古武士たちの田園

マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウスの演奏を聴いたら、
同じオーケストラを指揮したフランツ・コンヴィチュニー指揮の盤も聴きなおしたくなった。

 

 
1960年3月、ライプツィヒのヴェタニア教会での録音、とある。
古くから、廉価なフォンタナ盤として日本では親しまれてきた懐かしい盤だ。
 
ゆったりしたテンポで全曲を通している気がしていたが、それは勘違いだった。
1楽章のテンポは、マズアに比べても心持ち速め。第3楽章以下も中庸で、第2楽章のみ遅いテンポを取っている。
リズムが明確で几帳面。フレーズを膨らませて歌い上げる部分はほとんどない。
 
1楽章。この曲が「第5」とおなじように、ひたすらに繰り返される、小刻みなリズムの連続でできていることが、これほど明瞭に聞き手に迫る例も少ないかもしれない。
切れのある音、しゃくりあげるように、角をきっちりと合わせて折られた紙のように切り返されるフレーズが、曲の輪郭線をくっきりと浮かび上がらせる。
弦が旋律を歌うときは管が、管が歌うときは弦が、それぞれに強くリズムを刻んで並び立つ。どちらかの声部が脇に回ることがない。
一点一画ゆるがせにしない、これは楷書のような「田園」なのである。
 
2楽章では、ぐっと遅くなる。
でも、ここでも旋律線が豊かに膨らんでいくという場面はなく、弦の音は直線的で、小川の漣を模したリズムが几帳面に刻まれる。
 
会場のヴェタニア教会は、ドレスデン・ルカ教会と比べて響きが少ないからなのか、各楽器の音の分離が鮮明で、コンヴィチュニーの几帳面な解釈を強調するものとなっている。
フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの木管群も、ホルンも、聴き応え十分だ。それは、ウィーン・フィルのような貴族的な優美さとは違う、使い込んだ木綿の手触りのような響き。いわゆる「燻し銀の音」。
 
3楽章も、愉悦よりも生真面目な舞踏。ここは農村というより、古い館で行われた郷士の祝宴の趣がある。ティンパニを抑え、重く沈潜した、威厳のある響きで一貫する第4楽章も独特だ。館の屋内で感じる嵐のよう。
 
そしてフィナーレでは、落ち着いたテンポで進みつつ、満ち足りた大団円に聴き手を導いていく。
ここでは執拗なテンポの刻みにも、心持ち伸びを持たせているのが嬉しい。
コンヴィチュニーが固い古武士の表情を、わずかに綻ばせている。
彼も、ブルーノ・ワルター同様、フィナーレを曲のクライマックスととらえているに違いない。さりげなく過ぎるが、十分に威厳を持ったコーダが音楽をゆるやかに締めくくる。
 
厳格なリズムと直線的な鳴らせ方といえば、トスカニーニみたいな演奏を想像されるかもしれない。でも、そうじゃない。
説明は難しいけれど、それは、ゲヴァントハウスの音自体に、厳しさを暖かく包む体温があるからか…
といって、トスカニーニが冷たいなんて、決して思わないけれど。
 

 
 
このコンビは、この録音の翌年、19614月に来日、「田園」は、4回も演奏している。
来日時の演奏会評には「古色蒼然」という言葉があったそうだ。
でも、会場は残響ゼロの日比谷公会堂、この解釈だと、かなり無愛想に響いたかもしれない。
コンサート・マスターはゲルハルト・ボッセカール・ズスケの二人。豪華だ!
この録音でも、二人は並んで弾いていたのだろうか。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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