虫と歌

虫と歌

■市川春子
■コミック: 238ページ
■ 講談社
■発売日: 2009/11/20
 


すばらしい作品に出会うと、目の前がぱっと開けたような心地がする。まだ見ぬ世界の美しさや愛おしさに気付き、
まだまだこの世は捨てたものじゃない、という気分を呼び起こされる、そんな心地だ。
たとえば、この一冊が、それ。



母親の突然の海外旅行のために、ちょっと変わった植物学者の叔父さんの家に預けられた「僕」は、そこで不思議な少女つつじに出会った。
叔父さんの言うには、彼女は、僕の指から産まれた妹だという。
やがて僕は、つつじに兄妹愛を超えた思いを持つようになる。(『星の恋人』)

飛行機の墜落事故から奇蹟的に生き伸びた延びた二人の少年、大輪未来と天野すみれ。救助を求めて現場をさまよい、助け合いながら海に出る二人だったが、もはや命は尽きかけている。(『ヴァイオライト』)
 
肩を壊した高校球児の日下雪輝。仲間が手術を勧めるが、かたくなに拒み、家に閉じこもり続ける。そんな彼を支えようとするのは、箪笥の取っ手のねじ受けから変化し、「成長」を続けていく少女ヒナ。雪輝へのヒナの思いは意外なかたちで遂げられる。(『日下兄妹』)

3人の兄妹が暮らす家にある夜、羽をもった黒い闖入者があらわれる。
それは人に化身した虫であり、家族にとっての弟であった。ともに暮らすうちに兄弟の心は次第に深く通いあうようになっていくが、やがて別れの日がやってくる。(『虫と歌』)
 
 

当たり前の日常の中に、ふらりと異形の者がやってくる。
あるいは「家族」、あるいは「兄弟」、あるいは「友」という、ひとつの絆がそこに結ばれる。
二度とない、至福の時間ののち、必然のようにやってくる、別れ。
森羅万象は、出会い、別れるという環をなして、世界を作り、巡リ来る。
そんな、無常観にも似た世界観を寄り代に紡ぎだされたような作品集である。

シンプルなストーリーだけでは、作品の魅力や深みを到底伝えることはできないだろう。
吟味された、一本の今にも切れそうな細い描線で描かれる、一こま一こま。
その絵が語ることの濃密さ。
繰り返し読むたびに、味わいを新たにする。
 
市川春子の画風は、高野文子のそれを彷彿とさせる。
しかし、描く世界は違う。
高野もまた、現実からスライドした独特のファンタジーを持つ作家だが、どこか飄々とした軽みを感じさせる高野に対して、市川の作品は静かな寂しさが基調をなしている。

刮目させられる場面はひじょうに多いが、
とくに鮮烈な、二つの場面を挙げておきたい。

ひとつは『ヴァイオライト』での、飛行機事故の場面。
それは、上空からの何者かの会話で「星の出産みたい」と比喩される。白・黒・灰色にくっきりと描き分けられた煙から、氷柱のように突き出した爆発の炎。こなごなに砕け散った命のかけらが空を舞う。
凄惨なのに透明で、生も死も超越した浮遊感が描きだされる。

もうひとつは『日下兄弟』のクライマックス。
雪輝の肉体が、花弁のように「開いて」もう一つの命を受け入れる一瞬の時間を描いた一コマである。
同様な場面は、たしかにこれまでにもあった気がする。だが、これほどに雰囲気や効果にたよらず、ドキリとするようなリアルさをもって描かれたことがあっただろうか。しかもそこには抽象絵画のような静かな美しさすら感じさせる。


『虫と歌』を読んで、ひとつの名作が思い浮かんだ。
手塚治虫の『火の鳥・復活篇』である。
これは、死の淵から生き返った主人公が、人間よりもロボットに生命の存在を感じるようになり、やがて女性ロボットと愛し合い、「ロビタ」という命ある機械に融合されていくという物語であった。
生命と非生命の間に境界は存在するのか、という究極のテーマを描き切った傑作である。

この『虫と歌』もまた、作風は違っても、同じ文脈の中にある作品と感じられる。
手塚の到達地点を出発点とした新進作家のペンは、今後どんな世界を私たちに見せてくれるのだろうか。

「いつか、ヒトで一番遠い所へ行きたい。…」

『日下兄妹』の最後の台詞は、そのまま、市川春子のめざす地を指し示しているように思われる。



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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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