アッという間に生きかえる

雑誌『レコード芸術12月号の話題。




 

音楽評論家の大御所、吉田秀和の連載『之を楽しむものに如かず』は、いつもこの雑誌の特別な場所を占めてきた。

ところが震災以降、休載が多い。掲載されても、原稿が短いために写真や文字を拡大したりして苦労の編集がされている。

震災が、老評論家に与えた衝撃は大きかったようだ。


12月号では、ひさしぶりに少し長めの文章に。

だが半分くらいは、震災の衝撃と人々の運命についての思考が記されている。

 

これは、いつも次に掲載されているウィーン在住の評論家の、癖のある!や?ばかりがやたらに目立つ、楽天的な音楽紀行文とは対照的だ。

評論家とは、簡単に問題を忘れたり、忘れたふりをしないもののことをいう…そんな矜持がつたわってくる。

 

今回取り上げているのはリッカルド・シャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団マーラー交響曲第2番『復活』



吉田秀和は、終楽章に出てくる歌詞を訳して引用する。その部分が面白い。

 

信じるがいい、私の心よ、信じるがいい

君は何にもなくしはしないのだ

君が憧れ、愛し、闘い求めていたもの

それは君のものだ、信じるがいい

君が生まれてきたのは無駄じゃなかった

君が生き、悩んできたのは無駄じゃなかった

 

この世に起こったことはいずれ消え去る

消え去ったものは蘇るはずた゛

震えおののくのはやめるがいい

生きる心構えを固めるがいい

 

熱い愛の努力の中で勝ち取った翼で

私はこれまでどんな目も受けたことのない光を目指し

生きるために死んでいく

 

生きかえる、そう、アッという間に生きかえる

君がぶちこわしたものが

君を神のもとへと連れていってくれるだろう

 

「生きかえる、そう、アッという間に生きかえる」とは、終楽章、激情と混沌の音楽が延々と続いたのち、ファンファーレが響き、初めて静かに入ってくる合唱の部分。

あの荘重な部分の訳が、吉田秀和に言わせると、こうなのだ。

「そんなことを信じているとは言い切れない、いや死者のよみがえりということが私の日常の考え方にない」という、彼の気持ちが、全く正直に、人を食ったようなおどけた訳文に表れている。

このクールさ、痛快だ。

しかし、それだけではない。

 

これをききながら、私は自分が心の中で「死んだ者がまた生き返ってきたら、どうだろう。いや生き還ってほしい」と思っているのを感じるのだ。

 

このあと、こんな文章が来る。

 

…それは「死者の復活」という思想の表明、不滅への希求のあらわれとして音楽が書かれているというよりも、この音楽が鳴っているのについていっているうちに、この曲が、死んでいった人々に、かつて愛し、望み、獲ち取ろうとしたしたものについての思いを強烈に蘇らせるものだという気持ちを暗示したり、熱くかきたてたりしながら展開されてゆくのを体験さすという具合に書かれているのを、音楽とともに呼吸し、歩み、走り、うずくまりなどしながら、生きることにつながっていくということである

 

二度、三度と読み返してみた。

うーん、これは、やっぱりねじれている。

音楽評論の大家が、このような、文書の正確さを犠牲にしても「思いを強烈に」たたきつけるような文章を書くのだ。

音楽を聴くことと再生への希求、それがねじれ、もつれて、そのまま文章に。圧倒されてしまう。

 

…ここでは、演奏の個々の出来不出来というものより、音の進行が人の考えを仄かに暗示したのち、だんだんに、それを内容の詰まったしっかりと形あるものに展開してゆくのに成功しているかどうかが問題なのだ。私はシャイー以下の音楽家たちはよくそれを果たしていたと思う。

 

これではどうしてもシャイーのDVDが見たくなってしまう、と言いたくなる…でもここが不思議なのだが、吉田秀和の薦める演奏、ネコパパにはどうもいまひとつビンとこないものが多いのだ。


彼の文章にはこんなに魅かれるのに、ほんとうに不思議だ。

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コメント

コメント(3)
No title
レコード芸術今月号の『之を楽しむものに如かず』を見落としていました。
私も3月11日以降しばらくは音楽を聴くことができないでいたのですが、吉田秀和さんは今なおショックを受けたままでおられたのですね……。

他のブログで『復活』はライヴに限るというようなことを書きましたが、あれは第5楽章開始時の凄まじい音響もさることながら、初めて合唱が入る時の空気感が録音では得られないと思っているからですが、実はテレビでも見ても感動します。かつてアバド指揮の『復活』をNHKで見た時、不覚にも涙していまいました。字幕による効果が大きかったのですが、『アッという間に…』と書かれていたら泣けないです(笑)

吉田秀和さんはあまり演奏にこだわらないように見受けられます。直近で鑑賞されたのがアバド指揮のビデオであったら、やはり同様に褒められていたのではないでしょうか。

ハルコウ

2011/11/26 URL 編集返信

No title
追記ですが、先程久しぶりにNHK-FMの「名曲のたのしみ」を聴きまして、吉田秀和さんの声が非常に弱々しく感じられたことにショックを受けました。いつまでもお元気でいらっしゃるとよいのですが。

ハルコウ

2011/11/26 URL 編集返信

No title
こんばんは、ハルコウさん。
実はつい先日、ライヴで『復活』を聴きました。記事にしなかったのは、その感動が、残念ながらあまりなかったからなのです。
この曲を演奏する、それだけで大イベントだというのに、
几帳面に、まじめにこなしているだけで、のめり込みも、叫びもしない。
こんな演奏が可能なのかと、かえって驚くくらいでした。
もちろんライヴならではの、物理的な迫力はあります。拍手喝さいもありました。
それでも、です。音楽とは、ほんとうに不思議ものです。

吉田秀和さん、以前の批評はするどく、冷酷さも感じられるものでした。現在の彼は変わりました。断言を避け、いろいろな角度からいいたいことを探るスタイルに。以前よりも読み解くのが大変ですが、この老いたる知性の人に学ぶことは、まだ多いと思います。

yositaka

2011/11/26 URL 編集返信

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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