5月某日。
DVDで市販されたばかりの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンのドキュメンタリー映像がNHK-BSで放送された。原題通り『カラヤン ザ・セカンド・ライフ』と題しての放送だった。
『第二の人生(あるいは生活)』という意味か。
ちなみに、セルDVDの邦題は『蘇るカラヤン』…うーん、捻りなさすぎ。
第二の人生、といっても引退後の生活ではない。
帝王にそもそも引退の文字はなかった。ドキュメンタリーのお約束として、彼の「帝王」としての業績や音楽、無念の晩年…彼の人生を概観する部分もあるが、大半は録音現場の様子に焦点を絞っている。
冒頭のイメージ映像。ベルリン・フィルハーモニーホールの指揮台に乗った、いかにもハイエンドなレコードプレーヤーに針が落ち、音楽が流れ出る。指揮台を取り囲むのは、楽員ならぬ、数百枚のレコードジャケットだ。
「セカンド・ライフ」とは「ファースト・ライフ」としてのコンサート活動に対比させた「レコード人生」を指す言葉なのだ。
そうなると…音盤愛好家にとって、これほど面白いドキュメンタリーはない。
例えば
よく逸話で語られている「指揮台を離れて調整室から音を聞いた」エピソードが、そっくりそのまま映像として見られる。
合唱を伴う作品でカラヤンが起用していたウィーン楽友協会合唱団は「実情は下手な団体」と噂されていたが…その実態も暴露される。
バッハの『マタイ受難曲』の録音中。
細かい音が歌いきれない合唱に、何度も支持をだし、やり直す。「では、もういちど」とカラヤンが指揮棒を振り下ろすや、オーケストラに遅れて、ぐしゃっと、ずれる。
すかさず入るコメント。
「この合唱団にはカラヤンの要求どおり歌う力がありません。彼はなぜこの合唱団を起用したのか?」
指示に応じて修正したテープを、彼が席を立った隙にすばやく元に戻す場面とか
彼が成功したのは指揮者不作の時代だったからだとか、
穏やかにリハーサルを進めようと努めていたが「温和な指揮で成功できたのは、歴史上ただ一人、ワルターだけだった」といなされたり…
「いずれ彼のレコードは聴かれなくなるだろう」といった、辛辣なコメントも多い。
まあ、今だから言えるのでしょう。
初公開されたDGの録音エンジニア、ギュンター・ヘルマンスとの電話でのやり取り。
ヘルマンスが個人的に録音していたものという。
「この部分はオーボエが強すぎる。旋律線が隠れてしまう。オーボエだけ下げられないか」
「ここ、四小節のところが私には五小節に聞こえる。別のテイクが紛れ込んでいるかもしれん。チェックしてほしい…」
細かい…一日の生活の半分を録音チェックに費やした…というのも、納得できる。
そんな彼だが、奏者のミスには寛大で、ミスの修正のための編集は嫌がった。鷹揚なプロデューサー、ミッシェル・グロッツは好まれ、ミスにうるさいハンス・ウェーバーは嫌われた…
完璧主義と言われながら、現場主義の一面もある。その匙加減が面白い。
圧巻は、EMIのエンジニア、ヴォルフガング・ギューリッヒに商売敵DGのヘルマンスとのやり取りや、録音現場の様子を視聴させ、コメントさせる場面だ。
いや、よくOKが出たものだ。
制作時、すでに両社の合併が決まっていたから、こんな企画ができたのか。
「ヘルマンスは、単一指向性のマイクを楽器に近づけて録音し、背面の音は消音した。一方私は、無指向性マイクを使い、オーケストラから距離を取って音を拾い、全方位の音を録った。『丸い』音空間の再現を求めたのだ」
ギューリッヒのこの言葉は、DGとEMIの音の違い、ヘルマンスとギューリッヒによるサウンド哲学の違いを明らかにしている。
必然的にDGはミキシング技術を駆使したマルチマイク録音となり(マイクを数えたら61台あった、というコメントも入る)EMIはワンポイント収録に近くなる。
ギューリッヒはあくまでライヴの音響を理想とし、そこに近づけるべく腐心した…ということらしい。
カラヤンは、いずれの方式も許容し、両者をうまく使い分けた…かもしれないが、オーディオファンの間でのEMI録音の評価は、概して高くない。「丸い音」は「ぼけた音」と受け止められている…
ネコパパは思う。問題は方式の違いではないのでは。
ギューリッヒは、とにかくライヴ至上主義者らしい。会場での生音は結局、録音には収めきれない…と苦々しい顔でぼやいている。
現役時代はそうじゃなかったかもしれないが、なんだか、限界に挑戦する気概が伝わってこない。彼はエンジニアとして、自分の制作した録音に誇りを持っていないのだろうか。
この二人についてのカラヤンのコメントが残っていたらいいのに!
演奏場面の映像も、かなり収録されている。
カラヤン自身の監修した「販売するために作った映像」ではなく、実際の記録映像が多い。
特に全編に登場するマーラーの交響曲第5番は、画質は荒いが、舞台裏も含めて帝王のコンサートの様子やカラヤンの熱演ぶりを生々しく伝えていて、見ごたえがあった。
見逃された方、きっと再放送されると思います。
次回はお見逃しのないように…。
さて、ギューリッヒ氏のコメントを確かめようと、ちょっと音盤の聞き比べをしてみた。
取り出したのは…
フィルハーモニア時代のEMI盤「オペラのバレエ音楽」(米ANGEL LP)
そして、ベルリン・フィルとのDG盤「時の踊り」(DG国内盤)
EMIはふっくらとした自然な音で、ずっしりとした低音も魅力。
一方のDGは個々の楽器が鮮明で、艶やか。
どちらも、会場の残響はよく取り入れられている。ロンドンのキングズウェイ・ホールも、ベルリン・イエス・キリスト教会も、響きの豊かな会場だ。
でも、もしかすると…DG盤、人工的なエコーを少し加えている?EMI盤は確かに会場の雰囲気を再現する、ぬくもりのある音だが、いい装置を使わないと鳴りきらない種類の音かも…
ネコパパのは「いい装置」じゃないしな。
DGは華麗で、くすぐるような耳の快感がある。
そして、おそらくどのレベルの再生機器でも、それなりに「よい音」と聞き取れる鮮度と音圧を持っている。
でも、音よりも顕著なのは、演奏の違い。
得意の曲目、どちらも存分に楽しめる。けれどネコパパが好きなのはEMI盤だ。フィルハーモニア管弦楽団には華麗な音色や、陶酔のピアニッシモはないものの、代わりに引き締まった音の緊張感が、心を熱くするから。
カラヤンという人は、どんな小品だろうと、名曲は名曲として聴かせる。
これぞ、一代の名指揮者の技。
コメント
SL-Mania
2013/05/24 URL 編集返信構成も巧みで、音楽ドキュメンタリーの作り方も随分成熟してきたなと思いました。
といって、購入するには躊躇します。一度見ればいいので…
再放送に期待ですね。
yositaka
2013/05/24 URL 編集返信geezenstac
2013/05/24 URL 編集返信現在の録音現場は更に分業が進み、こうした葛藤が起こる余地もないのでは…僅かなリハですぐ本番、それをライヴで録って販売するのですから…
yositaka
2013/05/24 URL 編集返信ハルコウ
2013/05/25 URL 編集返信yositaka
2013/05/25 URL 編集返信