ミッチーの『レニングラード』交響曲

ひさしぶりに、名古屋フィルの定期公演にでかける。
プログラムは、あまり実演に触れる機会のない、ショスタコーヴィッチの大曲。


名古屋フィルハーモニー交響楽団第374回定期演奏会
 

〈「都市と音楽」シリーズ〉サンクトペテルブルク
ベートーヴェン:
序曲『コリオラン』作品62
ショスタコーヴィチ:
交響曲第7番ハ長調 作品60『レニングラード』

指揮:井上道義

愛知県芸術劇場コンサートホール
 
 
井上道義、愛称ミッチーの指揮は、「魅せる」。
優雅で洗練されていて、ぴたりと決まる。ほんとうにかっこいい。
しかしその棒から出てくる音楽は、外面的に流れることは決してなく、きっちりと整えられている。
そのうえで、オーケストラの持てる力をすべて引き出していくのだ。

今回も彼独特の遅めのテンポ。
響きは緊張感をはらみ、強弱の振幅が大きい。
爆発的なフォルティッシモでは、会場が崩れるのではないかと思うような音圧が聞き手を襲う。
そういう場面が次々に押し寄せるのがこの曲だ。
まさに、ライヴで聴くのにふさわしい。

全曲、充実した音楽に満たされた演奏だったが、 
第1、第3の両楽章が、中でもとびきり。
第1楽章。
堂々たる開幕。かすかなリズムから怒涛にいたる「進軍のエピソード」、そのあとの黎明のテーマ。
いずれも魅力的だった。決して予想されるようなこけおどしの曲とは感じなかった。。
どこまで大きくなるか見当もつかないほどのクレシェンドは、私の脆弱な耳には、いささか持ちこたえられない激しさだったが、これこそ音楽という媒体で体験できる究極の恐怖と言ってもよいかもしれない。
第3楽章。
胸をかきむしるようなテーマの絶唱。
帰宅後に聞いた、あのすさまじい迫力のヴァレリー・ゲルギエフ盤にくらべても、井上の情念の表出力は一段優っている!


これに比べて、偶数楽章は、
演奏はもちろん見事なのだが、残念ながらまだ私には、曲をつかみきれていないようだ。途中で、しばしば迷子になってしまう場面がある…といえばいいのか。

沈んだ面持ちの、不安な舞曲のような第2楽章は、まだしも…
フィナーレが曲者。
これは例の『第5』の「勝利と歓喜のフィナーレ」を、いっそう拡大し、いっそう深刻にした音楽、という印象はあるのだが、途中でどこまでも停滞する部分がある。じれったくなってくる。
最後のコーダは、恐ろしいほどに激しく燃え上がるのだが、不可解な闇の部分がある。
これで、隙なく濃密な第1楽章を支え切れているのか。
あの、限界に達したカタルシスを受けて曲を終わらせるには、やや混沌としすぎた音楽と感じてしまうのだ。
ディスクでも、幾度聞いても、ここは頭に残りにくい…。
 
しかし、第7番は、ほんとうに桁はずれな音楽だ。
このような音楽を書いてしまうショスタコーヴィチとは、はたして何者か?
そして彼の曲にここまで共感し、表現できる指揮者、井上道義という人は?

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コメント

コメント(2)
No title
2007年のショスタコの全曲演奏という偉業に名フィルも参加していましたが、今回は名フィル定期で交響曲第7番でしたか。スケジュールがあえばぜひとも行きたかったコンサートでした。残念!
エクストンあたりが、やたらチャイコフスキーを録音するより、井上道義でショスタコーヴィチの交響曲全集を録音してくれたらいいのになぁ。なんて思ったりします。

geezenstac

2010/11/21 URL 編集返信

No title
たしかに。井上氏の音楽はいまや絶頂期と感じます。
マーラーの交響曲全集も、計画されては中断する、というようなことが続いていて、とても残念に思っています。ショスタコーヴィチに対する世の評価も最近は大きく変化し、政治的要素を通すのではなく、純粋に「優れた音楽」と認められるようになってきたと感じます。いまこそチャンス。エクストン、動かないですかね。

yositaka

2010/11/21 URL 編集返信

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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