思い出のマーニー

「たましい」に達する物語




思い出のマーニー
ジョーン・ロビンソン
松野正子訳
岩波少年文庫(2) 1980.11
 
 
 
「何にも考えずにいる」
「無表情」
「やってみようともしない」
…アンナは、そんな少女でした。

―パーティだの、親友だの、お茶に呼ばれるだのということは、ほかの人たちには、とても大切な、すばらしいことなのです。なぜかというと、ほかのひとたちはみんな『内側の人』―なにか、目に見えない魔法の内側にいる人だからです。でも、アンナ自身は、その『輪』の外側にいました。だから、そういうことは、アンナとは関係のないことなのでした。実に、簡単明瞭なことでした。(本文より)

 
養い親のプレストン夫人は、そんなアンナの「無気力」を心配し、喘息療養も兼ねて海辺の町ノーフォークで過ごさせようと考えます。
アンナを預かるのはプレストン夫人の旧友、ペグ夫妻。二人はアンナに暖かく接しながらも、孤独なアンナの自由気ままな行動にほとんど立ち入らないスタンツを保ちます。
アンナは海岸沿いの湿地に建つ「湿っ地屋敷」と呼ばれる古い大きな屋敷を見つけ、
「これこそずっと自分が探していたものだ」と直感的に感じます。
誰も住んでいないと思われた屋敷の窓に、アンナは人影を見つけます。
彼女はマーニーと名乗る、屋敷の娘でした。湿地は満潮になると水位が上がり、マーニーとアンナはボートで屋敷を行き来しながら、楽しい秘密の時間をともにするのでした。マーニーの家で開かれる豪華なパーティに紛れ込んだり、山にキノコ採りに出かけたり…
しかし、町の人は誰もマーニーの事を知りませんでした。
マーニーとは、いったい誰なのか。
やがて、二人の時間を激しく揺さぶる運命の日が訪れ…アンナの生活には今までとまったく違った毎日が開かれていきます。
屋敷に引っ越してきた子どもたちとの出会い
屋敷に残された古い日記帳の発見
そして、明らかになっていく、マーニーの本当の人生…

 
本書の価値をいち早く紹介したのは、河合隼雄でした。

岩波少年文庫の一冊として初めて訳本が出されたのは198011月。
河合が雑誌『飛ぶ教室(光村図書)の連載「子どもの本を読む」の一編として紹介したのは1982年です。




―彼女は何に対してもやる気がなかったのだ。こんなときに「あの子にやる気を起こさせたい」などという教師もあるが、誰か他人の力によって「やる気」が起こるような、そんな甘い話ではないのである。…本書はわれわれにそのような(癒しの)道を見事に示してくれるのである。

―人間は他人のたましいを直接には癒すことができない。それはいくら手を差し伸べても届かない領域である。われわれはたましいの方からこちらに向かって生じてくる自然の働きを待つしかない。しかし、そのためには、その人を丸ごと好きになることと、出来る限りの自由を許すことが必要なのである。ペグ夫妻は知ってか知らずか、それをしたのだ。

―自然といえば、まさに自然こそその点についてはたいしたものだ。アンナが癒されていくためニ、リトル・オーバートンの自然がどれほど役立ったのかも、この本は見事に伝えてくれる。アンナは最初に海辺に行ったとき、鳥(イソシギ)が「ビティー・ミー!」となくのを聞いた。鳥の啼き声をこんなに聞いたのはアンナたげであろう。考えてみると、かつて人間のはっする「ビティ」(かわいそう)などという言葉が彼女の心にさえ達したことがあっただろうか。しかし、海辺の鳥の発する言葉は、一瞬にしてアンナのたましいに達したのである。

 
河合は、本作に込められた「癒しの道」を具体的に解き明かし、それがそのまま本作の読者にとっての魅力にもなっていることを高く評価しています。
「思い出のマーニー」の原著刊行は1967年。
臨床心理学の知見が、まだ一般的とはいえなかった時期の作品だけに、作者が子どもの心を深く、愛情を持ってとらえていることに驚かされます。
これこそ「児童文学者」の熟練の仕事といえるのではないでしょうか。
 
児童文学好きの人なら、本書を読んでフィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(1958)との類似性に気付くことでしょう。
主人公の性別の違い、タイム・ファンタジーとしての構成、結末の意外性など、歴史的な傑作と呼ばれている『トム』との比較は、興味をそそるテーマですね。
私の感想は、前半はそれぞれ独自の魅力を持っているので互角、後半から結末にかけては『トム』の巧みな構築と場面設定の見事さにはかなわない…気がしました。
 
それにしても「時間」をテーマにしたファンタジーやSFには、心を揺さぶる傑作が多い気がします。きっとそれは、生きとし生きるものすべて、時の流れには逆らえない「去り行く運命」に迫らざるを得ないからでしょう。


 
さて、2014年7月、本作はスタジオジブリ最新作としてアニメ映画になりました。



宮崎駿監督引退後最初のジブリ作品です。

内容は舞台を日本に置き換えられているという大きな変更がありますが、
にもかかわらず細部にいたるまで原作に忠実です。
米林宏昌監督は、宮崎駿脚本だった『借りぐらしのアリエッティ』と同様の姿勢で原作をあつかっています。結果は、美しく、原作と同じく心を揺さぶる一作に仕上がったと思います。
「湿っ地屋敷」とそれを囲む風景、とくに水の描写のみごとさ。米林が製作決意の鍵になったという、アンナとマーニーが月光の下でダンスする情景には目を見開きました。
ダンスとは、互いに相手を捧げるもの…という言葉をふと思い出しました。
 
一方、人物の表情がやや硬いこと、原作の「風車小屋」が「サイロ」に変わっていることは、ちょっと残念なところ…とくに「水車小屋」と同様、「死と再生」のメタファーでもある「風車小屋」が描けなかったところに、日本に舞台を移した問題が出てしまったと感じました。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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