固唾をのんで聴き入る時間-名古屋シンフォニア『悲愴』。

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久しぶりに聴く中村暢宏の指揮。腕の立つオーケストラ。いい演奏会だった。
「オーケストラの演奏、それに固唾をのんで聴き入る聴衆の皆さんの力で音楽が生まれ出る、そんな瞬間がここに生まれました…」
メイン曲目のチャイコフスキー、交響曲第6番『悲愴』終演後、中村氏の語ったスピーチの言葉である。

『悲愴』は、同じ作曲家の第5交響曲ほどは、演奏回数が多くない気がする。
自ら命名した『悲愴』というタイトル、作曲者自身の指揮による初演の数日後に、本人が死去したエピソード、フィナーレにアダージョ楽章を置き、消え入るように終わる構成、いずれをとっても、聴き手に何らかの先入観を持たせ、何となく鬱陶しくなる…そのあたりが理由かもしれない。
ネコパパ自身、レコードやCDを好んで聴こうと思うチャンスはあまりない。フリッチャイ、ムラヴィンスキー、マルテイノン…いい音盤がたくさんあるにもかかわらず。

けれどこの日の演奏は少し違った。
特に第3楽章までは、標題のイメージ抜きの第6交響曲として楽しむことができた。
ハイドンやモーツァルトを得意とする中村氏の、切れが良く見通しの良いサウンドが、いつもの俊敏な棒の動きによって団員に伝達される。第1楽章、不思議に澄み渡った響きで始まるが、驚くのはテンポの動きが大きいことだ。あっさりと進む提示部に対して、大きな間を空けて突入する展開部は、畝りの音楽。強弱の幅も大きく、例の再現部の直前の、延々続く混沌のフェルマータの長いこと長いこと。ほとんど止まりそうな暗いテンポを落とし、しかも弱音にしない克明な鳴らし方は、かつて聴いた朝比奈隆の表現に匹敵する。続く第2楽章は爽やかなノリの5拍子のワルツ。指揮者の足が軽やかにステップを踏むと、オーケストラもまた踊る。第3楽章は歓喜と躍動の行進だ。耳をつんざくばかりのティンパニの強打、金管の方向、間の効果。これはもう、例の「フライング拍手」は必至だな、と思いきや、驚くことに、最後の音が鳴っても聴衆は物音ひとつ立てない。
フイナーレはアクセントなしのちょっとずらしたような和音で始まったのが驚きだったが、再現部も全く同じ、意図的なのだ。そこから悲壮感というよりは、不安感、不吉な感じに満ちた音楽が展開する。コントラバスの響かせる3つの最終和音まで、一音も聴き流せないまさに「固唾をのんで聴き入る」音楽がじわじわと進んでいく。やがて客席は長い沈黙に包まれていき、拍手が始まる。

前半2曲も楽しかった。幻想的だがやや冗長でもある『ヘンゼルとグレーテル』は、中村氏のきびきびしたフレージングに救われて無駄がなく『シルヴィア』も、けっして舞踏の伴奏に終わらない壮麗さに満ちた音楽であることが再認識できた。オーケストラも、1曲目でちょっと金管が不安定なところを見せていたが、あとは隙なく好バランスで、特に「固い音」で要所を引き締めるティンパニの演奏の思い切りのよさには参りました。

アンコール曲は『シルヴィア』からの流れで、あの美しい『コッペリア』からの「スワニルダのワルツ」。
固唾をのんだあとに微笑みを持ってくる、そんな選曲のセンスがいい。
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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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