていく音楽なのである。フレーズは短めで、すぱっと切れる。各パートの絡みは、隅々まで透明だ。
この響きは「田園」にはちょっとどうかな…と思いながら聴き始めたネコパパだったが…次第に引き込まれていった。
提示部が終わるあたりで、低弦がせり出し、音の体温が上がってくる。きっちりとしたフォルムは不動でも、それを通して伝わってくる音楽の実質がある。
どの楽器も鮮明に聴こえるが、無理な強奏や力みはない。音のバランスは精妙にコントロールされ、一番聴きたいところが最もよく聞こえるように浮かび上がってくる。

第2楽章は、一転して優美な弦楽器が表に出てくる。旋律を流麗に歌わせたり、強調するのではなく、リズムをより繊細にして、フレーズが厚みをもって浮かび上がるようにしているのだが、それが第1楽章とは対照的な横の流れを生かすものとなる。聴きものの木管も十分に生かされているが、ソロとして浮かび上がるというよりも、アンサンブルの一つという分を守りつつ、繊細に浮き沈む。

第3楽章では、農民たちが踊り楽しむ情景など浮かんでこず、器楽的、抽象的なな音と音との乱舞を楽しむひと時になっている。オーボエ、ファゴットなど稚拙を装うどころか、凄い名人芸である。

第4楽章は弦楽器の激しい音捌きと厚みが嵐の迫真を作り出す。全曲がそうだが、ティンパニや金管の強奏は抑制され、中心は弦である。マーキュリー自慢のワンポイントマイク収録だから、バランスは実際の演奏に近いはずだ。近頃のピリオド奏法によって力を失い、フォルテは打楽器、金管任せの弦楽とはなんと違うことだろう。

フィナーレは再びリズムの強い、きっぱりとしたフレーズが戻る。盛り上がりの部分でも短く切れのあるフレーズで、あたりをなぎ払うように進むのには、思わず笑ってしまう。
さすがにこの楽章では、もうすこし情感を解放してほしい気はするのだが…

これはひとつの確固たる世界観の下で展開された、鍛え抜かれた端麗辛口の「田園」である。
 
続いて「第5」も聴いてみた。演奏時間28分の快速調だが、予想に反して力まず、室内楽的にきりっと引き締まった、スタイリッシュな演奏だった。ティンパニや金管の威力に頼らずに緊張感を生み出しているのは「田園」と同様である。
急速調の中、第1楽章展開部のオーボエ・ソロの一幕で長い間を取り、テンポを落とし、深い静けさが訪れる瞬間は忘れがたい印象を残す。

ドラティがこれほどセンスにあふれるベートーヴェンを演奏していたとは。



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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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