限りなく沈黙に近づいていく

ジョージ・セル指揮 クリ―ヴランド管弦楽団
録音 1962119,21日、セヴェランス・ホール、クリ―ヴランド
プロデューサー トーマス・フロスト

 
ジョージ・セル、という人は、実はあまり聴く機会がない。

出会いは、鮮烈だった。1970年の初来日、東京での演奏会がテレビ放送された時だ。曲はシベリウスの交響曲第2番。
少年時代のネコパパ、初めて聞く曲だった。
ただそれよりも、初めて接する老指揮者の壮絶な指揮ぶりが目に焼き付いた。
鬼気迫るものがあった。
「この人、指揮台で死んでしまうのじゃないだろうか」
…と感じたことを覚えている。
彼は、既に末期の癌に侵されており、帰国後まもなく亡くなった。
 
このとき、指揮者というのは、なんという人たちなのだろう…と思ったものだ。
 
その後、音盤はときどき耳にする機会はあった。
シャープで切り詰めたスタイル、縦の線がピシッとあった精度の高い演奏とは思うが、愛聴には至らない…という具合だった。
もしかしたら、乾き気味の録音が多いせいもあったかもしれない。

 
さきの名古屋での「ミニ杜」聴き会で、マントさんが彼の「田園」を持って来られていた。
米エピックレーベルの初期盤で、とても貴重なものだ。





これは…確かに聴いた覚えはあるのだが、あまり記憶には残っていなかった。
セルといえば正確無比のやや冷たい音楽をつくる人、というイメージだが、この曲はそうでもないな…と思った記憶だけは、ある。
会では、第1楽章を聴かせてもらい、清冽な響きに惹きつけられた。
これは全部聴き直さなきゃと思い、先週大須のH堂に入った機会に、一枚求めてきた。
無論、初期盤ではない。CBSソニーが70年代末に発売した国内盤LPである。オイルショック後の、ペラペラの薄盤となったころのものだが、状態は良好。
 
第1楽章。冒頭のテーマからテンポは中庸、響きはすっきりとして大編成を感じさせない。フレーズの切り方は短めで、あるべき姿にピタリと収めている。
第2楽章も、清潔そのもので、特別な情感を込めるということがなく、対旋律もくっきりと浮かび上がる。この楽章はオーボエ、ファゴット、クラリネットなど木管の活躍が聴きものだが、それは意外に目立たない。トスカニーニやフルトヴェングラーのように弦の厚みの影になるというよりも、音の個性を抑え、バランスそのものを聴かせようとする感じ。コーダの小鳥が歌い交わすところも、音色を消して、音を弱め、静謐な美感を感じさせる。
第3楽章。リズムの切れと躍動感が高まり、木管群の名人芸がはじめて表に立ってくる。意外に思うほどあっさりと通り過ぎる(きっとそう聞こえるほどの名人芸なのだと思う)4楽章をへて、フィナーレへ。
終楽章こそ、この演奏の最大の聴きものかもしれない。
全体に表現にしても音量の幅にしても、振幅を抑えた前の4つの楽章に比して、ゆっくりしたテンポを取って弾き進む。
大きく歌い上げることはせずに、淡々と進んでいくという基本は変わらない。
違うのは、切り詰めた音が、次第に凄味を帯びていくことだ。
コーダに向かって感慨深げに音楽が落ち着いていく後半では、各パート一人の室内楽のように研ぎ澄まされた響きが、どんどん息をひそめていく。
まるで、限りなく沈黙に近づいていくような…
出番の少ないトランペットの一声が、啓示のように空気を切り裂くのも印象的だ。
最後の数分間、ネコパパは、昔映像で感じた「鬼気迫る感触」が身に迫るのを感じていた。 


節度と抑制に満たされながら、内には緊迫に満ちた音楽がある。 
こんな「田園」もあるのだ。
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コメント

コメント(4)
No title
ジョージ・セルのことはネコパパさんと、もう何十年と話してますよね。今から三十年以上も前、ネコパパさんが自宅に遊びに来た時モーツァルト40番をかけた時、お袋が「こんなキリキリのパサパサ、40番じゃない。」って怒っていましたね。しかし、大学2年、親戚の家で41番を聞いた時、まだ聞いたことのないシューリヒトの41番にかなり近い点があるのじゃないかと想像し、三年半の後本当にシューリヒトを聞けた時、ちょっと重なる点を発見できたものでした。さらっとクールに聞こえながらも清冽な響きと高所から眺めると見える造形美。そんなところが重なったようです。もちろんシューリヒトとセルの出来上がった作品はまったく違っていました。しかし、セルのいわば命を懸けた透徹の美は、好き嫌いはあれど、凄みを持っていると思っています。

toy**ero

2013/06/07 URL 編集返信

No title
sige君、確かに話題には何度も出ましたね。70年代は吉田秀和、三浦淳史らの評論家がセルを孤高の完全主義者として評価したことも、存在感を高めました。彼の古典派作品の完成度は見事ですが、愛聴したいと思うのは、彼としては望郷の念が情感としてにじむ、ドヴォルザークやスメタナですね。私にとって最高の一枚は、フルニエと共演したドヴォルザークのチェロ協奏曲。

yositaka

2013/06/08 URL 編集返信

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ねこぱぱさん。セルの音楽は演奏の精度、『ロシアのとは又異なりますが)特に音の消え儀派の揃ってる感じが白眉に思ってます。一見淡々とした趣きながら、木鶏の凄みを感じます。私には水が清すぎて住処にならないのです。愛聴盤にならない理由はそんなところでしょうか?名演だと思うのですけどね。乾き気味の音はアメリカのマイナーレーベルの特徴みたいですよ?材質が影響してるのかな?

マント・ケヌーマー

2013/06/13 URL 編集返信

No title
マントさん、セルの真価は音が弱くなっていくところや響きの薄い部分に顕著にあらわれていますね。「音の消え際の揃ってる感じが白眉」とは、まったく同感です。音質が乾き気味なのは、会場の残響が少ないこと、また、それに対して技師がエコーを加えるなどの操作をあまりしていないためではないかと思います。すっぴんの響きがいかにも彼らの演奏に会っている気もします。晩年、同じホールでEMIが録音したとき(ドヴォルザークの第8など)はもっと響きのある音になっていましたが、これはどうしたことなのか…

yositaka

2013/06/14 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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