オックスフォード物語~辛口のリアリズム


オックスフォード物語―マリアの夏の日 
 
■ジリアン エイブリー Gillian Avery (著),
■神宮 輝夫 訳
■杉田 比呂美 (イラスト)
■1575円
■326ページ
■偕成社 (2009/06 原著1957)

 
1950年代イギリス児童文学の底力を感じた一冊。
訳者、神宮輝夫の紹介文では
「風変りな人たちが、世間からはなれた大学の世界でくりひろげるユ-モラスな話」とのことですが、
読んでみると、内容も文体もことのほか濃密で噛みごたえのある作品でした。
読者は少女マリアの活躍を楽しみつつ、19世紀当時のイギリスの階級社会に生きる子どもを取り巻く窮屈さ、ことに女子にとっていっそうの息苦しさを、実感することでしょう。
 

時は、1870年代のイギリス。 
両親を亡くし、大叔母の手で育てられた11歳の主人公マリアは、入学させられた全寮制の女子校に全くなじめず、唐突に学校から逃げ出します。
自力で列車を乗り継いで、目指すはオックスフォードの大学町。そこに住む学寮長(ウォーデン)を務める大叔父を頼ってのことでした。
大叔母の死もあって、マリアは学寮公舎(ロジングズ)で暮らし始め、ウォーデンの同僚である隣家のスミス教授の三人の子どもたち(トマス、ジョシュア、ジェイムズ)とともに、教育を受けることになります。
勉強にはさっぱり自信がないくせに、ウォーデンに向かって「ギリシャ語の教授になりたい」という夢を伝えるマリア。それは、この地を自分の「居場所」にするための冒険の始まりでした。

 
三人の男の子たちと、臨時家庭教師のコプルトン先生の描き分けが素晴らしい。
だれもが自己流の考え方、生き方を曲げず、ときにはそれが行き過ぎて、思わぬ騒ぎを引き起こしたりもする。
でも、そのなかに、さりげなくみせるお互いへの思いやりがなんともいえない魅力です。
マリアも、この4人といると、ヒロインとしての存在感が薄れてしまうほどです。

 
後半は、一つの謎をめぐって物語が展開していきます。
学寮公舎の居間に掛けられている絵「エルサレム屋敷」の見取り図に魅せられるマリアに、現実にその屋敷を訪れる機会が訪れます。
そこで出会ったのは、代々の当主やその家族たちの肖像画のなかにただひとつ混じっていた、名前のわからない一人の少年の肖像でした。
彼は、誰なのか。
この屋敷の人々にどうかかわり、どう生きたのか。
学問の町で生き、そこで何者かになるために、一編の「学術論文」を書こうとしていたマリアの前に、大きなテーマが現れたのです。
通常の物語なら、謎の解明にまっしぐら、というところなのですが
しかし、マリアの研究は、じれったいくらいに進みません。
 
ボードビリアン図書館で一冊の本を閲覧することも、
すぐ近くにある屋敷を訪問して再調査することも、
子どもの生活行動に制限が多く、ことに女子の学問に冷たかったこの時代には、多くの障害が待ち構える、大冒険だったのです。
偶然、必然の助けを借りながら、その一つ一つをクリアーしていくマリアの行動ぶりは、淡々とした文体に隠されてはいても、実はすごいのではないかと感じます。
 
やがて、隠されていた謎が明らかになり、一人の少年の人生が読者の前にもはっきりとうかんでくる…
そして、最後の最後に、マリアにとって自分の人生が一気に開ける、至福の瞬間が訪れる。

 
辛口の文章です。
作者による一切の主観的説明を排し、ひたすらに会話と行動描写のみで、じっくり進めていく語り口。
まったく先の読めない展開。
会話の中に、当たり前のように飛び出す古典の引用や学術用語。
まさにこれは、読者に「行間を読む」姿勢を要求する作品です。
児童文学だからといって、一切の妥協も、読者にサービスする姿勢もない文体なのです。
でも、じっくり読んでいくことで、「ここに人が生きている」ということ
相当に閉塞した空気の中でも、志を持ち、驚きや感動を見失わず、軽やかに快活に生きるすべがあるということが、理屈でなく実感できる。


50年代イギリス、リアリズムの醍醐味が味わえる傑作です。
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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