シンポジウムに参加して

ペンクラブのシンポジウムに参加して思ったこと。
 
まず、国際ペンクラブの支部である日本ペンクラブの一部門に子どもの本の委員会ができたこと。
そのこと自体が、意義が深い。
世界でも、日本だけのことという。イギリスはなぜないの、と聞きたくなるが。

関西の一線の作家、評論家、漫画家が一堂に会したことも、貴重な機会だ。
ただ、今江祥智さんもおっしゃっていたが、パネラーの顔ぶれが豪華なだけに
2時間という枠はちょっとつらい。

ネコパパの、かなり主観的な記録をご覧になってもお分かりのように、
里中満知子さんの講演会のようになってしまっている。(実際には、もっと長くお話しされていた)
司会のひこ・田中さんが、基調講演をパスしてすぐに個々の作家に発言を振ったのは、短い時間の中で少しでも作家さんのお話を、という心配りでもあったと思うが
やはり、シンホジウムをつなぐ基本線や、発言の持ち時間ははっきりさせておきたかったと感じる。

パネラーの越水さん、令丈さんも、若手であるために遠慮されていたのだと思うが、ほとんど発言の機会がなく、気の毒だった。
令丈ヒロ子さんの『若おかみは小学生』(講談社青い鳥文庫)シリーズは、小中学校の図書館では貴重な人気本であり
まさに現在という時点ではっきりと「児童文学」として成立している作品である。
「境界線」を考える上で、令丈さんのお話を求めることは、重要ポイントだったはず。
 


 
子どもの文学と大人の文学に境界線は重要ではない、文学でいいという意見が、多くの方から出てくるのだが、
それでいいのなら、日本ペンクラブで「子どもの本委員会」を立ち上げる意味は何なのか、と思ってしまう。
「児童文学という言葉は嫌いです。文学でいい」
という今江さんだが、著書の中では常に「子どもから読める」という但し書きをつけられている。
雑誌『飛ぶ教室』での投稿作品審査評を読んでも「子ども読者」を意識することについては、配慮を求めておられる。
「文学でいい」とは、ジャンルの境界線がなくてもいい、という意味ではない、とネコパパはずっと感じてきている。
サン=テグジュペリ『星の王子さま』(岩波書店ほか)は、決して児童文学ではない、という以前からの主張にも、意をとめる必要があるだろう。

ひこ・田中さんへの質問について。
「成長」の定義付けの問題とは、たとえばこういうことである。


 私は、近代社会が、何故大人へと成長しなければならないのか、という理由をスキップしたまま今日に至っていると語りました。とはいえ、それが必要なのに怠ったままだと主張したいわけではありません。それを必要だと思いながら、永遠に先送りしているのがまずいと考えるだけです。
 大人へと成長しなければならないわけでもない。
 そう認めてしまった方がいいと思います。
 実は私たちは、子どもを別の価値ある存在として切り離したとき、自動的に私たちを大人と定義づけただけではないでしょうか。…
  子どもという存在を切り離すことによって自動的に大人になれるこのシステムは、だれもが否が応でも大人にならなければならないプレッシャーを生じさせるのです。…
  そもそも近代社会が目指しているのは、だれもが大人になる社会ではなく、もっとフレキシブルな社会だと考えることが可能です。…
 成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を放棄した人、そうした様々な道筋が、子どもが育とうとする先に見える社会こそ、本当の近代社会と考えていいのではないか。いまはポストモダンなどではなく、モダンはようやくその面立ちを見せつつあるのでは。
 それがどんな表情なのかまだわかりませんが、子どもの物語はそれを探りながら変わっていくはずです
ーひこ・田中『ふしぎなふしぎなこどもの物語』第8章より

ひこさんの言われる
「大人になる」「成長する」「成熟する」「子どもが育とうとする」
などの使い分けが、いまひとつ不明確な気がするのは、ネコパパだけだろうか。「大人にならないままの大人」という、頭の痛くなる形容もある。子どもを切り離したことで「自動的になれる大人」とは何か、そこは定義しなくてもいいのだろうか。

例えば、尾田栄一郎の人気マンガ作品『ワンピース』(集英社)の主人公、ルフィについて、ひこさんは同書の中で、

彼は物語の初期段階から無敵の身体になっているのだから、この作品では「成長」に関するメッセージは無効となっている
 


という趣旨で論じている。
 
これを、ひこさんがルフィを成長しない子ども、あるいは「大人にならないままの大人」ととらえている、と読むならば、
ネコパパの『ワンピース』という作品の読みとは、大きな食い違いが起きていることになる。
超人的な能力を「ひとつ」持ってはいるものの、衝動的に無謀な行動をし、「肝心なときにはそこにいない」ことも多く、当てになるかどうかもわからない「絆」や「信頼」をやっとの支えにして、「敵」に立ち向かっていくルフィ。彼には未熟な部分も多く、乗り越えるべき壁も多い。
まだ連載中の作品だが、既刊分を読み進んだだけでも、「ルフィの成長」は十二分に描かれていると感じるのだが、いかがだろうか。
少なくとも彼が「悪魔の実の能力者」であるために「無敵」の存在であるとは、ネコパパには思えない。
 
そんなニュアンスも含めて、「定義づけ」についてお聞きしたわけなのだが…
十分に意を尽くせず、残念。これについては次の機会を待つことにしたい。

主催者の皆様、2時間の予定が30分以上も超過。質疑応答の時間を強引に引き延ばしたネコパパのせいだったかもしれません。でも、スリリングなシンポジウムでした。ありがとうございました。






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コメント

コメント(5)
No title
このシンポジウムに参加して、なんか訳のわからないモヤモヤをかんじていたのですが、それがyositakaさんのご報告などを読ませていただき、具体的にわかりました。ありがとうございます。同じような感想を持たれたかたがいるのを知り、すこし嬉しくなりました。
僕の仕事は、マンガ家であり人形劇なので(5月の毎日新聞の読んであげてで「山小屋のタオ」を書かせてもらいましたが、文章物作品は、それだけです)このシンポジウムに参加して児童文学への僕の不勉強もおもいしらされました。
もう少し勉強してから参加すべきだったと反省しております。

saiwaimiyuki

2011/11/02 URL 編集返信

No title
ようこそsaiwaiさん。コメントありがとうございます。
貴ブログに掲載された『森の中の海で』
たった今、拝読させていただきました。
自然と命へのひたむきな思いが、とくに動物を描く的確で温かな曲線、血の通った動きの描写、クローズアップの目の表現などから伝わってまいりました。
ことに犬や狸、猿を群れで表現している部分など、その構成力と画力には圧倒されました。
すばらしい作家とめぐり合えて、幸せです。

シンポジウムには、物語を作る側の方々が多く参加されていたのですね。短い時間で散会してしまったのは本当に惜しいですし、
こういう会で一番の楽しみでもある著書の販売コーナーもなくて、ちょっと寂しい思いでした。交流こそが大切、そう思って無理に質疑応答を引き伸ばしてしまったのでしたが…
二回目は浜松で開かれるとのことですので、都合がつけばぜひ参加したいと思います。

これからもよろしくおねがいします。

yositaka

2011/11/02 URL 編集返信

No title
yositaka さん、「森の中の海で」を読んでくださったなんて、本当にありがとうございます。ものすごく嬉しいです。
恐縮いたします。

こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

saiwaimiyuki

2011/11/02 URL 編集返信

No title
こんにちは。
シンポジウムを丁寧にまとめていただいて、ありがとうございました。出席できなかったぼくですが、なんだか出席させていただいたような気持ちになっています。

成長については考えさせられました。ドラゴンボールのように、能力の向上という文脈で、発達するという文脈で考えると、ルフィーは成長していないようです。(いま、ワンピースは30巻まで進みました。)

自分のやりたいことと自分ができることを分けて考えられるようになること、そういう心の成長過程がルフィーの活動の中に盛り込まれているのかなあと考え始めています。まだまだまとまりませんが、少しずつ考えを整理していこうと思います。

いろいろなことを考える良い機会をいただけましたこと、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

”音”故知新

2011/11/03 URL 編集返信

No title
音故さん。
「ワンピース」についてはもう少し読み込みが必要だと思っています。いま大きなヤマを迎えているところでもありますし。
「成長」とは、手ごわい言葉だなあと実感しています。

yositaka

2011/11/03 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

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