ショスタコーヴィチより愛をこめて

炸裂するオーケストラ。
湧き上がる歓声。
ショスタコーヴィチ交響曲第5番が終わる。
 
聴衆の拍手喝采を抑えて、指揮者中村暢宏さんがお得意のスピーチを披露。
 
「今夜のショスタコーヴィチの演奏のテーマは
『昔の恋人へのラブレター』です。ショスタコーヴィチがこの曲に込めた思いは伝わったでしょうか…
それではアンコール。恋人への思いを託してこの曲に引用したビゼーの『カルメン組曲』から『ハバネラ』と『ジプシーの歌』をお聞きください…」
 


そんなばかな。
 
交響曲第5番といえば、ヨーロッパ的な作風をソビエト政府に非難され、窮地に陥った作曲者が
妥協策として、表向き「社会主義の勝利」を歌い上げ、辛くも名誉挽回を果たしたといわれる作品。
以後、体制順応の凡作として批判されたこともあれば
隠された真意があるとして論議が繰り返された作品でもある。

恋愛がらみのロマンティックな曲、などというイメージは、微塵もなかった。
 
けれども…
あとで演奏会のプログラムを見てみたら、異例に長文の解説が掲載されていた。
 
当時ショスタコーヴィッチには妻とは別にエレーナ・コンスタンチノフスカという恋人がいた。しかし密告によって逮捕され(詳細不明)釈放後スペインに逃れ映画監督のロマン・カルメンと結婚。
この一連の出来事が、交響曲作曲の時期と重なる。
第1楽章、暗雲のような第1主題の後、高弦で奏でられる第2主題はビゼーの歌劇『カルメン』の『ハバネラ』の旋律、
 
L'amourL'amourL'amourL'amour
 
と歌うサビの部分を引用。
さらに第4楽章で頻出する3和音のリズムは『ハバネラ』の歌の合間にはいる合唱の合いの手部分の引用であり、第1楽章と対応して作曲家の去りし恋人への思いを表明している…と考えられるという。
 


当夜の交響曲第5番の演奏は、この説を意識したためなのか、曲のイメージを見直させるような、個性的な演奏だった。
第1楽章では二つの主題の明暗がくっきりと対比され
第2楽章では緩急の交代が、素早いギアチェンジで行われる。
音の溜めとリズムのずらし、音の間が頻出。皮肉なスケルツォというよりも、浮足立った恋の感情の高鳴りを表すかのようだ。
第3楽章は、神経質な弱音を極力避けて、ほとばしる歌を前面に押し出す。
フィナーレでも、勝利の凱歌よりも、抒情に重きを置いている。
特徴的なのはクライマックスのコーダ。あの豪壮なティンパニ連打はむしろ軽め。金管と弦の凄まじい高鳴りが進軍のリズムを覆い隠してしまうのだ。
 
アンコールに演奏された『カルメン』からの2曲が、交響曲の雰囲気を維持したまま、融通無碍に演奏されたことは言うまでもない。

 
前半のプログラムについても一言。
リスト『ハンガリー狂詩曲第2番』は、
「タダーン」という、厳粛めいた出だしからはじまるが、当夜の演奏では聴き手の意表をついて音を弱め、優しく歌うように奏でらはじめる。そして主部では、一変してめまぐるしい舞踏感覚と浮遊感を強調し、音の遊びを存分に楽しませる。
 
一方、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』では、オーケストラはソリストにすっかり下駄を預け、音量を落として、抑えた伴奏に終始する。
前面に躍り出たヴァイオリン・ソロはどうだろう。
若いソリスト。音はよく出ている。緩急も大きくつけていく。でも、速い部分になると音が滑るように混濁し、細部が聴き取れない。音は聞こえても、音楽が聞こえてこない。
聴いているうちに、なんだかお尻がむずむずしてきた…

 
オーケストラの奮闘ぶりは、ぜひ讃えたい。
曲ごとにメンバーは大きく交代する。個性的な音楽づくりだけに、練習は大変だっただろう。指揮者がしばしば行う「一瞬の間をあけて、その直後一気に加速する」表現の個所では、必死の形相で演奏しているのが伝わってきた。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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