
ブルックナー
交響曲第1番ハ短調(ノヴァーク版 リンツ 1865/66年稿)
テ・デウム
■オイゲン・ヨッフム指揮
■ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■録音 1965.10.16~19 ベルリン・イエス・キリスト教会
■DG国内盤UCCG3992
ブルックナー
交響曲第6番イ長調(ノヴァーク版 1879/81年稿)
■オイゲン・ヨッフム指揮
■バイエルン放送交響楽団
■録音 1966.7.1~3 ヘルクレスザール
■DG国内盤UCCG3996
8月某日。
ネコパパ宅でsige君、emo君をお迎えし、ディスク聴き会。酷暑の中、いい音楽で涼を取ろうというわけだ。
emo君の最近の嗜好はマーラーで、様々な演奏の音源を楽しんでいる。
そんな彼が、今回は、ブルックナーの初期の交響曲をぜひ、とのリクエスト。
待ってました!と喜ぶ、ブルックナー好きのネコパパである。
ブルックナーの交響曲では、4、5、7、8、9番が人気曲で、録音も演奏も多い。
その一方、他の曲はあまり聴かれていない。
同時代のマーラーに比べ、曲ごとの聴かれ具合は偏っているのでは。
演奏する方も同じらしい。朝比奈隆、ギュンター・ヴァントといったブルックナー指揮者と呼ばれた人でさえ、初期作品は敬遠しがちだった。
音にするのも難しいのだろう。譜面から曲が見えてこないという話を、ライナーノーツで読んだ覚えもある。
しかし、ブルックナー好きにとっては、彼の交響曲は全11曲、隈なく魅力の宝庫に違いない。
第1番の、若々しい情熱とロマンティシズム、
第2番の広々とした高原を思わせる牧歌的な趣き。
両曲の間に作曲され、ブルックナー自身に「全く通用しない曲」として封印された第0番も、室内楽的な響きの中に、後期に通じる内面性を秘めた曲だ。
そして、後期に近い作なのに、演奏されにくい第6番も、新鮮な楽想に満ちた一編の抒情詩のような逸品。
これら隠れた名曲に名演奏を聴かせてくれる指揮者と言えば、まず第一にヨッフムだ。
今回聴いたのは第1番と第6番。近年録音されたスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送管弦楽団の全集(アルテ・ノヴァ)とも聴き比べたが、
学生時代に初めて聴いて以来の「感動の刷り込み」があるせいか、
「やはりヨッフム旧盤はいい!!」と口をそろえる、sige君とネコパパ。
emo君は
「この演奏はなんだか、変だ。スクロヴァチェフスキの方がブルックナーらしいねえ」という意見だ。
うーん、鋭いかも。
オイゲン・ヨッフム。
生涯一貫してブルックナーの音楽の普及に尽力した往年の指揮者で、ステレオ録音による2つの全集(バイエルン放送響&ベルリンフィルとのグラモフォン盤。ドレスデン・シュターツカペレとの EMI盤)の他に、新旧多くの録音が残された。
晩年にはしばしば来日し、名演奏を披露。バンベルク交響楽団との「第8」(1982年)とアムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団との「第7」(1986年)はアルトゥスから国内盤CDも出ている。
ヨッフムは「ブルックナー においては、余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『揺り動く輪』を描きつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と述べている。
しかし、録音に聴く演奏は、その言葉とは違う。
激しいテンポの変化や急激なクレシェンドなど、ドラマティックな動きが大きな特徴だ。
今回聴いたのはそのうちの「第1」と「第6」。
どちらも、透明感と抒情性に満ち、特に緩徐楽章が素晴らしい。
「第1」は、ブルックナー独特の、対位法を駆使した構築的な音楽が確立する以前、まだシューベルト的な「音の流れの切れない」スタイルの音楽。
第1楽章と第3楽章スケルツォは相当武骨で田舎の若者を思わせる素朴さだが、第2楽章のあふれる歌、とくに後半に向かっての怒涛の盛り上がりとクライマックスは、ワーグナーの影響を感じはするが、鳥肌ものの音楽。ヨッフムは弦を前面に押し出して、一気呵成に歌い上げる。まさに一世一代の決め方である。
一度これを聴いてしまうと、同解釈のヨッフム新盤すら物足りない。スクロヴァも、朝比奈も平静すぎる。
さらに、第3楽章から間をおかずに突入するフィナーレの、快速のテンポと岩が崩れるような盛り上げ方もすごい迫力だ。
「第6」は、「第7」と同様、第2楽章に全体のクライマックスが置かれた曲。白い花びらが、風に揺らぎながら、一枚一枚折り重なっていくような情感を、ヨッフムは清澄さを保ちつつ、長いクレシェンドを持続させていくことで丹念に音化していく。第二主題の提示や、コーダに向けて果てしなく音が細やかに上昇していく部分の美しさは、まさに『揺り動く輪』そのものである。
問題は、これですっかり満足してしまい、後半を聴くのが嫌になってしまうことだ…
ヨッフムは、間延びを避けるためか、後半の3楽章から4楽章への移行に間をおかず、速いテンポで一気に突入し、締めくくってしまう。これは新旧両盤共通で、ディスクの作りとしては珍しいだろう。「こう聴いてほしい」という指揮者の意志をブランクの扱いにまで通しているのは、さすがプロと思う。
emo君が「なんだか、変だ」と感じてしまう「何か」が、おそらくヨッフムの演奏にはあるのだ。
手練手管を尽くしたロマンティシズム。
テンポの激変。作曲者が想定しなかったかもしれない「ドラマ性」…
みなさんは、どう感じられるだろうか。
ネコパパは、これもまた、ブルックナーの一つの面として、存分に楽しめばいいと考えるのだが。
コメント
toy**ero
2010/08/28 URL 編集返信ところがCDの一枚もので出たのは、つい最近です。一つの曲の魅力が人々に知れ渡り、評価が定着するには、とてつもなく時間がかかるという実例です。。
ブルックナーやマーラーの音楽が、いやほとんどの優れた音楽が、聴き手のものになるというのは、殆ど奇蹟的なことなんですね。
yositaka
2010/08/29 URL 編集返信(追伸)
ファン登録していただきありがとうございます。
SL-Mania
2010/09/08 URL 編集返信yositaka
2010/09/09 URL 編集返信