東アジアの開かれた地域主義に向けて

関西学院創立125周年記念事業 世界市民フォーラム in 名古屋①
 
アヤママとふたりで聴講しました。
会場は、ANAクラウンプラザホテル グランコート名古屋。豪華な会場です。
朝日新聞に掲載された広告で知り、事前に申し込んでいたのです。抽選での招待が、二人とも「当選」。どれだけ人が集まっているのかな…と懸念していたのですが、500人収容の会場は、ほぼ満員でした。
 
姜尚中(かん・さんじゅん)氏の基調講演「東アジアの開かれた地域主義に向けて」を冒頭に、関西学院交響楽団メンバーによる15分間の弦楽四重奏を挟み、後半はパネルディスカッション。
デスカッションのテーマは「新たな共生を求めて ~東アジアと日本~」。
パネリストは姜氏のほか、平岩俊司氏(関西学院大学教授)、木村文氏(フリーランス記者)の三氏、コーディネーターは阪倉篤秀氏(関西学院大学教授)でした。
 
例によって、メモ書きをもとに、概要をお伝えしましょう。
まずは、基調講演について。

 
基調講演「東アジアの開かれた地域主義に向けて」    
                        政治学者 聖学院大学教授 姜尚中


 
唇歯輔車(しんしほしゃ)という言葉があります。
中国・韓国・日本、この三国は本来そういう関係でした。おそらく本来は、北朝鮮も。

私の故郷は、夏目漱石草枕』のゆかりの地です。主人公の立ち寄る茶屋のあとも残っています。
『草枕』に書かれているのは、ここではない、どこかに「引っ越したい」という気分です
この三つの国に住む人たちも、もしかすると、同じ気持ちかもしれません。
漱石の時代の日本は、戦争に明け暮れた時代でした。
関西学院大学は、キリスト教主義の大学ですから、聖書の引用をしましょう。
新約聖書コリント人への手紙、第12には、一つの御霊を共有しているはずの人々が、互いに罵り合い、憎みあう現状を嘆く言葉が出てきます。

 
肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
からだは一つなのである。

 
最近報道された韓国の「ヒロシマ・ナガサキ天罰論」の主張などを聞くにつけ、
この言葉がしきりに胸に去来するのを覚えます。
テーマに掲げられた「世界市民」という言葉。それはドイツの哲学者、イマヌエル・カントの著書『永遠平和のために』に記された言葉でした。
永遠平和…という言葉も、皆がこぞって絵空事と馬鹿にする言葉でした。
数百年たっても、その状況は変わらない、ということでしょうか。
 
東アジアとはなにか。東南アジアとは。北東アジアとは。
そして「地域」とは。
「地域」は国を超える概念です。しかし「グローバル」とは違います。現代は地域ではなく、グローバル規模での変動の時代。大揺れする株式。国益。
TPPは地域よりも広い範囲での取決めです。エイペックもアセアンも。

北東アジアという地域。日本・中国・朝鮮半島。人によってはモンゴルも入れます。
世界のGTPの約20%がこの地域で占められています。経済関係は互いに深い。しかし信頼関係はぎくしゃくしていると認めざるを得ません。
相互依存と相互不信。なぜ、そうなったのか。
ひとつには、力関係の移動。中国の台頭。大中華圏の経済力の拡大です。
相対的にアメリカ合衆国の経済力は低下。アメリカの得意とする軍事介入の余力も、減少しています。
一方で朝鮮戦争に新たな進展が。休戦協定から60年後の今になって、北朝鮮の一方的な休戦破棄という事態となっています。
日中関係も、また厳しい。国交が途絶えた状況にあるといえるでしょう。
もちろん日韓関係も厳しい。問題も多いけれど、幸い日韓には民間レベルで裾野の広い関係があり、交流は今も盛んです。
北朝鮮には…特使を派遣しました。しかし依然、国交の見通しもありません。
 
一方、ヨーロッパはどうか。CESE(安全保障会議)が1970年以来開かれ、35か国が協定にサイン。
1975年から、緊密な相互対話のできる体制を作りました。
東南アジアにはアセアン(東南アジア諸国連合)がありますが、北東アジアにはそういう会議もありません。
とにかく小さな会議であってもやらなければ、いつ軍事衝突が起きるかわからない状況になっています。 
ナショナリズムは、どの国にもあるものです。
それは一度火が着くとコントロールできない危険性を持っています。最低限度の認め合いが、冷却装置の役割を果たすのです。
現在の最も大きな危機、それは北朝鮮クライシスだと考えます。
北朝鮮は、5年以内に核武装を果たす可能性がある。
そうなれば、最悪、関係国すべてが核武装に走るという「核のドミノ現象」の恐れすらあります。
フィデル・カストロは、東アジアの情勢を「キューバ危機以上の危機」と呼んでいるそうです。
 
この危機を回避するには、私の持論ですが、か国協議しかない。こそ最終的な場と考えます。
1980年代、ドイツは何故統一を達成できたか。ハンス・ディトリッヒ=ゲンシャー外相の外交力、いわゆる「ゲンシャー外交」の力でした。彼は50年代に東ドイツから亡命した人です。
「外交とは、存在する以上、交渉する」との言葉を残しています。
日本も、率先して汗をかく必要があるのではないでしょうか。

アメリカ
中国
ロシア
韓国
北朝鮮
日本

六者協議の中で、さらに二者、四者の協議を進めていく。重層的な話し合いです。
楽観的には、これは安全保障の枠組み作りに持って行ける可能性があります。
鍵は「世論」。

政治家には「俗情との結託」を目指そうとするものがあり、そこに「失言」「失策」を生む土壌があります。
それを牽制するメディア、大学、マスコミの役割はとても重要です。「市民」の役割もまさにそこにあります。
 
夏目漱石は講演『私の個人主義』のなかで言っています。
「国の安否が係るときには、個性などとは言っていられない。しかし、便所に行くときまで愛国はできない」
愛国は等身大にもつ。朝から晩まで愛国ではなく、平常心が必要です。
「火事装束で触れ回る」人々に、市民は振り回されてはいけないのです。

私は楽観的に…そういう姿勢が事態を問題解決に向かわせるはず、と考えているのです。
 
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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