現世への去りがたい思い

マーラー:交響曲第10番~アダージョ 



ヘルマン・シェルヘン指揮 
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
1953.7 ウィーンコンツェルトハウス・モーツァルトザール
ウエストミンスター・レガシー管弦楽編より
 
 
中川右介著『未完成(角川SS新書)は、古今のクラシック音楽で未完成に終わった作品を取り上げ、その周辺事情を洗いなおす…という興味深い一冊。
これによると、このマーラーの交響曲第10番は、未完とはいえ、スケッチは最後まで完成し、適切な手入れ(補筆)をすれば全曲演奏も十分可能という。その補筆版による演奏も、現代ではかなり行われている。
 
マーラー紹介に熱心だった弟子筋の指揮者たちは、オーケストレーションが完了している「第1楽章アダージョ」のみを演奏するのが常だった。
アルマ・マーラーの伝記の影響もあり「この世との惜別を歌う音楽」とされることが多くなった。
 
このようなメッセージを音楽に求めるのは、中川氏に言わせれば、お門違いだ。
マーラーは、この曲もいつもの習慣通り、夏の休暇をつかって作曲。スケッチは完成し、第2楽章の途中までオーケストレーションを仕上げた。
そこで休暇は終わり、指揮者の仕事に戻ったのだが、突然の病のため、翌年の夏は来なかった。
「アダージョ」にこの世との惜別の思いなど、入り込む余地はない。
 
1953年録音のシェルヘン盤は、この曲の録音としては初期のもの。
いや、もしかすると初の録音か。
晩年のバーンスタインが26分かけて嫋々と歌い上げたこの楽章を、シェルヘンは28分越えというさらに遅いテンポで演奏している。
前半の感傷的な主題を深い感情移入をもって演奏するのはもちろんだが、後半から終盤にかけて、どんどん遅くなり、最後のあたりは「いくらなんでも、止まりそう」なくらいの牛歩演奏となる。
マーラーはこれほどに「去りがたい思い」を抱いていたんだよ…
と語るかのような演奏ぶりなのである。

これを曲の実態を歪めた粉飾演奏と取るか、主観的表現の可能性を極めた演奏と取るかで、評価は大きく変わってくるだろう。
ネコパパは、これは愉しい、と思う。
案外、中川氏もそう思うかもしれない。

往年のスイスの指揮者、ヘルマン・シェルヘンは、独特の面白さを持つ人だ。
ウエストミンスターにはかなりのタイトルを録音しているが、どれもが彼の個性を刻印した、貴重な記録だ。
合奏の精度や音程などには、あまりこだわらない。素人のネコパパか゜聞いたって、なんておおらかな合奏だろうと思うくらいだ。
その一方、「自分はこう感じているんだ」「こういう音楽にしたいんだ」という表現意欲を貫くことには、妥協がない。
音楽にのめり込み、興に乗れば声で気合を入れ、譜面台を叩き、足を踏み鳴らして楽員に要求する。
その要求も、曲によって変わるし、同じ曲でも、どうも、演奏のたびごとに変わるんじゃないかな。
日本では、癖の強い人、と呼ばれて…あまり高い評価は得ていない。

感情移入が激しい割に…矛盾するようだが、響きには湿っぽい感じがない。
クールでさっぱりとしている。ざっくりと荒いが、混濁感がなく、透明だ。
そのために、これだけ自由にやっているのに、あまり古臭い感じはしない。
近頃は、癖があってしかも神経質な演奏も多いので、シェルヘンのような嫌みのない自由さは、新鮮と感じるのかもしれない。
 
ウエストミンスターのセットには、ほかにも、マーラーの第1、第2、第5、第7が収録されている。
どれも速い楽章はさばさばと進め、緩徐楽章はじっくり遅くする。
俺は遅い楽章が大好きなのさ、文句あるか!
…という指揮者の気持ちが手に取るように伝わってくる。

中でもこの第10番、そして第2番「復活」が、とびきりの演奏だと思う。
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コメント

コメント(6)
No title
第10番を惜別の歌と解釈するのはどんなものでしょうか。しかし悲鳴のようなトランペットの高音のロングトーンは逆に死にたくないと言っているように私には感じます。ともかくも全部で5楽章につもりで構成設計はなされていたようですね。

ヘルマン・シェルヘンは実にユニークな指揮者ですが、仲間内でも何でいいのかわからないという奴もおれば、熱心に聴いている奴もいます。第5番はフィラデルフィアに客演した折のライヴ盤が手許にありますが、凄く速くしかもカットもあれば、書かれたように他の作品では遅くなったりしますね。これはこれでいいのではないかと思っています。

SL-Mania

2013/02/18 URL 編集返信

No title
シェルヘンはベートーヴェン交響曲全集のスタジオ・ライヴの発売が契機となって、日本では見直しが進みました。
これは、緊張感の途切れぬ熱演もさることながら、全曲がまとまった印象を与えるという点で評価しやすいものでした。
ウエストミンスター録音は、曲ごとのばらつきが大きく、ひっくるめて言うと「得体のしれない変わった演奏。でもオーケストラが下手」ということになり、評価を受けるには不利でした。でも、じっくり聴くと味があり、忘れ去られるには惜しい、唯一無二の音楽だと私は思います。

yositaka

2013/02/18 URL 編集返信

No title
シェルヘンは最も好きな指揮者の一人です。
音楽に対する真剣さが桁違いであると思います。
これだけ熱い人は稀だと思います。
自分のキャラクターを演奏に100%ぶつけているので、ある種の後ろ暗そうなところが微塵も無いように感じるのも魅力です。

不二家 憩希

2013/02/19 URL 編集返信

No title
不二家さんのおっしゃる通り、同感です。シェルヘンは、良い意味でアマチュア精神を持ち続けた人ですね。
彼は指揮も独学だったそうですが、のちに指揮法の本も書くという自信家ぶりを発揮しています。その本には「自分のやりたい解釈は100%要求すること」なんて書いてあるのでしょうか。いや…案外素知らぬ顔で「主観は抑え譜面に忠実に」なのでしょう。

yositaka

2013/02/19 URL 編集返信

No title
作曲の背景はなるべく知らないようにして聴いているのですが,第10番アダージョの「突然金管によってコラール的な絶叫“カタストロフィ”が吹き上がる。第2主題が示されるが、動揺は治まらず、不協和音が次々に重ねられるなかをトランペットのA音が貫くように奏される(ウィキペディアより)」という部分を初めて聴いたときの衝撃が忘れられず,私にとってマーラーで最も印象的な楽曲となっています。

シェルヘンは,最初に不幸な出会い(凡庸な演奏だったのです)をしてしまったため,以来聴かず嫌いが続いていたのですが,ご紹介のディスクは是非聴いてみたいと思いました。

全曲盤では,ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(1979年録音)を愛聴しています。

ハルコウ

2013/02/21 URL 編集返信

No title
ハルコウさん、ザンデルリングはとてもいいですね。
「なんだ、全曲しっかりできているじゃないか」と教えてくれたのはこの盤でした。

yositaka

2013/02/21 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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