これじゃあ道に迷ってしまう

2012/ 07/ 31
                 
カール・シューリヒト『田園』の新発見音源
 


  


ネコパパがこれまで架蔵しているシューリヒト指揮の『田園』は、種類。
 
1938年 ベルリン・フィルとのSP録音(DGG
1958年 パリ音楽院管弦楽団とのモノラル録音(EMI)
1957年 シュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ放送録音(キング)
 
その時々によって変貌の激しいのがこの指揮者の演奏の特色だが、
『田園』については、細部までほとんど解釈は変わっていないのではないか。
SP時代にはベルリンで『第1』『第3』『第4』『第7』を録音しているが、どの曲もなぜかシューリヒト独自の個性は希薄と感じる。『田園』だけが彼の個性を刻印していると思う。
早くから譜面を読み込み、独自の読みによるヴァージョンを完成させていた、共感度の高い音楽だったのだろう。
 
今回発売された1963年、フランス国立放送管弦楽団とのライヴ録音も、基本線は変わらない。
 
1楽章は、レガートのかかった、遅いテンポで滑り出す。テーマ後半からはぐっとテンポを速め、うきうきと弾んだ気分がぐんぐんと高まってくる。テーマの再現では、遅いテンポとレガートをさらに強調し、めまいがするような揺さぶりをかける。
テンポの変動は多いのに、メンゲルベルクなどのように「操作している」という印象は感じない。それは、オーケストラ全員が自発的に、沸き立たせているように奏でているから、かもしれない。
彼の『田園』では、どの楽器、どのパートも、分を守って支えに回る、という素振りがない。我先にオーケストラの前面に躍り出ようと画策しているよう。そのせわしない交代によって、音楽は初めて耳にするような楽想に満ち溢れる。
 
その多彩さに、曲が今どのあたりを進み、どこに向かっているのか、わからなくなる。
シューリヒトの『田園』それは、聴き手を迷子にさせてしまう演奏。
 
2楽章では、対旋律の第2ヴァイオリンをクレシェンドをかけ、トリルは鋭く、強めに聞かせる。波が岩に当たってさざめき、ほとばしる雫が陽光に照らされて光をふりまく。「一幅の水彩画」と呼ぶにふさわしい音楽だ。
 
3楽章と第4楽章は、はじけるような躍動感で前進に前進をかさねていく。
そして第5楽章。
ブルーノ・ワルターのように、山の頂上から壮大な光景を見る風情とは違う、地に足の着いた表現。
生々しい歓喜と生命を謳歌するような、一気呵成のフィナーレである。祈りのコーダが、そそくさとさりげなく過ぎてしまうところは、いかにもシューリヒトらしいが、開放的な響きを主体に、各声部に施された緩急と響きの立体化への追及は、一種の「凄まじさ」を感じさせるほどだ。
 
当盤は「生々しさ」と「濃さ」では、既出のどの盤をも上回っているかも。
指揮台に立って聴いているような、デッドで生々しい音響が、シューリヒトの解釈の妙を、手に取るような鮮度で聴かせてくれる。
 
細部まで徹底的に作りこんだ、過剰なほどの個性的表現が、旋風のように吹きすさび、駆け抜けていく。
 
シューリヒト・ファンには熱烈に歓迎され、
そうでない人たちには辟易させる…そんな記録かもしれない。
 
でも、30年来のシューリヒト・ファンであるネコパパは、熱烈に歓迎したい…
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