神宮輝夫講演『リアリズムの実験』③

日本児童文学学会で行われた神宮輝夫教授の講演『リアリズムの実験』の概要を3回に分けて紹介しています。3回目です。
私のメモといただいた資料をもとに、まとめたもの。神宮先生の言葉そのものではありません。終盤で時間不足となり、急ぎ足になったため、私の判断で言葉を補足させていただきました。


<リアリズムと「物語」>
 
今私(神宮)は、人物が物語を動かしていくのではなく、物語が人物を動かす。そんな転換があってもいいのではないかと考えている。

イギリスで、ロアルド・ダールという作家がいる。
『チョコレート工場の秘密』の作者である。


彼は、日本では大家として扱われているが、本国ではどちらかといえば大衆作家とされ、文学者とは認めていない人が多いようである。
つまり、「物語」であってリアリズムではない、と。
確かにリアリズムを重んずる「伝統」は、尊重すべきである。しかし、それに乗っかっていればよいのか。
子どもたちの求めているものは、それだけなのか。

例えば、児童文学の巨匠とされる
フィリパ・ピアス


ウィリアム・メイン


アーサー・ランサム


モーリス・センダック

彼らは「個」を中心として作品を書く。
伝統的なリアリズムの作家である。
そのような作家が高く評価されるのは、日本だけではない。

しかし、「物語」の視点は、現実をパーステクティヴな視界で見ることが可能である。しかし、「個人」を中心としたリアリズムの手法では、丹念さを突き詰めることはできても、広い視界が持てない、とはいえないか。
「物語」を中心とした作品に大衆的というレッテルを張るのはやめにしたい。
そこには、「伝統」の限界を打ち破る可能性があるはず、だからである。
 
このような、日本の児童文学作家たちを一連の流れとしてしまうような私の論は、確かに乱暴ですが…
 
そのくらいしないと、変わらないのでは。



講演はここで終わりとなりました。
冒頭で述べていた、「イデオロギー」の問題
「リアリズム」と「物語」の違いについては、まだまだ言い足りない部分が多くあったように感じられます。
降壇された神宮先生をあわてて追いかけ、
『飛ぶ教室』の論考を読んで感じたことやお尋ねしたかったこと
とくに70年代の「大長編」作品群の位置づけや
上野瞭への評価などについて、不躾とは思いましたが無理を言ってコメントしていただきました。

これについては次回に。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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