魔女の役割

11月20日、中京大学で行われた
 
日本・イギリス児童文学会第41回研究大会について、数回に分けて報告する。
 
会長 高田賢一氏の「開会の辞」(大会要項)より
 
現在と未来に語りかける児童文学を研究する私たち研究者に求められることは、絶えず物語を読み直し、その現代性と普遍性を探求することと言い換えても良いかと思います。一冊の絵本や物語が属すべき位置と場所を考え、見定めること。…作家、作品を孤立させないで歴史の中で位置づける作業…
 
孤立させないで、歴史の中で位置づける
 
いい言葉だ。文学に対する優しさが感じられて、とくに児童文学研究にはふさわしい定義づけと思う。とかくこの分野は
「だれも知らない小さな国」とか
「日本のプー横丁」とか言われて、文学の中でも確かに孤立していると思われるので。
 
さて、大会は「研究発表」「講演」「シンポジウム」に分かれて進行。
「研究発表」は一人30分、四会場同時進行というかたちで、聞き手は選択を迫られる。「講演」は1時間、これも複数会場同時開催なのは、いろいろ見聞したいネコパパにとっては残念な形式だが、発表者が多いのは研究が盛んなこと、慶賀すべきこと。
そして「シンポジウム」では英語圏各国の現代児童文学についての報告をもとに意見交換が行われた。
 
参加できたものについてだけ、報告してみたい。まずは研究発表から。
 
 
『ライラの冒険』シリーズにおける魔女の役割
                                                                            名古屋女子大学 木原貴子
 
 近年のイギリス児童文学における「魔女」には、『ナルニア国物語』の白い魔女のように、従来の魔女の系譜に連なる存在とともに、ハーマイオニー(『ハリー・ポッター・シリーズ』)のように、特殊な能力を持つ「少女」という新しい基本型が確立しつつある。その意味で『ライラの冒険』シリーズは、こうした新旧の魔女が登場する物語と言えるかもしれない。すなわち、セラフィナ・ペカーラをはじめとする魔女たちと、真理計を読むという特殊な能力を持つ少女ライラ・シルバータンである。しかも、両者の関係性は極めて深く、また複雑である。というのは、セラフィナは古くから魔女の世界に伝わる予言を成就させるため、ライラを天の共和国を再生する「新しいイヴ」にするために戦うのである。
 本発表では、こうしたキリスト教と異端の交錯した複雑な構図を「魔女」という視点から読み解いていきたい。(要項梗概から)




発表は物語の中での「魔女」の位置づけ、特性の分析から始まり、主人公ライラを「魔女の力を身につけた人間」であるゆえに「イヴ」となり、「この世からのダスト(創造力・知性の源)流出を食い止めるという使命」を達成できたという仮説を示していく。そしてそれを実現するライラの力の源は、ライラが「現実世界」で出会った少年ウィルの「愛」なのだという。
 
明快な「解読」だ。わかりやすい。
 
だが「魔女」というなら、セラフィナら、伝統的な「魔女一族」以上の「魔女」が物語には登場しているではないか。
それはライラの母、コールター夫人である。
 
なぜ「魔女」についての論考なのに彼女についての考察がないのか、疑問に思った。それで、そのことを質問してみた。
 
木原さんは作品における彼女の重要性を認めている。
ライラの個性の多くは母親のそれを受け継いでいる(特に「他者を誘惑する力」の重要性に触れながらも、作品の中で大きすぎる存在である夫人の位置づけは今後の課題、とのお答えであった。
 
私が、コールター夫人を重要と考える理由は、彼女は、木原さんの言われるような整然とした「物語の構造」に位置づけにくいという、まさにその点にある。
あくまで私見だが…
この長編の価値は、壮大な宗教的(反宗教的)世界を構築したことよりも、それをあくなき支配への欲望と直感によって、やすやすと乗り越えてしまうこの「凄まじき母親、コールター夫人」を創出したことではないか、と思っている。
 
そうだとすれば、彼女こそ「魔女」の称号にふさわしい存在なのではないか。
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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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