ベートーヴェン
交響曲第4番
交響曲第6番「田園」
サイモン・ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音2002年5月
ムジークフェラインザール、ウィーン
EMiクラシックス
サイモン・ラトルというと、すぐ頭に浮かぶのは、1987年6月、NHKで放送された来日公演における彼の服装。
燕尾服の上着の下に着用していた、真っ赤な腹巻き(カマーバンド)。当時32歳、鼠を思わせる当時の呼び名「ラットル」と、ちりちりに膨れ上がった髪型とともに、強く記憶に刻まれた。
バーミンガム市交響楽団を振った曲目は、マーラーの交響曲第1番「巨人」。
当時、演奏される機会がやたら多かった曲で、食傷気味の気分で聞き出した私だったが、、躍動感、音色感の豊かな演奏で、最後まで飽きさせることがなかった。
この人こそ、次代を担う指揮者の一人では…という予感がしたのものだ。
そのラトルが、ウィーン・フィルと録音したベートーヴェン交響曲全集からの一枚。
初来日から15年、満を持しての全集だったのだろう。
録音された2002年は、彼がベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督に就任した年でもあった。発売前から話題となり、期待を集めた全集だった。
「田園」を聴こう。
音楽は、速めのテンポで、あっさりと始まる。
まず耳に飛び込むのは、ほっそりと引き締まった、透明感のある音色だ。
音を伸ばす部分の弦が、ピリオド奏法で聞かれる「自然減衰」の響きを聞かせる。全曲にわたりヴィヴラートを抑制している感じはしないものの、ピリオド奏法を意識しているのは確か。想像だが、人数もかなり少なくしているのではないだろうか。
このシェイプアップした、透明な音作りによって、各パートがすっきりと見渡せる。
例えば開部に、管楽器のソロに合わせて弦がピチカートで伴奏する箇所がある。これは、同じウィーン・フィルを振ったベーム盤以外では、ほとんど聞こえないところだが、当盤では手に取るように聞こえてくる。
嬉しい。
ラトルの演奏を「伸縮自在」のスタイルと呼ぶ人がいた。
確かに言い得て妙。全体を見るとさらりとした運びなのに、
細部は徹底して作りこまれ、多彩な表情がつけられる。
声部のバランスは随所で変化。隠れがちな内声部、第2ヴァイオリンやヴィオラのパートが、時には主役となって躍り出る。ちょっとした「刻み」の部分ですら色分けがあり、テンポは微妙に伸縮する。
溌剌と変化に満ちた「不意打ちの」表情の連続。
それがラトルのベートーヴェン、ラトルの「田園」だ。
次は何をするのか、待ち構えながら聴いていくのは、面白い体験。
けれども、なぜか、だんだん落ち着かない気分になってくる。
好きな曲の隅々にまで光を当てた個性的な演奏なのに、どこか乗れない、夢中になれない自分がいる。
第2楽章では、ベーレンライター版の指示により弱音器をつけた弦が生み出す、霞みのように淡い響きの中、オーボエ、クラ、フルートが陶酔的なソロを披露していく。ここは理屈抜きで美しい。
躍動的なテンポで飛び出す第3楽章。
後半、リズミカルな第2主題が現れる直前、オーケストラは突如堰を切ったように高揚する。振り絞るような熱気が部屋を満たす。しかしそれは一瞬のこと。同じ主題の途中から一気に冷静さを取り戻す。
ここで私は気付いた。
この「伸縮自在」の演奏、面白いけれど、どこかで「醒めた眼」が光っているのだ。
多彩な表情の影で、音楽に没入していない指揮者。
彼は、音楽から少しの距離を置き、笑みを浮かべ、余裕のコントロールをしている。
われを忘れて音楽に没頭し、ときには激しく訴えかけることを、慎重に避けている。
もちろん、私の勝手な想像に過ぎない。
しかし、第3楽章の一節は、図らずもその抑制が一瞬途切れた…というように、感じられてならなかった。
村上春樹が、どこかでこんな意味のことを言っていた。
「真に優れた音楽とは、詰まるところ、死の具現なのだ。そして、その暗黒への落下を、僕らにとって耐えやすいものにしてくれるのは、多くの場合、悪の果実から絞り出される濃密な毒なのである。その毒がもたらす甘美な痺れであり、時系列を狂わせてしまう、強烈なディストーション(ゆがみ)である。」
私たち聞き手は、音楽に安楽だけでなく、どこか常軌を逸したような、「暗黒への落下」を聴きたいものらしい。たとえそれが「田園」のような音楽であったとしても。
温和と評されたワルター盤の苛烈なフィナーレ、枯淡と呼ばれたシューリヒト盤がときに聴かせる鋼のように鋭いボウイングが、思い出される。
ラトル盤のフィナーレを聞いていると、相変わらずよく磨かれた、センスのある、心地よい音楽だが、時系列を狂わせるような音楽は、最後まで聞こえてこない。
第3楽章で一瞬聞こえた「暗黒への落下」が再現することは、ないままに終わってしまう。
この録音から、すでに12年の時が過ぎている。
指揮者の成熟には十分な時間である。
音楽性の塊のようなラトルの熱情が、堰を切って溢れ出す。
そんな演奏を期待したいものだ。
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