11の声
カレン ヘス Karen Hesse (著)
伊藤 比呂美 (訳)
理論社 (2003/08)
1924年、黄金期のアメリカ。北部のヴァーモントの片田舎にも、クー・クラックス・クランはやってきた。アフリカ系の少女、ユダヤ系の少女、KKK団員の少年を中心に、平凡な毎日をくらす11人の人々の声を通して、そのとき村で何が起こったのか、何が起ころうとしていたのかが、徐々に明らかになっていく。市井の人々の中にかつて確かにあった、アメリカの良心とは何なのか、人間個々人が持ち合わせている、弱さや強さ、苦悩や迷い、甘さや成長、希望やあかるさを描き出す。当時の資料を調べ尽くして書いた臨場感からか、読みながらそこに自分が居合わせたらどうするだろうかと問いかけてくる作品。11人の語調の豊かな広がりは、詩人訳者の真骨頂。(出版社内容紹介)
これは「時代の記憶を伝える」作品の一つと言っていいでしょう。
舞台はアメリカ北部の小さな田舎町。
物語は、町に住む11人の独白を通して語られていきます。
とりとめのない片々の言葉から、KKK(クー・クラックス・クラン)団が暗躍した時代の、アメリカに暮らす人々の生活に潜む偏見の闇と、揺れ動く人々の気持ちがすこしずつ浮かび上がってきます。
中心人物は、十代のアフリカ系アメリカ人、レアノラ・セッター。
差別される立場にありながら、背筋をぴんと伸ばして、自分の良心に従って生きている女子高校生です。
彼女と対比されて描かれているのが、マーリン・ヴァン・トーンハウトというサクソン系の男子。
「オレは、教室の窓を、目いっぱい押し上げて、開いてやった。レアノラ・セッターの臭いで、臭くてたまらなかったんだ」
この二人が、とくにクローズアップされているわけではありません。
ですが、人種差別意識の持ち主であったマーリンが、レアノラの姿に揺さぶられ、自らの意思で価値観を変えていくところは、やはり、本書で最も印象の強い「読みどころ」でしょう。
6歳の視点で、見たまま、感じたままを、イノセンスな残酷さもそのままに、語っていくユダヤ人少女エステル。
彼女の描き方も「児童文学」の書き手にはハードルの高いものでしょう。
「これが児童書?」という声も聞こえてきそうです。
確かに、何の予備知識もなく、互いの関連もつかみにくい独白を読み進んでいくのは、子どもたちには難しいかもしれません。
60年代に「ジュニア・ライブラリー」を出していたころの理論社なら、物語の時代背景やテーマを巧みに暗示した「まえがき」を用意したところでしょう。(多くは小宮山量平の手になるものでした)
KKKといっても、すぐピンとくる読者は、きっと少ないはずですから…
改定再版の価値は十分にある一冊です。
11人の声を見事に訳しわけた伊藤比呂美の苦心に応えるためにも。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
コメント