「愛読されなかった書物」の墓所

戦時児童文学論
小川未明、浜田廣介、坪田譲治に沿って



山中恒 著

366ページ

出版社: 大月書店 (2010/11)

 

本書の「あとがき」で、山中恒は自問する。
もし自分がこの時代に生きていたら、やはりそのような作品を書いたか…と。
そして自答する。
「私は臆病な小心者」だから書いただろう。
といって、当時の少国民としてこれらの作品を許すか否かは別問題だ…

児童文学の作家たちは戦争にどう協力していたのか。 
膨大な資料を駆使して、日本の戦中の児童文学について考察した本書の立ち位置は、そんな「殺される側」だった当時の少国民の視点である。
 
「そこには、何が書かれていたのか」

章を立てて取り上げられるのは、戦前の児童文学の御三家、小川未明、浜田広介、坪田譲治の三名。
誌面の都合で断念したとはいえ、他の多くの作家の動向についても随所で触れられている。

総力戦体制の最も強かった数年間、国体原理主義、教育勅語、文部省・厚生省の指導の影響を受けた彼らの作品を、筆者は一冊、また一冊と、かなりのスペースを取って紹介していく。
そこには程度の差はあれ、戦意昂揚、銃後督戦の色彩を強めていった様が明らかだ。
「未明先生、こりゃ行き過ぎというもんじゃありませんか」
等の独言をはさみつつ、作品そのものに語らせる姿勢は崩さない。

中で、ネコパパの印象に持っても強く残った作家は…小川未明だった。

戦前は人道主義、アナキズムに根差した『赤いろうそくと人魚』『野ばら』『金の輪』などの「名作」を書いていた未明だが、
日中戦争後は、日本少国民文化協会の中軸となり功利主義、自由主義に基づいた児童雑誌などを糾弾し、ついには国体原理主義を賞揚するに至る。
戦中の作品を、厭戦の思いに貫かれた『野ばら』と比較すると、同じ作家のものとはとても思えない。
 
未明にとっては、持論の「功利主義的作品批判」を応援してくれるなら、人道主義も国体原理主義も同じだったのかもしれない。
大正期、彼が普遍の価値を持つと信じた「童話文学」のジャンルは、思うほどには普及せず、少年小説、絵物語、漫画といった大衆メディアに押し流されようとしていた。彼にとって、それを排除してくれる国体原理主義は、渡りに船だった…そう感じられるほど、未明の戦中の主張と行動は、積極的に思える。
 
本書では具体的に触れられていないが、そんな未明が戦後何事もなかったかのように戦後民主主義に乗り換え、作品を書き続けたことも…これらの文面を読んでいるうちに、自然なような気がしてくる。
「童心主義童話文学」の隆盛こそ命題だった未明には、人道主義も、国体原理主義も、戦後民主主義も、結局は童話を文学として社会に位置付けるための「政治的な道具」に過ぎなかったのだ。
 
しかし、仏作って魂入れず…
そこまでして死守しようとした「童話の砦」の内側には、子どもにとっても、大人にとっても、面白さの欠如した、抜け殻のような作品ばかりが堆積していった。
浜田廣介、坪田譲治の作品も、そのなかに飲み込まれていったのである。

つぎつぎにタイトルを提示し、ストーリーが紹介されるが、まったく印象に残らない、「面白くないもの」ばかりであることが、かえって面白く、どんどん読み進んでしまう…
そんな皮肉な読み応えを、本書からネコパパは味わった。
これらの本は、古いにもかかわらず、美本の状態で入手できたそうだ。本書は、言ってみれば「愛読されなかった書物」の墓所なのだ。

書くということの恐ろしい、虚無的な一面をあぶりだす一冊である。この分野に関心を持たれた方にも、もたれない方にも、ご一読をお勧めしたい。
 
最後に、あとがきから引用。
事態が決して過去のことではないことを、明晰に語っている個所である。。
 
 
かつて、読書感想文コンクールの低学年向け課題図書になれば、家一軒分の印税が入るといわれた時代があった。その時、学校図書館協議会が「今年のテーマはエコだ」といったら、どの児童図書出版社も課題図書の指定をねらって、エコをテーマにした作品を出し、平和だといったら、平和を主題にしたものを出し、作家たちもそれに励んだ。それを国家規模で実行したのが、戦時児童文学であり、「時代的気分」である。それと同じように「時代的気分」が、再び私たちに覆い被さる事態が恐ろしいのである。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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