Palm Leafのコンサートを聴く

6月某日
猛暑。
音楽大学の出身者で作る作曲家団体「Palm Leaf」の演奏会に出かけた。
 

 
その団体に属しているひとりが、ネコパパの旧知の人、Aさんで、その縁でご招待いただいたのだ。
場所は、名古屋市本山の静かな住宅街にある、スタジオを兼ねた喫茶店で
40人を収容できるコンサート会場としても使用できるようになっている。
 
Aさんを含む5人の作品が、同じ大学の器楽科卒業生によるピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏によって披露された。
 
音楽大学作曲科出身の器楽曲、というと、みなさんはどんな音楽を想像されるだろうか。
 
ネコパパは、頭が70年代なのか、
12音技法とかトーンクラスターを駆使した前衛音楽とか
ライヒやグレツキなど、執拗に、倦怠的にリズムが反復されるミニマル音楽などを想像して、
ちょっと気張って出かけたのである。
 
しかし、実際に演奏された音楽はまったく違ったものだった。
作風の違い、個性の違いはもちろん、あるが
いずれの曲も高原の風のように心地よく
聞き手を優しく包み込むような、メロディー豊かな音楽。
不協和音や絶叫などの刺激的な音響は一切出さない。
絵画にたとえれるなら、油絵でもなく、抽象画でもない。色と色の重なりなどの細部にじっくりと目配りしながらも、表面はひと筆で描いたようにさりげなく彩られた、上質の水彩画のような。
 
一曲一曲は5分以内でとても短く、
意味ありげなタイトルがつけられている。
 
風、帰れぬもの
飛翔
迷夢
Moon after Yule
扉と猫…
 
演奏前には作曲家自身の短いコメント。
「明るい曲を、と思ってもどうしても暗くなってしまうのです」
「飛翔といっても、現実からの逃避というような、悲観的な心情です」
「各楽器の音と音とのぶつかり合いを表現しました」…
曲にこめられた主張を語るよりも、その曲の一部ででもあるような、控えめなコメントである。
 
ひとりの作曲家はこんな意味の言葉を述べておられた。
「私たちのコンサートは、通常のクラシックのコンサートとは違う点があります。それは、作曲したものがこうして生きて語っていること。そんな音楽の場があってもいいんじゃないか、と思っているのです」
 
Aさんも含めて、
大学卒業数年後の若き社会人の生活は決して安泰ではないはずだ。
糧を得るため慣れない、先の見えづらい仕事に従事し、
時にはいくつもの仕事場を掛け持ちし
疲れ果てて帰宅した後に、なんとか自分の基盤を失うまいと
一つ一つ、譜面に音符を刻み込んでいく。
そうして、作られていった音楽が、聞き手を不快にさせない優しさに満ちているとすれば
 
彼らは実に強靭だ。
 
「あなたの曲は仰るように暗くなんかないと思いますよ。優しい。明るいか、暗いかといえば、明るい。暗い音楽、などとという言葉は、恐ろしい言葉ですよ」
と、失礼ながら口走ってしまったネコパパ。なんて意地悪なんだろう。
さすがに
「自分たちの曲をクラシックなんていうのはどうでしょう」という言葉は言いませんでしたよ。決して言いません。
 
「Palm Leaf」のみなさん!
とても心地よいひと時をすごす事ができました。ありがとう。
皆さんの活躍を、心から応援します。
そして、時には胸のそこを本当にさらけ出す音楽も聴かせてください。
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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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