児童文学とジェンダー③

講演
「大西洋を渡った屋根裏の狂女:JaneEyreからDaddy-Long-Legsに亘る狂気の表象」
森有礼(中京大学)
 
シャロット・ブロンテジェーン・エア(1841)に描かれた「屋根裏の狂女」というアイコンが、100年かかってアメリカに渡り、さらに70年かかってイギリスに戻る…
という流れで、森さんは、講演の骨子を説明された。

『ジェーン・エア』は『あしながおじさん』(1912)の先行テクストとみなすことができる。そこには、20世紀初頭の「優生学」の流行を背景とした、フィクションを超えたバラレルな文脈が見て取れる。



 
『ジェーン・エア』に登場する、幽閉されたジャマイカ出身ロチェスターの妻、バーサの「狂気」は「三代続いた狂気の家系」の遺伝として説明されていた。
彼女の特徴は、たっぷりとした黒髪、突発的な行動、文化的趣味が合わず、高尚な話題についていけない…等。バーサは「異文化者」であり、『ジェーン・エア』は、いわば「文化的他者」を排除することでロチェスターとジェーンは結ばれ「ハッピーエンド」を迎える、というストーリーなのである。
 
続あしながおじさんDear Enemy(1915)は、前作『あしながおじさん』でヒロインを務めたジュディにかわって、親友のサリーが主人公。
ジュディの出身施設、ジョン・グリア孤児院の院長として、院の改革に取り組む。
ここに描かれているのは「社会改革(改善)」である。
サリーと医師ロビン(彼にも前妻がいる)は、孤児院を寄宿学校=教育施設として再生しようとする。
それには多くの問題があったのだが、サリーがまず行ったのは、5人の障碍児(精神薄弱児)を「外に出す」ことだった。
この子達は、学校にふさわしくない。
彼らに必要なのは、生まれつきの階級にふさわしい地位をみつけることだ…という名目で、
孤児院は「ふさわしくないもの」を切り離す。こうすることで、最下層から「中流」へと「成り上がろうとする」わけである。



 
この物語の背景には、アメリカにおける「優生学」の流行があった。
当時、全米に「ある恐怖」が広がっていた。
国中に「精神薄弱者の蔓延」「血の汚染」が迫っているという恐怖である。
きっかけは、心理学者・優生学者であるヘンリー・H・ゴッダード1912年に著した『カリカック一族』だった。
『続あしながおじさん』には、サリーが、当時最先端の研究といわれていた同書を引用する場面がある。

内容は、精神障害が異国の女性からもたらされることを「医学的に証明」したとされるもの。
ゴッダードが論拠としたのは、彼が運営していた精神薄弱児訓練学校に在籍した女性、デボラ・カリカック(仮名)の事例である。
筆者はデボラの系譜を6代さかのぼり、二人の女性と結婚した男性に辿り着く。
その男の家系は、クエーカー教徒の妻との間に生まれた「健全な」系統と、精神薄弱と推定される異国の女性との間に生まれたデボラに連なる「劣った」系統の二つに分岐して、拡大していった。
精神薄弱の家系はすべて女系であり、これはメンデルの法則における優勢と劣勢の形質遺伝の割合に適合するとされた。
論は根拠に欠け、精神薄弱かどうかの判断は調査員が「顔を見て直感的に判断する」粗雑さで、のちに「詭弁」として完全否定されるのだが、当時は最先端の医学知見として広く信じられ、政策にも影響を及ぼした。
女系の影響を断ち切るものとして「断種法」が、外来性を排除するものとして「移民制限法」が制定されたのである。
 
『続あしながおじさん』では、進歩、改革は男性の役割とされ、精神薄弱は遺伝だから直らない、女性の独立は養子縁組の成否にかかり、「魯鈍」であっても「かわいらしさ」を磨くことが「なりすまし」に寄与する…など、現代の読者の視点で見れば偏向した思想が含まれている。
それが明らかになった現在では、訳本も絶版となり、再刊される見込みもない状況である。

しかし、今も名作扱いされている『あしながおじさん』の中にも、それはある。




主人公のジュディは、まったく身元不明の孤児だが、
彼女もまた黒髪と黒い瞳を持ち、自身も「私は多分、ジプシー」と考えている。
そんなジュディが、擁護者の富豪ジャービス・ペンデルトンの愛情を得て中産階級の女性に「なりすます」ことに成功する…『あしながおじさん』は、そんな物語とも、読めるのである。
良家の男性にとって「異民族の女」とは、血の汚染(雑種化)の恐怖感をもたらす一方で、欲望をそそる「魅惑的」な存在でもあったのだ。

優生学を唱えたゴッダードも、実はデボラに魅了され、失望した一人だったのである。
『ジェーン・エア』のパスティーシュな後日談であるジーン・リースサルガッソーの広い海』では、バーサはロチェスターにとっていかに魅惑的な女であったかが表現されている。そこには『ジェーン・エア』では書かれなかった真実があると感じられる。
異郷の女性の姿をまとった「狂気」とは、男にとっての「逆らいがたい魅惑」と表裏一体のものだった。
 
ジュディは、『続あしながおじさん』では一度も孤児院に姿を現さない。
彼女の夫「あしながおじさん」こと、ジャービス・ペンデルトンとともに植民地ジャマイカに渡っている。
ジャービスもまた、植民地への野心を抱く男の一人であった。
ジャマイカはバーサ・メイソンの家系を生み出した地。こうして「屋根裏の狂女」のアイコンはジャマイカに戻ったのである。
 

 
一瞬も、耳を離せない講演でした。
19世紀後半から、植民地支配層の男たちに沈潜していた「欲望と恐怖」が、「優生学」という形を取った恐怖として世界に蔓延していく。
異文化・異民族をめぐる偏見が、ジェンダーバイアスと重なり「児童文学」にも大きく現れる。
ぞっとするような展開です。
教育と密接なかかわりを持つ児童文学は、先進的な思想を取り込みやすい面が、確かにあるように思います。
社会改革という「正しさ」や、未来を託す子どもたちへの大人の「期待感」は、斬新な思想と結びつきやすいのかもしれません。
作者本人は善意で書いている。そこに問題意識は生まれにくいでしょう。
森さんの講演は、そのような人間の「まずい在りかた」を、「屋根裏の狂女」のモチーフとして作品から抽出し、時代の潮流と関連付けていくことで、眼に見えるものとして意識化する、そんな果敢な取り組みではないかと感じました。

「自分にもバイアスは掛かってないだろうか。いや、きっと掛かっている」
…と、自問自答したくなります。
 
森さんが最後に示したのは、
映画『ジェーン・エア』でバーサを演じたヴァレンティーナ・カルヴィ
ゴッダードの著作に掲載されたデボラ・カリカック
そして、自らも「異郷の血」を持つといわれる作家ジーン・ウェブスターの肖像写真でした。
人に共通する「異郷の黒髪」「魅惑の瞳」に眼を奪われつつ、考え込んでしまったネコパパでした。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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