フィルハーモニカー・ウィーン・名古屋 第2回演奏会
2014年6月15日(日)
開場13:00 開演13:30
愛知県芸術劇場コンサートホール
プログラム
ヨハン・シュトラウスⅡ
行進曲「フランツ・ヨーゼフ皇帝万歳!」作品126
芸術家のカドリーユ 作品201
皇帝円舞曲 作品437
アントン・ブルックナー
交響曲第8番 ハ短調 WAB108(1939年第2稿ハース版)
2012年12月に第1回の定期演奏会を行った、個性的なアマチュア・オーケストラの2回目の演奏会を聴いた。
個性というのは、ウィーン伝統の楽器を使っていることで、特に管楽器については、基本的にウィーン・フィルと同じ物を使用するという徹底ぶりだ。
指揮者は、かつてウィーン・フィルのトロンボーン奏者を勤め、現在は後進の指導や指揮活動にも取り組まれているというカール・ヤイトラー。
前半にヨハン・シュトラウス、後半にブルックナーの大曲という、プロも吃驚の欲張りなプログラム。
さすがに練習時間は、十分とはいえなかったようで、最初の三曲は、弦の響きが頼りなく、シュトラウスらしい生命感や旋律美が溢れるでもなく…聴き手を引きつけ、酔わせる力はいまひとつ。
ヤイトラーの指揮は、後ろから見た限り、直立不動できっちりと拍を刻むことに専念していて、音楽も…そのとおりのもの。当時の有名曲が次々に現れる「芸術家のカドリーユ」は曲自体の面白に惹かれたが、ネコパパ愛好曲の皇帝円舞曲では、ついに睡魔に勝てず不覚をとってしまった。
しかし後半のブルックナーは、手ごたえ十分の演奏だ。
メンバー全員が思い切って音を出し、のびのびと演奏する。
ウィーンの楽器の燻んだ色香、とくに全曲に渡って音楽に深い隈取りをあたえていくワーグナーチューバ、前回の公演よりも強く余裕のある吹奏を響かせるホルン…
第3楽章アダージョでは、二台のハープが、弦にまったく埋没せず、澄んだ音をかき鳴らしたのも印象的だった。
ヤイトラーの指揮ぶりは、前半と少しも変わらず、こつこつと拍を刻んでいく簡潔さ。
速めのテンポを動かさず、
大げさな身振りもなく、
交響曲は、譜面にそって、あるがままに生成し、自然に起伏が生まれていく。
音のバランスを整えたり、フレーズの造形に凝ったり…といった、解釈の痕跡は、微塵もない。
それがおそらく、曲に合っているのだ。
神経質な弱音がなく、全ての音がしっかりと客席まで届く骨太の感触。
この指揮者は、自分の楽器トロンボーンの響きのイメージを、オーケストラにも投影しているかのよう。
それが、多少のミスや音程の乱れも傷と感じられない「おおらかさ」を生み出している。
久しぶりに感じる、この比類なき名曲の魅力に浸る心地よさ。
長大さが、大仰さや重圧感につながらない、不可思議な聴き心地。
世界のどこかにいる誰かが、ここにこうして生きている人々を、私を、無条件に肯定してくれるような安堵感。
こういうのを「懐が深い音楽」と呼べばいいのだろうか。
いや、ここには、音楽というものさえも消え去った、大きな懐だけが残っている。そんな気がする。
ブルックナーとは、いったい何者だったのか。
コメント
toy**ero
2014/06/17 URL 編集返信yositaka
2014/06/17 URL 編集返信