神宮輝夫講演『リアリズムの実験』②

日本児童文学学会で行われた神宮輝夫教授の講演『リアリズムの実験』の概要を3回に分けて紹介しています。2回目です。
私のメモといただいた資料をもとに、まとめたもの。神宮先生の言葉そのものではありません。


<大衆を視点とした長編の登場>
 
「児童文学」とは呼ばれないまでも、その実質を備えた作品はあった。
農民文学、無労働組合系文学と目された作品、大人向け小説の作家、生活綴方運動に参加した教師などによって書かれていた長編が、それである。
 
福田清人『岬の少年たち』1947
打木村治『生きている山脈』1949
住井すゑ『夜明け朝あけ』1954
石森延男『コタンの口笛』1957
国分一太郎『鉄の町の少年』1956
早船ちよ『キューポラのある町』1961
鈴木喜代春『北風の子』1962


 
今となっては面白さの感じられないものある。が、鈴木喜代春『北風の子』は、子どもへの共感と丹念な文章で、良さを保つ。また、国分一太郎の、組合意識の高揚を背景とした作品『鉄の町の少年』や『リンゴ畑の四日間』などは、影響力を持っていた。
これらの作品は、明確なストーリー、記号的な人物像という大衆小説的、教師的な色合いが強いものであった。
こうした作品は、児童文学を志す若い書き手に確かな影響をもっていたはずである。
 
<開花するリアリズム>
 
1960年代。児童文学は一気に花開く。その背景には経済成長に伴う出版状況好転と安保闘争に象徴される政治状況があった。
 
嚆矢となった作品。
山中恒『赤毛のポチ』1960
個人を中心として集団が動く姿が描かれている。
早船ちよ『キューポラのある町』三部作1961
アジ・プロの要素強く、北朝鮮への帰還運動が「感動的」に表現された場面がある。
庄野英二『星の牧場』1963
ファンタジー的要素の大きい作品ながら、反戦意識が色濃い。
古田足日『ぬすまれた町』1961
こちらも近未来の管理社会を風刺した、一種のファンタジー手法だが、社会変革の思想がはっきりと表に出ている。


60年代、児童文学の出版は活況となるが、「イデオロギー」色の作品は多かった。
70年代に入ると、その活気は失せていく。
 
<転換期の作品>
60年代末には転換期の作品が。
 
山中恒『ぼくがぼくであること』1969
奥田継夫『ボクちゃんの戦場』1969


大石真『教室205号』1969
大石は1974年に『街の赤ずきんたち』を出版。子どもたちが太平洋戦争時にタイムスリップする複雑な構築は、大人の文学か思われる。大石は子どもの本のリアリズムの限界を見ていたのだろうか。
 
<リアリズムの達成>
 
多種多様な「実験」の時期を経て、作家の子どもを見る目はよりきめ細かく、緻密なものになっていった。
80年代以降、その見事な達成と感じられるような作品が生み出されていく。
 
皿海達哉『海のメダカ』1987
伊沢由美子『走り抜けて、風』1990
高田圭子『ざわめきやまない』1989


これらの作品での子どもの描き方は、すばらしい。
ある意味で限界に達したと思える。『ざわめきやまない』は、突然の母親の家出という深刻な幕あけを持つが、読み始めたら一分で引きこまれ、本を置くことができないだろう。
どれをとっても丹念に描かれ、しかも一気に読ませる筆力を持っている。完成度は「イギリス100年の偉大な伝統」に劣らない。

しかし、それでいいのか。

次回に続く。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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