シャルル・ミュンシュは晩年、フランス政府の肝いりで創設されたパリ管弦楽団の初代音楽監督に就任した。
1967年のことである。
しかし彼は、翌68年、アメリカ・ツアーの最中に急逝する。
EMIに遺されたミュンシュ/パリ管の録音は、LP4枚。
そんないきさつもあるためか、この4枚はミュンシュの数多い録音の中で最も重要なものとして、特に日本では、認知された。
ネコパパはこのなかの「幻想交響曲」を、初めて買ったこの曲のレコードとして、曲そのものには違和感を感じながらも、大切に聴いてきた。他の演奏にない焦燥感が独特で、少なくともミュンシュという指揮者の演奏を知るには欠かせないと思ったからだ。
ところが、4枚に含まれ、「幻想」と並び称されるブラームスの第1交響曲には、どうしたわけかあまりなじみがなく、CDを買ったのも遅く、また中古店でLPを買ったのはさらに遅く、ちゃんと全曲聴いた印象が残っていない。
それが、ブロ友みっちさんの記事で話題になっている。
これは「幻想」に対するコメントからから派生した、音質をめぐる記事である。
みっちさんの言では、音質があまり良くなく「1分として聴いていられない」ほどだという。それは興味深い。ではネコパパも…と思って、聴いてみることにした。
まずはCD。TOCE59012の品番のある国内盤で、ARTリマスタリングのもの。
次はLP。エンジェル・ベスト150というシリーズに入っていたもので品番はEAC81032。
そしてストリーミング配信。
NMLに上がっていたワーナー・クラシックス発売のもの。品番は190295584603。CD広告によれば、Art&Son Studioにて24bit/96kHzリマスターを施しているとのこと。ただし、配信の音は、市販CDの音と同一とは限らない。
3つの音源は別メディアなので、音質の優劣を比較するにはなじまないが、あくまで聴こえた範囲で述べてみたい。
みっちさんの「1分として聴いていられない」との感想、まずはもっともだと思った。冒頭の序奏の混濁感と耳への圧迫感が凄い。トゥッティの強烈さに加えて、ティンパニの打撃音の強さが、全体の混濁感を倍加する。特にフレーズ最後の一打が強い。長いフレーズが終わってオーボエの一節で静まり、再び、今度は少し弱めに冒頭フレーズが繰り返されると、ティンパニは一段と強打、物々しさが強調される。
この「物々しい混濁サウンド」は、そのあとも音量が上がるたびに繰り返されるのだが、聴き進むにつれて慣れてきて、そうすると次第に演奏自体の吸引力に引き込まれていくようになる。
この「混濁サウンド」が録音のせいなのか、演奏そのものがそうなのか判断することは、ネコパパの耳には難しい。
3種類の音源は基本的には同じだが、聴きにくさは最初に聴いた国内ART盤で強く感じ、LPではアナログ再生の特性もあるのか、CDほどはうるさく感じず、演奏に集中するにはLPの方が向いていると感じた。
一方2021年配信開始されたWarner Classics音源は、音がやや細身でハイ上がり気味、僅かだが混濁感が減少して聴きやすい音に聞こえる。その分、ティンパニもやや遠めで耳元で鳴らすような直接感は少なくなっている。これは僅差だし、メディアの違いによる差とも思われるが、すっきりした一方で、LPで顕著だった演奏自体の凄まじさは少し緩和されて聴こえる。つまり、この演奏ならではの個性、あるいは凄みは、却って音の荒れ気味なEMI盤の方がよく伝わってくる…という、ちょっと厄介な話だ。
このブラームス、あまり聴いてこなかった理由は、ネコパパもまた無意識に冒頭の「混濁サウンド」に抵抗を感じて、繰り返しターンテーブルに乗せる気持ちにならなかったせいかもしれない。
同じ時期の演奏ではあるが「幻想」とは、スタイルがかなり違う。
どちらも力こぶの入った、勢いのある「熱演」なのは共通している。けれども「幻想」は、速めのテンポによるしなやかな流れがあり、ストレートかつ駿敏なのに対して、ブラームスは、遅く重々しいテンポで、積み荷を満載した大型トラックのようなイメージである。もともと大曲のイメージのあるこの曲を、太く粗い輪郭線で、ぐいと強調した演奏と聴くこともできる。それはそれでいいけれど、この指揮者の芸風からすると「幻想」がすっかり手の内に入っているのに対してブラームスは、ちょっと構えたというか、力み過ぎの感じがしなくもない。
実はネコパパ、LPを聴いたついでに、すぐ隣に並んでいたクルト・ザンデルリング指揮ドレスデン・シュターツカペレのLPも聴いてみた。日本コロムビアの廉価盤、OC7284K。中古店に行けば、格安で投げ売りされている盤だ。録音はミュンシュ盤の3年後の1971年。原盤はオイロディスク、録音は東独エテルナのエンジニア、クラウス・シュトリューベンである。
これこそはネコパパの愛聴盤。
演奏は「じっくり、緻密にしてデフォルメなし」の典型だ。
そして、この音質。ミュンシュを聴いてすぐあとに聴いて「あれ?これって、こんなに録音良かったっけ」と思ってしまった。残響は豊かだが、決して混濁せず、冒頭のティンパニは無理に強奏するわけでもないのに、力感はミュンシュに引けを取らない。部屋のガラス戸棚が振動するほどの凄い重低音が含まれ、奥行きもダイナミックレンジも幅広い。
逆に言うと、ミュンシュの録音は、かなり平坦で窮屈である。
プロデューサーのルネ・シャランと、エンジニアのポール・ババスュールは、アンドレ・クリュイタンス指揮のラヴェル管弦楽曲全集など、一連の録音で音彩豊かな好録音をたくさん残しているコンビである。それが、さて、この不調はどうしたことだろう?
ミュンシュ盤が評価された理由は、日本のファンが好むフルトヴエングラーの演奏との類似かもしれない。
全体は遅めのテンポ、そして、ここぞという個所は猛烈に煽る。顕著なのがフイナーレのコーダで、この強烈なアッチェレランドは、いかにもフルトヴェングラー的だ。
ミュンシュはかつてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務め、フルトヴェングラーの指揮下でも多く演奏した。ことによると、そのときの経験がこの演奏に影響しているのかも…
フルトヴェングラーを愛するファンは、この演奏にフルトヴェングラーの影を見出し、喝采した。そんな妄想も浮かんでくる。
ネコパパには、でも、ちょっと耳に痛い音だし、大言壮語のブラームスも、やや聞き疲れがする。
申し訳ないけれど、聴く機会は今後も少なそうである。
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コメント
前回の投稿が、削除されたのでおとなしく。
聴かせて頂いた国内盤、録音レベルが高すぎるのか特に弦楽器の高音域が潰れていました。それが演奏全体の再生に影響しているように思われます。
国内CDでは、テープの劣化・デジタル化の影響か、より強く感じられます。
1958年のボストンRCA、1962年日本フィル、1966年ONF IN TOKYOに比較すると明らかに音造りが違いますね。
追伸 1947年のフルベンは、有りませんが、フランス協会盤1951.10.27 ハンブルグ 北ドイツ放送交響楽団 (SWF8201)ならあります。
チャラン
2023/05/19 URL 編集返信履歴を辿ってみましたが、チャランさんの投稿は17日以来一度も来てないですよ。もちろん削除もしてないので、たぶん通信環境の問題で送られてないと思います。
さて、本日名曲喫茶ニーペルングに件のブラームスのLPを持ち込んでかけていただいたところ、マスターもお客様も全員一致で「これは歪んでる。よくない音だ」ということになりました。東芝盤はCDもLPも同じ音に聴こえるので、マスターの状態がこうなのだと思います。ワーナー盤はフランス・パテのオリジナルマスターテープにさかのぼっていると想像できますが、基本、同じ瑕疵が聴かれるので、もともとそういう音で録音されてしまったと推定できますね。
他の録音は1956年のボストン響の演奏が「BlueSky」にあったのでダウンロードして聴いてみましたが、テンポはずっと速く、いつものミュンシュのスタイルで、LivingStereo時代のRCA録音は見通し良く優秀です。パリ盤が12年後と考えると、録音スタッフは猛省すべきですね。
今度エピタグラフの出したフルトヴェングラーVPO、1947年のブラームス1番ですが、徳岡氏によると正規盤も協会盤もなく、日本のフルトヴェングラーセンターが特典盤として提供したフルトヴェングラーの義理の息子クンツェ氏所蔵のテープが音源のようです。
ここで聴けます。貴重ですが、音は悪い。
https://www.youtube.com/watch?v=wqWbz1l1pps
yositaka
2023/05/19 URL 編集返信私も、ART盤 TOCE-59012 を買っており、『幻想』 TOCE-59008 は残しましたが、ブラームスは手放しました。
以前に弟所有のCD ― たぶん東芝初回CDか、または仏EMI ― では、トゥッティでヒドい混濁・音割れがあった記憶があり、それに比べれば ART盤は改善された感触でした。
この音源を、迷いつつも手放した理由は、音質より演奏でした。ティンパニをところかまわず強打させ、ブログやレビューにも多いのですが、フィナーレのコーダではとくに楽譜にないところまで連打、強打の嵐でウルサイだけ、かえって興ざめしたのでした。
現・Warner盤 WPCS-23010 を求めれば、ネコパパさんが言及されているNML上のファイルに近似の音質が聴ける可能性もあります。
宇野功芳氏など評論家を始め、『リーダーズチョイス 名曲名盤100』でもダントツの高評価を受けてきている音源ながら、演奏ゆえに「1分」とまでは言わずとも、「聴きとおして感銘をうることは難しい」ものとして、手放しました。
もしこの演奏が気に入っていたら、DACやマスタリングを選んで何とか聴ける環境で鑑賞したいと思います ― すべての音源にそのようにつきあっているつもりです ― が、他にこの楽曲を楽しむにふさわしく感じる音源があればこだわる要はない、と思いました。
より古いですが、ベーム/ベルリンの DG盤(O.I.B.P.はここでは成功かな)や、デジタル期のヴァント/シカゴ響(RCA)は、熱量は高いのですが、ミュンシュ/パリ管盤のようにウルサさのみが空回りすることがないように感じます。
このころの EMI録音で、混濁だけでなく、損傷ゆえにCD化がなかなかされなかったという、カラヤンのチャイコフスキー三大交響曲(71年)もEMIの録音技術と保管体制の拙劣さの象徴のように言われますが、混濁は混濁のまま、日本Warnerのセットは、改善著しく感じました。
へうたむ
2023/05/20 URL 編集返信TOCE-59012をお持ちでしたか。みっちさんも書かれていましたが、海外盤がなかなか見当たらないこともあって、このCDは随分売れたんでしょうね。何せ私はアマゾン1円盤で買いましたから。LPの方は投げ売り100円盤です。手放す出費の方が高そうです~(笑
演奏については好みがありますので、この録音を好む人がおられてもいいでしょう。でも、繰り返し愛聴されていたかは疑問です。宇野功芳氏は高評価されていましたが、彼はブラームスそのものが低評価の人でしたし。
EMIは不可思議です。
仏パテ、英HMV、独エレクトロ―ラ、LP時代までは各社独立して製作し、録音スタッフも音の傾向も違っていたのに、ハイの歪みという同じ問題が、1960年代末期から70年代にかけて発生しています。それがCD時代になって目立つようになり、件のカラヤンのチャイコフスキー後期交響曲集などは、当初第4番を1960年頃の旧録音に差し替えてCD化されました。
この時は、さすがにネコパパもおかしいと思いましたが「レコード芸術」などで問題視されていた記憶はなく「マスターテープの不良」とかで済まされていた気がします。これは国内盤初出のLPを架蔵していますがなんともはや、という音です。
そうした記憶が積み重なって「EMIの音は悪い」という世評が形成されていったと思われます。個人的にはこれが一般論として定着するのは残念と思っています。いい録音も決して少なくないからです。
それに比べてDGGは、録音技術をまったく宣伝しない会社でしたが、定評がありましたね。ベームBPOは、LP時代は音が重暗く、今一つ馴染めなかったのですが、CDはだんだんと明瞭になってきたと思います。
yositaka
2023/05/20 URL 編集返信言われると確かに・・・私はブラームの交響曲では「第1番」が最も好きな曲で、お薦めがこのミュンシュ盤でした。
しかし、最近は第1番より、第4番、第2番を聴くことが多くなり、このミュンシュ盤は聴くことがなくなりました。名盤・名演奏だとは思いますが・・
「EMIの音は悪い」という世評・・それほど悪いとは思っていませんが・・・
カラヤン盤等での疑似ステレオの詰め込みLPの音は悪かったですが、
音にはあまり関係ないのですが、LPレコードは東芝EMI盤とDECCA等キング盤が個人的には好きでした。なぜなら「盤が奇麗でしかもホコリが付きにくかった」
それに対し静電気?のためか材質のためか・・ワルター盤などソニー盤とDG(ポリドール)番はホコリが付きやすかった・・廉価盤で盤の厚みが薄くなったからかな・・廉価盤ばかり買っていたので、これは私だけが感じることなのだろうか・・?
ベーム盤がカラヤン盤と比べると音の分離など全体的に少しさえないのは、どうしてだろう? カラヤンが音質などにうるさかったから??
HIROちゃん
2023/05/21 URL 編集返信>「EMIの音は悪い」という世評
世評とは曖昧な言葉でした。これはネット普及によって飛び交うようになった「個人の意見」の集積で、記憶ではLP時代にはあまり言われておらず、CD化で高音歪みが目立つようになった結果、広がってきた「世評」ではないかと思っています。
LP時代はよほどの装置でない限り、歪みが元来のものか、盤の状態による物理的な原因なのか、区別がつきにくかったこともあるでしょう。
>「盤が奇麗でしかもホコリが付きにくかった」
東芝が1968年ころまで川口工場で製造していた「赤盤」は、今でも保存状態がいい物が多いです。界面活性剤を含有していたせいと言われますが、どうもそれだけとは思えません。
盤質について個人的な経験では、日本コロムビアとビクターのものは「要注意」、東芝は「詰込み盤は要注意」でしたが、近頃中古LPを漁っていると「どこも似たり寄ったりだなあ」と思います。
>廉価盤の盤質
1000円盤花盛りの1970年代初頭、雑誌でも話題になってましたが、廉価盤だからといって質を落とすような「手間」は、かえってコストがかかる。多少スタンパーを酷使するくらいはあるかもしれないが、品質は通常盤と同一、と書かれていた記憶があります。
yositaka
2023/05/21 URL 編集返信みっち
2023/05/21 URL 編集返信「セカンドライフ」のあの場面は録音を考える上で、なくてはならぬ資料です。録音方式の違いに加えて、カラヤン自身の音作りもあって、ことはなかなか複雑で面白い。
>国内盤オンリーで来た方は、東芝EMIの音ばかりを聴いてきた
私はまさしくその一人です。海外盤を聴いている人に出会うのは、リアルタイムからずっと後のことで、今では聴かせてもらったり、予算内なら自分で買ったりもしますが、さて、どうでしょう。「さすがはイギリス盤は芯がある」「フランス盤は音色が違う」などと、場の雰囲気と直感で、口に出すことはあります。愉しいですからね。でもそれって真実かといわれると…
yositaka
2023/05/21 URL 編集返信順序が逆になりましたが、書き込みます。この記事に触発されて駄文ものしました。そうしましたら、みっちさんがぼくのブログに登場してくださり、冷汗三斗の思いです。
月を跨ぐかと思いますが、拙盤をダビング、お送りしてネコパパさんのご判断を仰ごうかと思っていました。今月は身動き取れません。やはり、しばらく聴く気はありませんか?
シュレーゲル雨蛙
2023/05/22 URL 編集返信記事拝読しました。
独製仏盤はジャケットデザインも初めて見るもので、あまり出回っていないかもしれません。音質についてのご感想は意外でした。
ただ、ネコパパの聴いた「混濁感」は、録音の悪さか。歪みか、演奏そのものに由来するのかは駄耳で判断がつきません。雨蛙さんの耳には歪みと聞こえない音がどんなものなのか、ぜひ知りたいところです。気長に待ちます。
みっちさんは首尾よく該当盤を入手されたようなので、そちらの報告も楽しみです。
yositaka
2023/05/23 URL 編集返信