長田弘さん講演『読むという冒険』③

『クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか』
 
これは、500行の詩。僕のただひとつの長編詩です。
クリフォード・ブラウンの死の直後にかかれたもの。
 
(朗読)
ああ ぼくは、死んだクリフォード・ブラウンのことを
じつになつかしく思い出す。
荒涼としたペンシルヴァニア州を縦断し
苦しい六月の煙霧に抱かれた
シカゴへむかう朝のきついオートルートで
160キロ以上も 絶望的に
自動車をすっ飛ばして死んでいった青年、
ぼくたちの時代の熱い感情と
なによりも野心と歌にあふれていた
端正な黒人ジャズ・トランペッターの酷薄な一生を。
夭折こそは すべての若い芸術家を駆りたてる
もっとも純粋な夢、ぼくたちの
夢の中の夢であるもの。
けれども冷たい夢の汗にぬれて
不意にふるえて ぼくはめざめる。

 
あのころは、みんなジャズを聴いていた。
クリフォードの死は、こんな風に終わるのが人生なのか、と考えさせるものになりました。
死が呼び覚ますのは、人生。
このとき僕ははじめて人生という言葉を使えるようになった。
 
聖クリストファーは、旅するものを守護する聖人です。
アメリカでは、自動車のお守りとして、ほとんどの人がクリストファーの像を吊り下げています。
川でおぼれようとしたキリストを救ったといわれる人。
 
過去の作品を読むと、その言葉が、自分のものになった瞬間を思い出させてくれます。
だから、今現在の言葉だけでなく、こうして過去の言葉を読むことによっても「冒険」はある。
 
人生とともに、わかっていくのは言葉だけではありません。
たとえば味覚も。
「渋い」という味がわかった、あのとき。
「甘酸っぱい」という味がわかった、あのとき。
受け止めたものが自分の新しい感受性となる。
「読む」とは、そういうことです。
「この言葉でしかいえないもの」が「自分の言葉」として、残っていく。
 
『夢暮らし』
 
31歳のときこの詩を書いて、僕は20代の落とし前をつけた。
 
(朗読)
…公然と夢を持とう!
 
ぼく、何も知らなかったこのぼくは、
行為によってぼくを垂直にする苦痛を負ったのだから。
何を知らないか知ることによって、知恵を学ぼう。
見ろ、真っ白なイカが、遥か意味の中に跳びあがっている。
耳を立てろ。用心ぶかい死が、言葉を待ちかまえている。
見ろ、ぼくの時の踏切りで
真っ赤な記憶がちいさなランプを振っている。
何の栄光もなしに、ミスもゆるされずに。
 
 
踏切りは僕に大きなイメージを与えてくれました。
踏切りでは何もないこと、何も起こらないこと、なんでもないことが一番いいのです。
何かがあったら駄目。プラスがいいんじゃない。マイナスをなくすことが最善だということ。
「読む」ことについて言えば
曲解ではなく、それ以外の言葉ではいえない、そんな言葉に出会うことが一番いい。
物語のストーリー、全部忘れたっていい。
一行、一語あれば。
 
森鴎外の小説にこんな一節がありました。
「その人は、小道によって歩くことをした」
 
これを読んで、そういう人が、この国を作ってきたのだと僕は思い、それが僕の森鴎外でした。
どう出会おうと、一行残ればそれでいい。
 
子どものころ、学校を休んで寝ていると、障子だけが見えた。寂しい。そんなときには、決まって「金の鈴」の音が聞こえてくる。
あのころ読んだ小川未明の童話『金の輪』からのイメージでしょう。

以来ずっと、その言葉のイメージは残り続け、今でも風邪を引くと、僕には金の鈴が聞こえるのです。
僕にとって風邪は、金の鈴が聞こえるとき。
 
小さいころ、戦争がありました。
山の中の温泉町で、祖父、祖母と暮らした記憶です。
毎日銭湯に行くと、一日中入浴していた男たちがいました。目や手や足が片方しかなかったりした、傷ついた男たちでした。湯治場でした。
生々しく覚えている、その傷口。それが僕にとっての戦争でした。
その切り裂かれた傷口に見えるものに、僕は引き付けられ、記憶にとどめました。
大人になって、ある医学用語を知りました。
「感受性」です。
それは傷口にあるものがどれだけ生きているかを測る用語。 その度合いによって、義手義足がどれだけ動かせるものかどうかが決まるというのでした。
「感受性」を自分の言葉とした自分は、
思っても見なかったことごとが自分を作っているのだと感じたのです。
 
 
長田弘さんの話が終わると、会場は沈黙。
「だだただ、すごかった…」というため息交じりの店主、増田さんの一言が入り、会話の時間に。
詩集『われら新鮮な旅人』や4月発売予定の翻訳絵本『この世界いっぱい』の編集事情が話題となりました。
 
一冊の本には、見えないところがいっぱいあります。そこが面白い。
著者、出版社以外のすごい人、でも誰も名前を知らない「踏み切り」のような人。それが編集者です。
 
本を生み出す人々への深い思いが伝わる締めくくり、でした。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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