サンデル教授の「究極の選択」

マイケル・サンデル 究極の選択 第2回 「震災復興・誰が金を払うのか
NHK BS1 910日(土)午後9時~1013




 
番組説明

ハーバード大学マイケル・サンデル教授が、インターネット中継で、東京、ハーバード大学、上海復旦大学の学生たちに向けて難問を投げかけ、白熱の討論を繰り広げます。今回のテーマは、震災からの復興について。
これはもちろん日本だけの問題ではありません。ハリケーン・カトリーナ、四川大地震など、アメリカ、中国も過去たびたび悲惨な自然災害に襲われています。自然災害に政府の倫理的な責任はあるのでしょうか。政府の補償の範囲は、個人の財産や生活のどこまで及ぶべきでしょうか。
人災と言える原発の被害はどうでしょうか。誰に責任があるのか。被害者への補償は誰が負うべきなのでしょうか。同じく人災である、2008年の金融危機の時、強引なビジネスで世界を奈落の底に落とした投資銀行は、被害を受けた人々に補償はしませんでした。それどころか政府からの巨額の資金を得て救済されたのは公正と言えるのでしょうか。サンデル教授と世界の次世代のリーダーたちが、震災復興のあり方を根源から問い直します。


 
論点を明確化し、参加者に取捨選択を迫った上で、根拠を出し合い、議論に導く。
マイケル・サンデル教授の授業運びは、非常に巧みだ。
参加者は知らず知らずのうちに「思考の練り上げ」に誘引される。
教授は、論が煮詰まると、即座に別の例(補助資料)を提示して、思考を停止させない。
小中学校の「道徳の授業」の好例を見るようだ。
 
論点に沿って、気付いたことをメモしてみたい。

 
1.被災者に対する個人保障の方法は


平等に金を配るべきか、被害額に応じて区別すべきかという話に。

日本・中国の学生は平等派、アメリカは格差込みでの原状復帰派が多いというのは国民性を感じさせる。



2.原発事故の賠償をだれが負担するか



教授は4つ選択肢を示す。


①税       (国民全て)
②借入金・債権  (将来世代)
③東電・株主   (事故当事者)
④被害地区管轄電気料金の値上げ(電気利用者)


ここで論が煮詰まる。

直接の自己責任者である東電が当面賠償に当たるとして、それが破綻に陥った場合、国が支援するのは公正なのかという議論になったためだ。
間髪をいれず教授は

「リーマンショックを引き起こした金融機関を、米国は救済した」

という事例を挙げて比較させることで議論に活を入れる。(補助発問①)



3
.今後の原発推進の是非


 
今回の番組の注目点はここだ。
 
学生の多くは、推進維持を支持した。
中国・アメリカは維持推進派が多数なのは国の現状から頷けないでもはないが、日本ですら4:4なのだ。
要は、彼らがすでに潤沢な電力を消費する生活が空気のように当たり前になっているということなのだろう。参加している日本の学生が東大、慶応など首都圏の大学生ばかりなのも一因か。
 
そこでサンデル教授、思いがけない問いかけをする。
賛成する学生に

では君の家の近所に原発が作られるとしたら、それは平気なのか

と問うたのだ。(補助発問②)
困惑する学生たち。さすがに賛同者は激減する。
日本では肯定意見はひとりに。
さらに追い打ちを書けるように教授は

原発が供給する電力は地元ではなく、そこから離れた大都市で主に消費される。原発は人口の少ない地域に設置されているからだ。それは消費者のリスクを金で経済的弱者である地域に売っていることになりはしないか

と追い込む。
さらに補助資料として「南北戦争時の徴兵制の例外規定」まで引用する。
つまり、徴兵されても金で傭兵を雇えば、本人または家族は徴兵を免れたのだ。

原発を受け入れた地域を、教授は「金で雇われた傭兵」に例え、その是非を考えるように参加者に迫った。(補助発問③)

参加者たちは考え込む。経済と倫理との葛藤が如実に発言にあらわれる。
 
サンデル教授は、番組の終わり近くに出された次の発言を議論の落とし所にする。
日本人学生の一人の発言だ。

その事実はあっても、金でリスクを売る得る行為があるとしても、それで責任が終わったわけではない。売った者の責任は、金を支払ったのちも消えずに続いていくのだと思います
 


私見を述べる。

サンデル教授の補助発問は、確かに卓抜だと思う。
「白熱教室」と呼ばれるだけあって、とくにここぞという場面での、実例の出し方が巧みだ。
授業者は交通整理にとどまらず、補助資料を用意して戦略的に参加者を深い思考に誘い込んでいく。

しかし、冷静に考えてみると、この議論で得られたのは、はたして何か。
この「落とし所」では、振り出しに戻った、としか私には見えない。
 
推進には賛成だが原発の近くには住みたくない」という本音と
最後の議論「リスクを弱者に、という部分は考え続けなければ」というさしあたっての結論。
答えは出ない、考え続けるべきだ。

道徳の授業なら、それもあり。課題は一人ひとりの中にある。
いま、深く考えた自分がいる。そこから出発だ。

でもこの番組は「究極の選択」と題されていたのではなかったのか。その選択は、じゃ、誰がするのか。

私は番組をみていて、ふと思う。
「近く」という以上は「遠く」が存在する。
ここではそんな前提で論が進められている。だが、はたしてそれは、今や刻々と崩れつつあるのではないか。

現在、静かに進行中の出来事だけに、ひょっとすると参加者の学生たちは意識していないのかもしれない。
が、私ならこう問いかけたい。

原発の遠くって、いったいどこなんでしょう

近くがあり、遠くがあるという見方。
それは日本全体が放射能の海にのみ込まれるかもしれない事態にある現在、はたして意味のある見方なのだろうか。
 
この議論、事故災害が起きる前に、しておくべきだったのではないか。
できたのではないか。
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コメント

コメント(6)
No title
おはようございます。

面白い番組がやっていたのですね。原子力発電については、友人が若いときに調べていたのを聴いて、不思議な印象を受けました。

経済的な要請があって、原子力発電が作られるという感じだったと思います。

広瀬隆の著作に<東京に原発を>というのがあったと思います。電力会社が安全を謳っていたので、そのような題名がついているのかと思いました。

チェルノブイリの教訓を生かせていたらと、ぼくは思いました。

”音”故知新

2011/09/12 URL 編集返信

No title
音故さん、こんにちは。
広瀬隆『東京に原発を』は、まさにその原発ををめぐる日本の「東西問題」にメスをいれる著作でした。
あれが、チェルノブイリ以前に書かれていたことからもわかるように、
今回の福島事故はすでに30年以上も前から検証され、心ある科学者からは緻密な根拠を示した上での警告が発せられていました。
当時から原発問題に関心のあった私としては、現在の「手遅れな」状況におおきな空虚感を感じないではいられません。
当記事の末尾の感想には、私の心境が反映しているのでしょう。

希望を失ったわけでは決してありませんが。

yositaka

2011/09/12 URL 編集返信

No title
yositakaさん、はじめまして。
大変参考になりました。
今回の惨事は、人災もあるとみます。

過去の教訓を分析し活かしていれば
最小限の被害だったかも・・・

2011/09/16 URL 編集返信

No title
流さん、こんばんは。
その「人災」の部分を逃げずに直視する勇気があるかどうか
そこに、この国の将来がかかっていると思います。
もうひとつの勇気は、
見たくない現実から目をそむけないということだと考えています。

yositaka

2011/09/16 URL 編集返信

No title
ちなみに息子が録画していて
二人で究極の選択は論議をしている内に
考えがまとまり答えが見てくる?

そんな感じがし頭の体操になりました。

個人も最善を尽くす。
自分の置かれている立場で公も考えてほしいです。
リスクを恐れてはいけません。
行動あるのみです!!

2011/09/21 URL 編集返信

No title
流さん、同感です。
19日には東京はじめ各地で原発に反対する集会が行われました。
大江健三郎氏が
「この国の民主主義を守る方法は、もはや市民の行動しかない」と述べていたのが印象的でした。

yositaka

2011/09/21 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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