これは田園《行進曲》?

追悼 コリン・デイヴィス
ベートーヴェン:交響曲全集より

シュターツカペレ・ドレスデン
サー・コリン・デイヴィス(指揮)
 
録音:19912-199311月 ドレスデン、ルカ教会[デジタル]
Newton(PHILIPS原盤)



 

個性的なオーケストラの魅力を引き出した「中庸の美学」の演奏…
この盤は、そんなイメージで、聴き手に―あるいは未聴の人にも―受け止められているように思う。
CDショップのレビューを見ても、多くはデイヴィスではなく、ドレスデン・シュターツカペレへの賛辞だ。
それはそれで良いのだが、でも、これはそんなに指揮者がオーケストラに遠慮した演奏なのだろうか。

聴いてみた。

違う。
この音盤には、さりげないようでいて個性的な、いや、特異と言えるほどの特徴を持った「指揮者の音楽」が刻まれている…そう思った。
 
1楽章から、テンポは中庸。各楽器を均等にくっきりと、折り目正しく鳴らす。
でも、曲が進むにしたがって、強く、規則正しく刻まれるリズムが体を揺らすのに気づく。
頑固に動かないテンポと合わせて
田園の散歩というよりは、ザッ、ザッと足並みをそろえて行進する兵士のような律動の音楽である。

それは、第3楽章と第4楽章でも同様。
もともとリズミカルな第3楽章には、こういう音楽が似合うような気がするのだが
なんだかピシッとしすぎて、「田舎の愉しい集い」という感じは、あまりしない。
4楽章は、嵐の情景というよりは、はっきりと「嵐の進軍」をイメージするにふさわしい。

この3つの楽章を聞く限り、「田園交響曲」というより「田園行進曲」と呼ぶ方が当たっているのかな…
肩で風を切って進む。
でもどこかつっぱっていて、少しとっつきにくい。

第5楽章フィナーレは、この曲で唯一、金管の活躍する楽章。
金管の生かし方の得意なデイヴィスが、水を得た魚のように、輝かしく、厚みのある音色を全開させ、鳴り響かせる。
日頃、この曲の演奏では抑え気味になったり、あるいは柔らかく、角を丸めるように鳴らされるホルンやトランペットが、当盤では少しの遠慮もなく、弦楽器と対等の音で、しっかりと鳴らされる。
すべての楽器が肩を組んで、のびのびと高鳴る心地よさ。

そこには「ドレスデンの響き」と言われる渋みと「青空を見上げるような晴朗さ」のブレンドされた、魅力的な響きがある。
相変わらずリズムは強い。他の楽章と違うのは、それが耳につかず、快い聴き心地であること。
表現と響きが、自然に一致しているからなのかもしれない。
 
この演奏で、ただひとつ「律動の軛」から逃れている楽章がある。
2楽章だ。
木管楽器の響きが聴きものの楽章だが、ドレスデンの音の魅力が楽しめる。
ことに、デイヴィス自身の楽器だったクラリネットのソロは凄い。筆舌に尽くしがたい、「森の音」が聞こえる。
ゆったりと流れる音楽は、テンポを大きく揺らせ、陶酔の時を生み出す。
時折、あらわれるため息のようなリタルダント…
それは、進軍の合間に訪れた、小川のほとりの安息のひとときである。

 
コリン・デイヴィスの指揮を「ドット数の少ないデジタル機器のような”二進法”」と評した批評があるそうだ。
明確に律されたリズムによる音楽の推進力、整然たる美しさを持つが、反面、単純な音の増減、持続の連結になりやすい…そんな趣旨の評文だという。
この「田園」や、同じ全集に含まれる「英雄」を聴き、
そのあとにリズムが音楽の主体となる「第7」を聴いてみて、うーん、決めつけはよくないが、そういう見方も成り立つのかな…と正直、感じるところがあった。

 
ネコパパの、ちょっと不得意な演奏スタイルかもしれない。


でも、即断は禁物。まだまだ多くの美点を聞き漏らしているに違いない。
気を取り直して、聴きかえしてみたい。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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