日本人指揮者、佐渡裕がベルリン・フィルの定期演奏会の指揮台に立ったというので、大変な評判。
民放もNHKも大きな番組を組んだ。
当日までのリハーサルと全曲の放送を視聴。
プログラム後半はショスタコーヴィチの交響曲第5番。
バーンスタインの弟子で熱血の指揮ぶりで知られる佐渡だが、リハーサルでは名門オケを前に緊張したのか、
リハーサルは遠慮がちで大きな表情や個性的解釈を指示する様子はない。
時に楽員にやり込められる場面もあったりする。
本番。前半は武満徹の『フロム・ミー・フロウズ・ホワット・ユー・コール・タイム』。
いろいろな打楽器がつぎつぎに活躍する音楽だが、武満の音楽はいつもゆったりと遅い。
うーん、集中が続かない。ながすぎる…
後半のショスタコーヴィチ。
打楽器や金管をよく響かせた、鮮明な響きが印象的。
独特だったのは、第2楽章で遅めのテンポを取り、ソロ・ヴァイオリンが活躍する中間部ではいっそう遅くして、節回しを粘らせる表現。
このリタルダントを第4楽章のコーダでもやってほしかった。意外にあっさりとした終わり方だったのである。
さて、先日こんなセットを入手した。
ショスタコーヴィチ:交響曲全集
マリス・ヤンソンス&8つのオーケストラ
CD1
・交響曲第1番へ短調 Op.10
ベルリン・フィルハーモニー
1994年6月デジタル録音
・交響曲第15番イ長調 Op.141
ロンドン・フィルハーモニック
1997年4月デジタル録音
CD-2
・交響曲第2番ロ短調 Op.14『10月革命に捧ぐ』
バイエルン放送合唱団
バイエルン放送交響楽団
2004年6月&2005年1月デジタル録音
・交響曲第12番ニ短調 Op.112『1917年』
バイエルン放送交響楽団
2004年6月デジタル録音
CD-3
・交響曲第3番変ホ長調 Op.20『メーデー』
バイエルン放送合唱団
バイエルン放送交響楽団
・交響曲第14番ト短調 Op.135『死者の歌』
ラリッサ・ゴゴレウスカヤ(ソプラノ)
セルゲイ・アレクサーシキン(バス)
バイエルン放送交響楽団
CD-4
・交響曲第4番ハ短調 Op.43
バイエルン放送交響楽団
2004年2月デジタル録音
・映画音楽『馬あぶ』からの組曲 Op.97a(ロマンス、定期市)
ロンドン・フィルハーモニック
1997年4月デジタル録音
CD-5
・交響曲第5番二短調 Op.47
ウィーン・フィルハーモニー
1997年1月デジタル録音
・交響曲第6番ロ短調 Op.54
オスロ・フィルハーモニー
1991年1月デジタル録音
CD-6
・交響曲第7番ハ長調 Op.60『レニングラード』
サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー
1988年4月デジタル録音
CD-7
・交響曲第8番ハ短調 Op.65[62:29]
ピッツバーグ交響楽団
2001年2月デジタル録音
・交響曲第8番リハーサル[12:41]
ピッツバーグ交響楽団
2001年2月デジタル録音
CD-8
・交響曲第9番変ホ長調 Op.70
オスロ・フィルハーモニー
1991年1月デジタル録音
・交響曲第10番ホ短調 Op.93
フィラデルフィア管弦楽団
1994年3月デジタル録音
CD-9
・交響曲第11番ト短調 Op.103『1905年』
フィラデルフィア管弦楽団
1996年12月デジタル録音
・ジャズ組曲第1番
フィラデルフィア管弦楽団
1996年12月デジタル録音
・ジャズ組曲第2番~ワルツ第2番
フィラデルフィア管弦楽団
1996年12月デジタル録音
・タヒチ・トロット Op.16
フィラデルフィア管弦楽団
1996年12月デジタル録音
CD-10
・交響曲第13番変ロ短調 Op.113
セルゲイ・アレクサーシキン(バス)
バイエルン放送交響楽団
2005年デジタル録音
じつはヤンソンスは好きな指揮者で、来日公演の放送もまめに見ているし、ライヴにも接している。
特別に個性的な表現をする人ではないが、
聴いた後には
彼は「自分の言葉で語りつくしている」という満足感を覚えることが多い。
ドヴォルザークの交響曲第8、第9番
シベリウスの交響曲第2番
ベートーヴェンとブラームスのそれぞれ「第2番」を1枚にしたもの
さらに、一般的には賛否両論だった
コンセルトヘボウを振ったブルックナーの交響曲第3、第4なども
ネコパパはとてもいいと思う。
このセットも、届いてから5番から8番までを一気に聴いてしまった。
こんな聴き方、
ムラヴィンスキーやバルシャイのディスクなら考えられないだろう。
ヤンソンスの演奏では、ショスタコーヴィチの音楽の恐ろしいような切れ味や慟哭が表に出ない。
その分、すんなりと聴けるのだ。
しかし、軽くも浅くもない。それどころか、個々の音は深く重く、音楽の最深部に達していると感じられる。
あの「第5」でも、
派手さはすっかり影を潜め、作曲者が虚飾の中に秘めた苦渋だけが表出され
自然に聴き手に寄り添ってくる。
作曲者が工夫を凝らした、金管や打楽器がナマで飛び出してくるような箇所も
「まあまあ、おさえて」と言うように、深い響きの中に押し包んでしまうようだ。
「7番」も、同様に「戦慄」はおさえられてはいるが、
ずしりとした「圧力」が感じられる。
「8番」はムラヴィンスキーと比べてしまうと、さすがに追究が足りない気もするが、これはオーケストラのせいもあるかも。
佐渡裕のベルリンでの「第5」は、個性的でもあり、爽快な音楽でもあったけれど
ヤンソンスにくらべると、やはり「傷跡」や「葛藤」があまり感じられない気がする。
これは、ムラヴィンスキーのアシスタントを長年務め、あの底知れない音楽を「浴び続けてきた」ヤンソンスだからできた、
力まず、叫ばず、深く語るショスタコーヴィチだ。
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コメント
SL-Mania
2011/06/18 URL 編集返信私が残念に思うのは
「第5」の後半に収録されていた「室内交響曲」が削除されて「第6」に変わっていたことです。
バルシャイが弦楽四重奏曲を編曲したものですが
これはショスタコーヴィチの代表曲と呼べるほどの音楽。惜しいです。
yositaka
2011/06/18 URL 編集返信