ゲルギエフの『春の祭典』

ストラヴィンスキー
『春の祭典』




ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
キーロフ管弦楽団(マリインスキー劇場管弦楽団)
録音:1999年7月24-27日、バーデン・バーデン祝祭劇場
蘭フィリップス原盤 フィリップス・オリジナルジャケットコレクションより


 

トスカニーニのライヴ盤を聴いて、では現代の『レニングラード交響曲』の熱血型の演奏は…と思い、ゲルギエフの盤をさがしてみた。


…見つからない。


最近ネコパパはこういうことが、とても多い。あったはずなのに、見つからない。ネコパパのことだから、たいていは本と音盤のことだ。早急に必要でないなら、まあいいか、とついそのままになってしまう。
結果、のどに刺さった骨のように、いつまでも気になる…
 
で、代わりにこれが見つかった。
曲はまるで違う。が、初めて聴いたとき「これは凄い熱演だ」との印象があった。では、トスカニーニに近いのか?
聴くことにした。
 
ストラヴィンスキー『春の祭典』、面白い曲だ。
初演のときの一騒ぎは有名。でも、やりかたはどうあれ、騒ぎたくなってくる音楽だとは思う。
変拍子がどうとかより、どこまでも続くリズムの暴風に、無条件に体が反応するから。特に前半、第1部は一瞬の隙もない。
 
ゲルギエフは、緊迫と情熱あふれる音楽を作り出している。
第一印象のとおりだ。
最後のところ、音をぐうっと、引き伸ばして、大きな間をおき、崩れ落ちるように最後の和音を落とす。この「お見事!」と一声かけたくなる決め方には、興奮させられる。
でも、トスカニーニの演奏とは、どこか違うようだ。
 
キーロフ管弦楽団の楽員たちは、家父長的支配に鍛え上げられたNBC交響楽団のような、一刀入魂の弾きっぷりは、していない。
弦楽器も、ごく普通の演奏ぶり。力瘤なんて作っていない。木管楽器の音もあっさりと涼しげだ。オーボエもフルートも、ソロ風に前面に出ることはなく、むしろ、なんとなく自信なさげにアンサンブルをしている…といった気配さえ。
 
それなのに、全体を聴くと熱演になっているのだ。
 
鍵を握るのは、ひとつは、ティンパニの鋭く強靭な打撃音。これが腹にこたえる轟音で、演奏に緊迫感を与えている。
もう一つは金管。木管群とは逆に、いたるところに突出。鋭くクレシェンドをかけて咆哮するや、すぱっと音を切る。この音捌きが巧みなのだ。
この二つを生かしつつ、ゲルギエフはオーケストラ全体に一貫した緊張感を絶やさないよう、巧みにリードしていく。
男っぽい容貌、鬼のような髭面も、音楽のイメージを伝達するのに役立っていると思われる。
 
彼は、できることなら、トスカニーニのようにオーケストラを鳴らしたいのかもしれない。
でもそれはなかなか難しい。経営、運営、時間、現状をすべて飲み込んで、なお可能なことは何か…
 
この音盤に刻まれているのは、そんな試行錯誤の結果なのだろうか。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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