映画『グスコーブドリの伝記』

「火山を噴火させても、気温は上がりません。噴火で飢饉をさけることはできない。でも、宮沢賢治にはそんなことはわかっていたはずです」
「グスコーブドリの自己犠牲の話にはしたくない。原作をじっくりと読めば、賢治の言いたいことはそうではないことがわかります」
「この作品は何度も書き直されています。それぞれの作品が別の魅力をもっていて、とくに源流となる『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』は、生命力にあふれた傑作です。今度の映画は、完成稿だけではない、生き生きした初期作品の魅力も取り込んでいきたい」
「『銀河鉄道の夜』との連環も表現したい。あの映画で重要なモチーフとした『三角標』や『天気輪の柱』の象徴性を今回の作品でも追究しています」

この映画の監督、杉井ギサブローさんとは、縁あって、何度かお話することができた。

温厚な話し方だが、徹底的に原作を読みぬき、考え抜いておられることが短い言葉の中から伝わってきて、はっとさせられることが多かった。


長い長い「製作中」の期間を経て、ようやく2012年7月、作品は完成。
じっくりと見せてもらいました。


 

『銀河鉄道の夜』と同じく、ネコパパも大好きな、ますむらひろし描く「ねこ劇団」の面々が演ずる2時間半の大作である。

今回は前作『銀河鉄道の夜』よりも、キャラクターも服装のデザインも、いっそう「ますむら色」が強い。
人気キャラクター、ヒデヨシも重要な役柄で登場する。

主人公、グスコーブドリは終始淡々として、孤独な「観察者」の役割に徹する。大仰な台詞もなく、表情はすべて目の演技。だから、口が小さく眼の大きなネコなのだ。




序盤は、故郷の山村での平和な生活が、気候の変動で破壊されていく様が描かれる。
時間をかけて、異変の推移が描かれていくこの場面は、背筋が凍るほどの臨場感だ。

中盤。両親を失い、妹ネリとも引き離されたブドリが、森の中のテグス工場と、農場で働く。
この辺りから幻想的な色合いが増して、現実と非現実の境界がわかりにくくなってくる。

ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記
銀河鉄道の夜』
どんぐりと山猫
のモティーフが唐突に乱入する。

終盤。
ブドリはイーハトーヴの町の大学でク―ポー大博士やペンネン技師に出会い、火山局員として働くことになる。
イーハトーヴの町並みは、ブドリの山村とは好対照の金属的デザインの際立つ機械化都市である。
メカニックな部分は、あえて無機的なCG画面をむき出しにしているところが興味深い。

ここからの物語はほぼ原作通り。
ただし大きな変更をがひとつある。それは、ブドリの妹ネリの運命にかかわる部分で、ここだけは大きな「改変」といっていい。

議論すべきところだろう。
私見では、改変そのものよりも、関連するエピソードが暗示的すぎて…説明不足に感じられた。
言葉でなくても、画面上でももうすこし突っ込んで描くことができたのでは、と思う。

最後のシーンは、「意外な結末」とはちょっと違っていた。

解釈は観客に解釈を委ねるやりかたで、あっさりと締めくくる。
このような「読み」も十分考えられるな、と感じさせるエンディング。
雨ニモマケズ」挿入は、
個人的にはちょっとこそばゆい。賢治の作品なら、どうしてもこれを出さなきゃならないのだろうか。

あとで知ったことだが、大震災に配慮して、既に製作されていた部分を、いくつかカットしているらしい。
杉井さんの著書『アニメと生命と放浪と』(ワニブックス)では、そのカット部分の内容も少し明かされている。
福島原発事故にもかかわる事情だ。
それを読む限りの想像にすぎないが…むしろ残した方が、現代社会へのメッセージ性という点では説得力があったかもしれない。

将来「完全版」として公開される可能性も探ってほしい。


アニメ版『グスコーブドリの伝記


杉井さんはじめ、製作者の思索とアニメーションの実験がいっぱい詰まった問題作である。



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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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