わが町

この本は、未読。
でも朝日のコラムで紹介されているのを読み、これだけで圧倒的な印象を受けた。
 
未曾有の災禍とひきかえに、
私たちは「生きる知恵」を少しでも確かにすることができるのか。
 
身の回りの人々 言葉 音楽
いずれにも、そんな思いをもって受け止めてしまう。
この記事も、そんなひとつだった。
 

 
朝日新聞3.30夕刊
コラム「窓」より。
 
「わが町」
 この戯曲を読み直したくなった。
 アメリカの劇作家ソーントン・ワイルダーが1937年に書いた「わが町」。世界中で今も頻繁に上演される名作だ。
 ページを開くと、20世紀はじめのアメリカ北部の小さな町が現れる。
 鉄道の駅、教会、役場が点在し、学校の子供たちの声が町中に聞こえる。そこでの、朝食の支度、少年たちの野球、合唱の練習といった日常のあれこれと、誕生、結婚、葬儀など人生の節目がつづられる。喜びと悲しみをのせて、十数年の時が静かに流れていく。
 劇はまた、星の光が地球に届くのにかかる、何百万年という歳月についても語る。気が遠くなるほどの時間と空間が広がる宇宙に浮かぶ小さな惑星、その上にある点のような町。そこで人々は、ささやかな営みを繰り返し、生きている。
 終幕近く、早世した女性が言う。
「時計の音も…ママのヒマワリも、それからお料理もコーヒーも。アイロンのかけたてのドレスも。あったかいお風呂も…夜眠って朝起きることも。ああ、この地上の世界って、あんまりすばらしすぎて、だれからも理解してもらえないのね。人生というものを理解できる人間はいるんでしょうか-その一刻一刻を生きているそのときに?」(鳴海四郎訳)
 連綿と受け継がれた、たくさんの命と暮らしが、いきなり断ち切られた瞬間を体験した今、この劇の中にある、平凡だがかけがえのない日常が、痛いほど胸にしみる。
<山口宏子>
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(0)
コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR