関西学院創立125周年記念事業 世界市民フォーラム in 名古屋②
パネルディスカッション「新たな共生を求めて ~東アジアと日本~」
参加者
姜 尚中(聖学院大学教授 政治学)
平岩俊司(関西学院大学教授 現代朝鮮論)
木村 文(フリーランス記者 在カンボジア)
阪倉篤秀(関西学院大学教授 中国明王朝史)
木村 カンボジアは日系企業の進出先で、日韓のせめぎ合う場所になっています。
人口1500万人の小さな国ですが、工場では日中の社員が一緒に働いている現場があります。そんな中で、新しいメディアの創刊を目指して取り組んでいるところです。
平岩 地域主義と言いますか、アジアでは価値観の格差が大きい。
みなアジアの人間だという自覚が必要です。格差は以前よりも減少してはいますが。
韓国は中国への依存度が大きい。北朝鮮問題、6か国協議へは私も期待しますが、北朝鮮については、各国の認識が違うのが問題です。中国と韓国は、北朝鮮をあまり刺激したくない事情がある。日本のように圧力一本というわけにはいかないのです。
阪倉 私は1990年に一年中国に滞在しました。今の中国は1990年代とは全く違う国のように思えます。
姜 中国の勢いは強く、他国による「封じ込め」はできない状況でしょう。しかし食料自給率は低下しています。韓国は、もともと日本より自給率は低い。両国とも、エネルギー問題を抱えています。
この状況での「安全保障」は、軍事面に限らず、災害支援なども含めた、広い意味でとらえなければならないと思います。原発についても、安全面の問題がある。個々で協力ができるよう、体制を作るべき。韓国も中国も、原発事故や被曝についての知識は日本に比べれば、ずっと不足しています。「ヒロシマナガサキ天罰論」もそういう土壌から生まれてくるのでしょう。
阪倉 マスコミの問題もあります。不信感や危機感をあおる。
木村 アセアンについて、お話します。2000年から続けて取材していました。現在は10か国が参加して、会議は年間100回以上行っています。何かが決まるというのでもない、前進のない会議も多い。でも凄いのは、毎年全員が集まること。なぜそれができるのかと言えば、みな途上国で、中国や、インドに飲み込まれないために、固まろうとしているからです。彼らは経済発展のためには平和が不可欠ということを痛感しています。カンボジアにしても、ポル・ポト時代の傷は、今も癒えていません。
平岩 韓国の大きな変化は、民主化によるところが大きいですね。
姜 吉野作造は「外交問題は内政問題」と言いました。外交と内政は深く関連している。アメリカには情報公開制度があります。どんな情報も、30年で全て公開される。しかし東アジアには、そういう制度はなく、だれもが重大な情報にアクセスできない。また、国民の情報への関心も低い。
ここでの世論は、メリハリのある、単純な言葉で理解したがる…ここから、世論が外交をおかしくすることもありがちなのです。
韓国は、大統領が変わると方針が180度変わってしまう。フランスのように、保革合同の仕組みがあって、どこが政権を取ろうと外交方針がぶれないことが必要なのです。
むしろ韓国は、北朝鮮を利用して、国是を左右している様子がある。
日本は、政権獲得のハードルが緩く、選挙で大勝しなくとも、政権を取れてしまう。今回の自民党もそうです。世論は、もっと賢くならないと。外交の前に国内の民主主義が正しく機能しているかが大事なのです。
平岩 外を見させて国民の目をそらす手法にも、引っかかりやすい、というわけですね。
阪倉 世論の形成には、マスコミの影響が大きい。テレビでニュースがワイドショー的に取り上げられ、興味本位の発言が、無批判に受け取られがちです。
どうしてこの人が語れるのか…という人がコメントしている場面も多い。
平岩 まあ、専門家だけで話をしていてよいのか、という気もしますが…メディアは過激になりがちで、専門家は細かいことにこだわりがち。
国民は、ちょっと立ち止まることが必要です。
阪倉 東南アジアは、日本にとっては、ある意味ヨーロッパより遠いところですね。
木村 観光スポットとして見始めたのも最近のことで、それまでは一般に、貧困のあるところ、というイメージでした。でも今は、東南アジアで起業したいという20代も増えてきています。日本は、東南アジアの若者に助けられているという認識を持って、パトナーシップを作っていく必要があります。
阪倉 知ることで終わらないように。姜さんのことば「俗情との結託」は強烈でしたね。状況が厳しくなるほど、そうなります。姜さんは「伝達者」でありたいという位置で話しておられますが…「危険な言動」についてはどうお考えですか。
姜 民主主義と資本主義は違います。今は、だれがリーダーとなっても「経済」に従わざるを得ません。しかし投資家は、民主主義とは無関係です。
一方、民主主義は国家の外には出られない。外国人の参政権は認められません。国で決められることが狭まっているから、皆スポーツに熱狂するのです。国民が国というものの無力化を実感しているために、ナショナルブランドを欲する気分が高まるのです。
必要なのは、プラスではなくマイナスを分かち合う姿勢。たとえばドイツはそういう姿勢があります。そういう国は、失言、放言、「危険な言動」も、少ないように思えます。
阪倉 愛国心とはなんでしょうか。
平岩 韓国では、愛国はいつも意識させられます。逆に日本では、意識しない。ナショナリズムのコントロールは難しい。国同士が協力するには、その協力の理由を具体的に議論しなければなりません。
木村 東南アジアに住んで思うのは、日本はもっと自国を知ってもらう努力をすべきだということです。
3.11のとき私はカンボジアにいました。貧しい国なのに、カンボジアだけで、一日で3000万円以上の寄付金が集まりました。それに対して日本は、きちんと情報を伝えているでしょうか。
姜 話し合いが成立するベースは、共通体験です。「貧しい」「かつて植民地だった」…南米では独立運動を共有。アメリカ・ヨーロッパでは、キリスト教。
でも日・中・韓には、それがありません。強いて言うなら、ワールドカップでしょうか。ここで協力できた、という実感を、大切にしていかなければなりません。まずは「非核の意識」で協力するしかない。
韓国は、当面「親米和中」でやっていくしかない状況ですが、将来はベネルクスのように、国と国との「緩衝」として生きるしか、道はないでしょう。では日本は?
在日韓国人として、私の本音を言いましょう。
日本は、今も韓国に比べればずっと大国です。大国として、韓国を支える立場を、取るべきではないでしょうか。等身大で論難し合っている現在の関係を構築しなおすには、意識を変えていくしかありません。
あるべき理念を語った基調講演をうけて、パネルディスカッションではより具体的に踏み込んだ議論になりました。
姜さんの発言には、思い切ったものを感じます。スポーツへの熱狂を裏付けるもの、日韓の立ち位置への提言など…最近、韓国の実情をつぶさに視察した(NHKで放送されました)姜さんの実感が、そこにこもっているのでしょう。
朝日新聞社の記者として東南アジアで活動し、若くして支局長となりながら退社して「草の根運動」に生きる決心をしたという、木村文さんには、もう少し話をお聞きしたかった。
世界に広く報道できる立場をあえて捨ててまでカンボジアに生きるという選択はどのように生まれたのか。
ご発言が少なく、またフロアーからの質問の時間もなかったことが、残念です。
姜さんには「世論」と「俗情」との境界についても、さらにお話を聞きたいと思いました。
見識ある世論を形成するのも市民なら、俗情をふんだんに持ち「火事装束に踊らされる」のも、同じ市民だからです。
ならば「世界市民」となるための資格とは?
いろいろな意味で「揺さぶられる」フォーラムでした。
後日、朝日新聞紙上で詳しく報道されるとること。どんな記事になるのか、楽しみです。
コメント