小澤征爾さん死去 88歳。

昨年9月、セイジ・オザワ松本フェスティヴァルのステージにあらわれた小澤氏をみたとき、ああ、これは来るべき時が来たな、とネコパパは感じていました。そうしたら、やっぱり…
小澤征爾の名は中学生の時知りました。
「レコード・マンスリー」誌上で「運命・未完成」のレコード広告を見た時。クラシックに詳しい友人のK君が「彼は世界の指揮者と肩を並べる存在なんだ」と教えてくれたのでした。
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1968年、何と33歳での録音。相手がシカゴ響とくればさすがに荷が重い仕事だったでしょう。
実際に聴いたのはずっと後のことですが、堅い蕾を思わせる「運命」よりは、「未完成」の方に若々しい抒情のほとばしりが感じ取られました。

NHKがかつて放送した『20世紀の名演奏』では、その1年前の1967年、日本フィルを指揮して「幻想交響曲」を指揮する小澤征爾の映像が放送されていました。後のものに比べると肩に力が入っていて、表情も怖く「敵意」が感じられ、しかも演奏中に顔を掻いたりするなど、態度も悪い。
演奏はタングルウッドで教えを受けたフランスの指揮者シャルル・ミュンシュばりの、パワフルなもの、指揮棒をプン回したり、高い音のする鐘をガンガン鳴らしているのも、師匠譲りかもしれません。
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これからさかのぼること数年、
1961年のN響事件によって、小澤征爾の名前はマスコミに大きく取り上げられ、日本中の人々の知るところとなります。
いや、小澤征爾だけではありません。
日本にクラシック音楽という分野があり、その中核たるオーケストラに、NHK交響楽団という「権威的団体」が存在し、若い才能ある指揮者と対立し、ボイコットまで起こしたことも。
そして、さあ、一斉に当代一流の文化人たちが小澤を支援する。
三島由紀夫も川端康成も黛敏郎も大江健三郎も谷川俊太郎も…そしてここぞとばかりこの若い指揮者に投資する。
勿論、小澤征爾の成功は著名人揃いの「応援団」のためではない。まずもって、彼のずば抜けた才能と、ずば抜けた努力にあるでしょう。それから、人柄も。
しかし、時代も間違いなく彼に味方した。敵役のN響すらも、誰もが知るメジャーな存在に格上げされ、クラシック音楽に関心のない人々にも周知の存在になった。
ここに「世界のオザワ」へのステップは敷かれたのです。

才能ある日本人音楽家は、たくさんいるのに、なぜ小澤征爾一人が別格のスターになりえたか。

「そこ」にいたのが彼一人だった、ということでしょう。
だから、もう一度「そこ」が出現しない限り、彼のような存在は二度と出ないと思われます。
「日本人にとってクラシック音楽とは何か」という問いは、小澤征爾にとって最初にして最後の問いでした。
なぜ「自分にとって」ではなく「日本人にとって」だったのか。いろいろな考え方はあるのでしょうが、ネコパパはどうしても「そこ」にいたから、と思わずにはいられません。

「そこ」に由来する、答えのない問いに挑むために、小澤征爾は「演奏すること」「育てること」「広げること」の三つに、同じくらいの力を込めて、人生を賭して取り組みました。
その数人分にも匹敵する激務が、大きな、とてつもなく大きな成果を生み出した。松本フェスティヴァル、水戸室内管弦楽団、小澤塾、ウィーン国立歌劇場音楽監督への就任、そして歴史上類を見ない同ポストの「任期満了」…賛嘆するしかありません。
でもそれは、大きな、とてつもなく大きすぎる消耗でもあった、とネコパパは思うのです。
晩年の小澤征爾は一人で演奏会を指揮することができなくなりましたが、それでも「育てること」「広げること」をやめることはありませんでした。
彼の最後の指揮は、国際宇宙ステーションに向けて、宇宙に向けての「序曲」だったことはとてもシンボリックだったと思います。「広げること」の果てには、宇宙があった。

心からご冥福をお祈りします。
そして、お疲れさまでした。

小澤さんの指揮した、大切な録音を聴きながら…
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コメント

コメント(2)
内外楽壇には大恩人ですね。
ぼつぼつアップされるだろうと思っておりました…。

若いころの、いささか傲慢ともいえるところと、熟年以降の、わけへだてなく人に接し、人のために動く姿勢は矛盾ではなく、何か一体のものの表裏のようです。
この人の “芸” の推移には、クレンペラー、チェリやヴァントなどに見られる「老成」みたいなものが、よい意味でも悪い意味でも、ほとんど見られない感じがします。こういう芸風は、歳を取ると身体的にもキツいんじゃないかと思います。
国内外で、周囲に与えた恩恵は測り知れないものがありそうで、そこには全く敬服します。権謀術数的なニオイも、しません…。

楽風もレパートリーも、ちょうど朝比奈 隆と “相補的” なところがあってカブらず、ファンも「棲み分け」ていたのでしょうか。

録音となると、ネコパパさんが挙げておられるジャケットの音源、残念ながらひとつも持っていません;;。この機会に何か、とも思うのですが、やっぱり手に取らないディスクになってしまいそうで…。『トゥーランがリラ』あたり、買おっかなー、とか…。
今夕は、パリ管を振った『火の鳥』を聴いていました。EMI外盤 forteの2枚組ですが、これはいいと思います。同時期・同楽団のチャイコフスキー:4番も。

へうたむ

2024/02/11 URL 編集返信

yositaka
Re:内外楽壇には大恩人ですね。
へうたむさん
きょうの朝日に、丸ごと1面使って村上春樹氏が追悼文を寄せていました。さすがに友人だっただけあって、氏にしか知りえない貴重なエピソードが書かれて心を打たれました。同時に「小澤さんって無茶な人だなあ」とつくづく思います。食道がん手術後なのに赤飯食べてリハーサルに臨み、終了後に意識を喪失するとか、北京ダックを一人で二人前も買ってしまうとか…
村上氏の小澤音楽の評価は大変納得のいくもので、一言で言うなら「無色の音楽」、しかしそれは突き詰めれば目的地、到達点を果てしなく彼方に置くことで生まれる音楽だったということです。
そにに到達するためには、小澤氏はあまりにもやることが多すぎた…

ネコパパの挙げたのは、小澤氏が日本ではなく、「自分のために」音楽をやった形跡がわかる録音です。ただ「幻想交響曲」はテレビで見たサイトウ・キネンとの壮絶な演奏を思い出してのものだし、ニューイヤー・コンサートは一番売れたという意味で。とはいえ、ここに含まれたヘルメスベルガー『悪魔の踊り』などは一聴に値すると思います。

yositaka

2024/02/11 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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