赤毛のアンの秘密


「赤毛のアン」の秘密
■小倉 千加子【著】
■岩波書店
■2004/03/24 出版


「赤毛のアン」の作者、ルーシー・モード・モンゴメリの死は、自殺だったのかもしれない…
そんな、センセーショナルな語り出しで始まる、モンゴメリの評伝。
しかし、その実態は…

>評伝という形をとって、日本人女性の結婚観・仕事観・幸福感の特異性を考察したものである。

と、筆者本人が「あとがき」で明かしている。
ネット上では、モンゴメリ・ファンやアン・ファンによる本書への批判がにぎやかな様子だが、それは、筆者にとっては想定内のことだろう。

私にとっては、小倉が、日頃は無視されがちな児童文学研究者の論評を多く引用していることと、「ロマンチック」という「日本語」について、大変興味深い考察がなされていることにひきつけられた。

前者について。
引用は主に第4章で、『日本児童文学』1980年2月号(偕成社)
掲載の座談会「なぜ今、『赤毛のアン』なのか」からのもの。
出席者は猪熊葉子、中島信子、長谷川潮、上地ちづ子である。座談会では、一連の孤児物語のなかで、なぜ「アン・シリーズ」が突出して読まれているかを考察。
それは、主人公が美しい少女ではなく、身体的に平凡で、赤毛に劣等感を持ち、ときには羽目をはずした行動に出る、という読者に同一性を見出しやすい点に特徴があると評価。しかし一方で、成長後の優等生ぶりや、空想壁に現実を凌駕する力がないことについて厳しい批判をおこなっているという。

原典に当たって確かめる必要があるが、いかにも「児童文学は変革と成長の文学」という、当時のこの雑誌の論調に合致したものといえる。

>アンの空想はファンタジーでありうるのか、という点が追究されていく。

うん、まさに。

>この物語の「終着駅」が最初から見え透いていた

という上野瞭の言葉も引用。
これは『日本児童文学別冊 世界児童文学100選』(偕成社1979.12)の『赤毛のアン』の項から(と思われる)。
孤児を描きながら「孤児の時代」が描かれていないことを批判している。ピアス、カニグズバーグ、タウンゼントなどの作品と比べてのことだろう。彼らしい。
ただ、本書には索引がない。出典の書き方もあいまい。これは惜しい。

児童文学者たちの提言は、批判も含めて、いろいろな立場の人から注目され、考察されてほしいと日頃思っている。


さて、「ロマンチック」。
筆者の興味深い論考を一部ではあるが引用したい。


>「ロマンチック」とは、「ロマンティック」の和製英語的用法である。…
 日本人の使用する「ロマンチック」の意味は、日本人が作り出したものである。…
 まず第一に、日本人にとって未知の、外部の世界の文化・文物への憧憬を内包した感情である。
 しかし第二に、その外来の世界への憧憬とは、かつて「舶来」という言葉で表現された欧米先進国の文化・文物へのそれを指しアジアや中近東やアフリカのような、近代化の遅れた国の文化・文物に対するものではない…
 つまり、ロマンチックなものへの 憧れには、日本人の欧米へのコンプレックスが隠されているのである。しかしすべての欧米的な文化がロマンチックなわけではない…そこには何らかの精神的付加価値(=ブランド性)が備わっていなければならない。
 …第三の条件とは…大衆には手の届かない高貴なもの、ある種の精神性が刻印されていることになることなのである。
 

その「精神性」の本体について、小倉は島岡茂の論を引き、第四の条件として「ノスタルジア」を挙げる。

 
>ロマンチックの第四の条件は、それが人には未知のものであるように見えて、実は意識の底で「既に知っているもの」への憧憬であるであることが、ここであきらかになる。
 『赤毛のアン』には、日本人のノスタルジアが描かれているのである。それは、明治期の「日本」に「風景」として最初に入ってきた欧米の「自然」である。

ただし小倉はその自然は、アメリカのようなそれではなく、イギリスのような戦争被害を受けた「勝利者でありながら敗北者」伝統と高貴の国という要件が必要で、それが日本の敗戦国としての屈折感情や、日本において少女であるという感情図式と共鳴するのだという。
日本人であるという敗北感と、女性であることの敗北感を二重の意味で受け止め、傷を癒す表象。それこそが『赤毛のアン』のロマンチックなのだ、と小倉は説く。


>ロマンチックには、高貴さへの憧れがある。高貴さとは、高貴な身分のものの属性であり、身分制か君主制を前提にしなければロマンチックは存在しようがない。…反・民主主義的なものは二通りの形を取って現れる。君主制と身分社会性である。


いよいよ論旨が見えてくる。
筆者によれば、君主制は、ブランド物という形で女性たちに普及。そして身分社会は「結婚」という形で普及する。


>「自立」をめざす少女が不可避的にさらされる「孤独」を回収する、「結婚」という新しい衣装を身にまとった身分制。


小倉は、アンの人生の目標が結局は「結婚」にあるということを本書全体を通して批判的に論じている。それは、前記のような「結婚観」を背景にしているわけだ。


『赤毛のアン』それは、自立を阻害する「結婚」を理想化するひとつの不毛、と小倉は主張している。全体の論旨についてはともかく「ロマンチック」の語彙分析から女性論に筆を転じるこの筆致は、私にはなかなか刺激的だった。


しかし、結局のところ「児童文学」からの見解はどうなったのか。本書では「出汁」の部分だったのか…

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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