安房直子 長新太 桃太郎~研究大会報告③

10 19 日(日)

《研究発表》
「色彩」で描く安房直子のファンタジー
大沼郁子(宮城学院女子大学・非)
 
これまで安房作品の「味覚」表現について研究を進めてきたが、今回は味覚から『視覚』特に色彩に観点を移しての研究。「空想と現実との境の、あの微妙に移り変わる虹のような色がたまらなく好き」と述べているように、安房の色彩への関心は強い。




特に別世界へ移行する象徴的な「青」の多用については先行研究も多いが、安房の色への関心はやがて「赤」に向けられる。『熊の火』には、たばこの火をはじめ、花の赤など様々な「赤」がえがかれている。それは単独というよりも他の色との多様なコントラストによって「生と死」を対比させ、「生命の輝き」を描き出すものとなっている。さらにこの色彩表現は、聴覚など言葉では表しにくいものの描写とも組み合わされ、作品世界のイメージを一層立体的なものにしているのである。
 
<感想>
発表後の、宮川健郎氏の質問が印象に残りました。
「物語を読む行為は『時間』を使うものですね。けれども読み終わると作品世界は『空間』となります。今回の発表は、その『空間化』後の分析にとどまっているように思います。作品には時間と空間があり、双方からの分析が必要です。例えば『きつねの窓』で描かれている『青の喪失』は、時間の領域に属するのではないでしょうか。発表者の視点では、作品がすべて絵のようになってしまうのが、物足りないところです」
鋭い分析だと思いました。しかし、作品の中の時間の流れを検討するとはどういうことなのか。それには、冷徹な分析眼のほかに、作品を今読みつつある読者の観点が必要です。それを実際にどのように行うのか…

 
長新太の作品にみる読者との関係性―水平構図作品を中心に―
鈴木穂波(岡崎女子短期大学)
 
読者との関係性において、長作品の作品分類を試みる。
水平構図から見て、まず「直接対面型」と「誘導型」のふたつに。さらにそれぞれを「出現型」「変化型」に分けて、4類型に。今回の発表では、直接対面型・変化型の例として『へんてこへんてこ』を、誘導型・変化型の例として『つきよ』をそれぞれ取り上げて分析した。
『へんてこへんてこ』では、文章は読者の視線に寄り添っているが、登場者は次々に入れ替わり、動作も身体変化、擬音、擬態と多彩。



『つきよ』では、観察者のたぬきの視点となりつつ、それを外から見つめている読者の視線にも変化する。




『へんてこへんてこ』ではほぼ固定カメラの視線だったのが、『つきよ』ではズームアップなど動きのあるカメラワークが効果的に使われている。
これらは読者が絵本の「主体」に自然に同化し、自らも「主体」となる喜びを喚起する仕掛けで、読者が心のそこに持つ原始的な感覚を刺激する効果を持つと思われる。発想の跳躍ぶりに比して、登場する動物たちが子どもにとって馴染み深いものである点にも注目したい。そこには意外にも日本文化の原風景が現われていると思われる。
 
<感想>
長新太の絵本が大好きで、それについて論ずるよりも、作品自体を見せたい。読み聞かせたい…そう思うのはきっとネコパパだけではないでしょう。
これに精密な研究分析を試みた鈴木さんの果敢な姿勢をまず賞賛します。しかし画面の変化と地の文での視点の移動を語っていく文脈で「読者との関係性」を明確にするのはなかなか難しい。読者は「受身」なだけの存在ではないからです。
そのためには研究者が、読者側からの様々な読みの可能性にアプローチしていく必要があるのではないか、という気がしました。例えば、村中李衣さんの唱える、読者側からの「リフレイミング」と「リジェネレクト」の可能性などです。

 
2000 年から 2009 年までの子ども対象の「ももたろう」話を巡る状況を考える。
大藤幹夫
 
桃太郎」の話は子どもたちの90%は知っているといわれている。
しかし話の中身はどうだろうか。「桃太郎の桃は誰が拾ってきたか」「桃太郎が腰につけていったものは何か」「桃太郎と一緒に鬼退治に行ったのは誰か」という質問で行われた1990年と2000年の調査を見ると、最近になるほど、内容の把握は低下しているようだ。知られているようで知られていない。しかしそれはメディアの側にも理由がある。現在ではあまりにも多彩な「桃太郎」が出版されているからである。



例えばこの松谷みよ子版では、鬼退治の場面で猿蟹合戦、かちかち山のメンバーが合流する。
別の本では、きび団子が嫌いで、たこ焼きを持っていく桃太郎もいる…
最近刊行された作品を見ても、バイリンガル版、完結版、文字なし版、プリキュア版など多彩で、桃を切る場面と結末だけでも大きく異なる。
昭和の『講談社の絵本』復刻版として出された一冊も、実は復刻ではなく大きな違いがあった。



鬼が島の宝物を分け合うシーンでは、桃太郎でなく、おじいさんとおばあさんが主体になっている点で、批判も出された。近年は特に母親に、桃太郎などの昔話全般への関心が薄れているという報告もあり、昔話受容が大きく変貌していることが伺われる。
 
<感想>
これだけ並べられると、さすがに壮観でした。
昔話というものは本来伝承によって移り変わっていくのが自然な姿だったはずですが、現在の多様さはそれとはちょっと質の異なったものでしょう。
文化や文学の問題というよりも、商業ベースが前面に出ています。
消費者のニーズに合わせて次々商品化され、消え去っていく絵本の数々を見ていると、60年代から70年代にかけての民話収集活動と、原話や語りの口調を生かした志の高い作品を生み出そうとした試みは、はたしてどうなるのか…と思ってしまいます。驚き、楽しみ、でも、ちょっとまてよと考えさせる…そんな発表でした。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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