アヤママが出かけているので、
今日は一人で映画。
名古屋今池の小さな劇場「名古屋シネマテーク」。ここは50人はいると、もう満員になるくらい。
ひとつの部屋でかわりばんこで何本もの映画を上演している。
ロビーは、大学の映画研究会を想像させる居心地のいい雑然さだ。
さて、映画はこれ。
死の前年、1910年。
作曲家グスタフ・マーラーはアムステルダムに滞在中の精神科医ジークムント・フロイトを訪ねる。
マーラーは愛する妻アルマの不倫への悩みを打ち明け
その原因がどこにあるか知りたいというのだ。
フロイトは精神分析の技、というよりは飄々とした対応で
気難しいマーラーの気持ちを徐々に解きほぐし、
妻との葛藤の日々
その背後に隠された「マーラーの罪」のありかに迫ろうとする。
エサ・ペッカ・サロネン指揮スウェーデン放送交響楽団によるマーラーの交響曲の緩徐楽章が全編に流れる。
交響曲第10番の「アダージョ」
交響曲第5番の「アダージェット」
交響曲第3番の「ポコ・アダージョ」
なかでも第10のアダージョはこの映画のライトモティーフのように、各パートの分奏や一つの楽器のパートが取り出されて使われたり、と凝った趣向が凝らされている。
マーラーとアルマが熱愛のさなかに連弾するワーグナーの『ワルキューレ』の一節など、
音楽の扱いはなかなか工夫されていて
「監督、相当なクラシックファンですね?」と言いたくなる。
ただ
70年代の英国作品、ケン・ラッセル監督の『マーラー』もそうだったが
ストーリーがとかくマーラー、アルマ、アルマの恋人の愛欲の泥仕合にばかり傾き、
マーラーの妻に対する「作曲を封じた」罪を糾弾する物語に辿りついてしまうのははたしてどうだろう。
このことは、一次資料としてアルマの自伝は残されているが
マーラーの自伝は残されていない、という事実に原因があるのではないか。
アルマの自伝『グスタフ・マーラー/愛と苦悩の回想』という本は
確かに面白い本だが
やはり当事者によって書かれた本は自己弁護的になるのを避けられないし
最近の研究では、面白くするための脚色というか事実の歪曲もかなり見られるということだ。
たしかに「家庭の事情」やスキャンダルと言うのも、特に音楽ファンではない一般の観客にとっては
親しみやすく、楽しめる題材なのかもしれない。
マーラーやモーツァルトの映画はできても
フルックナーやブラームスの映画はできないというも
そんなところに原因があるのかな。
でも、マーラー・ファン、音楽ファンというのは
もっと「音楽を作る」「ものを作り出す」ということに正面から向き合った作品が見たいのではないだろうか。
この映画での「曲の構成とストーリーを関連させた」という音楽の使用も、
説明されれば「なるほど」とも思うが、
交響曲では実際の演奏場面が出てくるわけでもなく
ただ見ているだけでは、ネコパパには、BGM的な使われ方としか思えなかった。
>パンフレットより引用。
…というわけで
面白いところはたくさんあるけれど、おすすめかといわれれば、ちょっと。
でも、観に行くならカップルで行くのは避けたいですね。
デートのネタには向かない映画なのは間違いない。
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