結界透き通る日


8月半ばとなり、
今日は集合の日。
家族親族が行き交う日々である。
まずは数日前、京都から息子が到着。
今日は娘が東京から。

おとといはフランス、パリから帰国してしばらく実家に滞在していた従兄弟から、まもなく出国との電話があり、
あすはスウェーデン、エーテボリに夫君の仕事のため在住の妹が
実家滞在を終えて出国。


お互いに何気なく談笑している時間は、
つかの間ではあるが、今ここにこうして、居るのが当たり前のように感じ、
日ごろの生活拠点の隔たりを忘れている。


こういう感覚は、思えばまったく不思議である。
どんな生き物でも
長距離を旅する渡り鳥でさえも
このように一族が遠く別れたり、また集ったりという行動を繰り返しはすまい。

電話やメールで当たり前に言葉を交わし、
日本のテレビ番組も世界各国普通にみられる現代社会の利便性は
本来果てしなく大きいはずの人と人との隔たりを埋め、
地球そのものが小さくなってしまったかのように誤解・錯覚させている。
自己暗示にかけているといえばよいのか。


そうした生活は、気楽でもあり、愉快でもあるのだが、
穴を埋めるには、穴と同じだけの量の土がが必要なように
人が距離と時間のへだたりを埋めた代わりに、
魂の距離 心の距離がますます広がり
過剰なまでのとげとげしくいらだたしい対立を生み出しているような危惧をも感じたりするのはなぜだろうか。


魂の戻る日として祖先が定めたこの夏と秋の狭間 
いわば暑さという自然の猛々しい力の行使にによって、生と死の結界が限りなく透明になっていく時間に
離れている人が集まってくる。
あたりまえのようで奇跡的な時間。
存分に、羽目をはずし、楽しもう…

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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