子どもの視点から見れば


トリップ
■角田光代
■2004.4
■光文社

『キッドナップ・ツアー』で児童文学界の話題になった作者の、直木賞受賞後まもなく出版された短編集。
『キッドナップ・ツアー』は読んだけれども、なんとなく言い足りていないような、物足りなさが残った。
角田光代はもともとコバルト系のジュニア小説からデビューした人のようで、
子どもを視点にして書くという発想は身についているように感じられる。
それはこの短編集からも十分に感じられ、一般むきの小説として書いたものでも、その部分が光っている。

全体としての内容は、殺伐としたものだ。大人の小説好きが好む世界といってよいのかもしれない。

一つの町を舞台に、そこに住む人々の砂をかむような苦い日常が淡々と描かれている。
工夫は、一つの短編に脇役としてちらりと登場する人物が、次の短編の中心人物として描かれていく形式である。これによって、彼らの住む『町』そのものを主役とするひとつの長編という形が浮かび上がってくる。
児童文学なら、最後に全ての人々を関連付け一堂に集めるとか(岡田淳『雨やどりはすべり台の下で』)、最初の物語とつながり循環形式とする(谷川俊太郎の多くの作品)などの「完結性」「関連性」が求められるところだが、この本では放り投げられるように終わっている。

駆け落ちをすっぽかされ、母の友だちと川原に寝そべって大声でわめき散らすた女子高校生。
LSDづけの日常を子どもと共に送る主婦。
それに気づきつつ、町の隅々まで徹底観察をする専業主夫になった男。
地味そのものの肉屋に嫁いだ女性がふと思い描くもう一つの人生。


前半の物語に描かれているのは
当たり前に暮らしている人々のなかに、どうしようもない現実との軋みがあり、それに傷つきつつも、変化の兆しは見えない。それゆえ多くの物語は閉塞している。

しかし後半では色合いが変わってくる。

『きみの名は』
大学一年生で知り合い、憧れた女性への思い立ちきれず、本人に気づかれないまま、嫁ぎ先のこの町まで追ってきた男。彼の人生は彼女の観察をつづけることである。
やがて、ついに彼女に邂逅し、会話するチャンスが訪れる。しかし、それは幸福とも不幸とも言いがたい時間だった。

『百合と探偵』では、不満を抱えつつ生きてきた喫茶店の女性店主の人生が描かれるが、最終場面では、突如現れる娘が、彼女の人生を子どもの目から一刀両断にする。

そして、『秋のひまわり』
主人公は学校でひどいいじめに合っている少年。
花屋を営む母は、女癖の悪い父親に逃げられた。母親を気遣い、頼りになりそうな若い店員(マナベ)とつくっている、幸福な団欒をくずすまいと努力をする。
しかし、事態は悪化。店員に金を持ち逃げされ愕然とする母親にたいしてこんな思いを持つ。

以下、引用。

抱きしめて、そういうことってあるよと言ってあげたかった。
似合わないのにそこにいなくちゃいけないことって、あるよ。ぼくだってそうだよ。ぼくには十二歳という年齢はあっていないよ。小学校にいるぼくは場違いのきわみなんだ。そういうことってあるよ。ね。
(中略)
マナベさんの言ったこと(いじめに対する怒りの言葉)はあの一瞬だけでも本当だったと思いこもうとぼくは決める。
自分以外の誰かが歩む日々がよきものであるよう、だめ父が本気で祈ったように、あの持ち逃げ男も、自分とは関係ない、ひ弱な小学生の前途多難な日々が、どうか平穏であるように祈ったはずだと。



大人にとってやり切れぬ停滞と倦怠の場所であるこの町も、子どもの目から見れば決してそうではない。
子どもの視点はあくまで幸福の方向性を指向する。
そんな描き方をする角田光代は、やはりすぐれた児童文学者の血を濃厚に持った作家と感じる。

もう何冊か、読んでみようか。

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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