昭和39年(1964)10月号
表紙のLPは、The Julian Bream Consort – An Evening Of Elizabethan Music「エリザベス朝音楽の夕べ」
演奏しているジュリアン・ブリーム・コンソートは4人編成で、メンバーは以下の通り。
Flute – David Sandeman
Lute – Desmond Dupré, Julian Bream
Viol – Joy Hall
Violin – Olive Zorian
収録曲目
A1 Mounsiers Almaine – William Byrd 2:12
A2 Pavin – William Byrd 2:50
A3 My Lord Of Oxenfords Maske – William Byrd 0:52
A4 The Flatt Pavin – John Johnson 2:13
A5 The Batchelars Delight – Richard Allison 3:23
A6 Kemps Jig – Anonymous 1:05
A7 Phillips Pavin – Peter Phillips* 3:35
A8 O Mistresse Mine – Thomas Morley 2:54
A9 Fantasie. La Rondinella – Thomas Morley 1:30
A10 Joyne Hands – Thomas Morley 1:20
B1 Lachrimae Pavin – John Dowland 5:40
B2 Fantasie – John Dowland 3:43
B3 De La Tromba Pavin – Richard Allison 2:43
B4 It Fell On A Summers Day – Thomas Campian*2:22
B5 Dowlands Adew – John Dowland 2:58
B6 The Frog Galliard – Thomas Morley 1:28
B7 La Rosignoll – Anonymous 1:42
B8 Tarletons Resurrection – John Dowland 1:37
B9 Galliard. Can She Excuse – John Dowland 1:08
当時RCAが力を入れていた豪華仕様の「ソリア・シリーズ」での発売で、特殊なボックス型のジャケットに11ページのブックレットが封入されていた。
次はビクターからの発売だった蘭フィリップスの広告2ページ。
1ページ目はカラーの「ミュージック・カレンダー」になっていて、
ピエール・モントゥーのポートレートとディスグラフィ。モントゥーは、前年1963年4月にロンドン交響楽団と来日公演を行い、この年、64年7月に急逝しているので、追悼の意味もあったと思われる。ブラームスの交響曲は全集録音の予定だったそうだが、第2番だけで終わってしまった。


フィリップス広告2ページ目は新譜案内。ジェラール・スゼーの「冬の旅」だけが新録音か。新譜と言っても当時は再発売が多く、カプリング替えで何度も出すパターンが多かった。
注目は、17㎝LPの「音のカタログ・フィリップス・クラシック・ガイド」を毎月の注目新譜予約者に無料配布していたことだ。
レコード店に予約者分の数を配送し、手渡ししていたと思われる。
「音のカタログ」というとネコパパはCBSソニーの『ベスト・クラシック100選』が発売された1972年7月を思い出す。500円送ると、30㎝LP盤にシリーズの聴きどころが1分程度ずつ、1枚に50曲で計2枚、ぎっしり収録されたサンプル盤が送付されてきた。
「私は1分23秒のセルの『英雄』に泣いた」という荻昌弘の宣伝文も話題になったが、まさか、その12年も前にフイリップスが同じ名称でやっていたとは。
しかも毎月1枚のペースである。
じつはネコパパ、先日大須の某店で、投げ売りされていた「フィリップス・クラシック・ガイド」を4枚入手。内容の面白さもさることながら、どんな配布方法で?と首をひねっていたところだった。これで判明。
「ガイド」の内容は後日、記事を改めて紹介したい。
続いては、お馴染みパイオニアの広告。
2ウェイ4スピーカー、3.5gの「軽針圧」、34Wの大出力、オートリターン装置。懐かしくも、突っ込みどころの多い情報が満載。東京晴海のエレクトロニクス・ショーの案内、さらに、一社提供のテレビ番組も紹介している。『これが世界だ』って、どんな番組だったんだろう。
さて、本号でメインにクリッピングされているのは、レギュラー評論家の福原信夫(1918-1988)執筆による「ヨーロッパ音楽散歩」である。
ローマ、パリ、ウィーン、ザルツブルク、ミュンヘン、ベルリン、ハンブルクと、オペラ中心に、精力的に見聞。
60年代のヨーロッパ音楽事情を展望できる記録だ。
印象に残ったところを列挙してみる。
ローマ・オペラ座の『オテロ』は、現代画家キリコの装置が人気。モダン演出のはしり?
パリ・オペラ座の『ノルマ』ではマリア・カラスが出演。キャリア最後期か。チケットがいつもの3倍に跳ね上がるとはいえ7000円。
ズービン・メータとルービンシュタインがブラームスのピアノ協奏曲第2番を共演。
ここで思い出すのが、老ピアニスト最後の協奏曲録音(1976年)もメータとのブラームス第1番だったことだ。このころから両者は、気が合っていたのかも。
フランス国立放送には4つのオーケストラがあり、日本ではすべて同じ表示なので要注意だという。これ本当だろうか。
ザルツブルクからミュンヘンへの移動はなんと、ゲルハルト・ヒュッシュの運転で。さらにヒュッシュのコネで貴賓席にてクナッパーツブッシュ指揮の『フィデリオ』を鑑賞。
福原さん、何者?
ベルリン・ドイツ・オペラの『アイーダ』も、モダン演出っぽい。ここでは途中で歌手が不調となり、延々待たされるうちに客が文句を言い始める。
ベルリン・フィルハーモニー・ホールでは音響の問題だけ一言するも、演奏者にも曲目にも全く触れないとはあんまりな。福原氏、オーケストラコンサートにはあまり関心がないのかな。このホール、記事の見出し写真になっているのに…
『フィガロの離婚』というオペラがあるとは知らなかった。内容はかなりハチャメチャらしいが、ちょいと気になる…
次は『レコード・ファン音楽談義』という連載記事の第9回。ゲストは安井 郁氏。
安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980年3月2日)は、日本の国際法学者、平和運動家であった。1954年3月1日のビキニ水爆実験による第五福竜丸被爆事件を契機に原水爆禁止運動を組織化し、水爆禁止署名運動杉並協議会議長を務めた。同年8月8日、原水爆禁止署名運動全国協議会事務局長に就任。1955年8月6日、広島で第1回原水爆禁止世界大会を開催した。-Wiki
戦争中、彼を慕って自宅に集まった学生たちと聴いたメンゲルベルクのバッハ「アリア」の思い出や、悲しみを癒したブラームスのヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリニスト佐藤陽子とのモスクワでの出会い、音楽によって人間性が回復できるような社会改善の在り方を語っていく。
「ガサガサになって手元に残る」メンゲルベルクのSP盤は安井氏に何を残したのか。味のある対談である。
最後は海外楽信。
アメリカ。タングルウッド音楽祭でのエーリッヒ・ラインスドルフがモーツァルトの「4つのオーケストラのためのノットゥルノ」で、「愉快な実験家」ぶりを披露。コロナ禍、ベルリン・フィルの無観客演奏会でもこの曲が取り上げられ、ホールのロビーに分散したメンバーが演奏する様子がTVでも放送されたが、このタングルウッドは4つのオーケストラの規模がけた違いに多い。しかも観客は約1万5千とは。
イギリス。
リヒテルがコンサートをドタキャンしたため、外交にヒビが入るのでは、と動揺したソビエト政府がロストロポーヴィチとブリトゥン(ブリテン)の共演コンサートを立ち上げる。困惑のリヒテル。
ロイヤル・フィルが国家への貢献がないとされて「ロイヤル」の称号を剥奪されそうになった事件。
現在も改名せず存続しているところを見ると、なんとか危機は回避できたようだ。それにしても、ロンドンのオーケストラで予算面で一番苦労しているのがこのオーケストラではないだろうか。駅売りワゴンセールCDの常連だった。
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コメント
広告編
フィリップスレコードの傘下にフォンタナ、マーキュリー、リバーサイドがあるのですね。で発売元が日本ビクター? まあいい演奏が聴ければいいのですけれど音楽(レコード)業界は、私には、複雑怪奇です。
突っ込みどころの多い情報が満載のパイオニアの広告 今回、真面目にアームはスタティックバランス型を採用し3.5gの軽針圧?でトレースは完ぺきです?>GE、SPUが針圧4~5 gの中、3.5gで針飛びを起こさせない当時の日本の技術レベルの歴史として評価しましようか。
周波数帯域40~16000cps FM放送は、50~15000Hz・多分SPを開発中だったのでしよう。まだスパートゥイータ・ウハーが無かったですね。
周波数のcps(サイクル…)懐かしいですね。電源周波数名古屋地区は、60サイクル、高校のJA2xxx時代は、〇Mcとログに記入していました。
対談と言わずインタビュー編
安井教授の音楽に対する飾らない素直な人格が出ていて良かったです。私も喜怒哀楽のある民族音楽が好きで自分の殻の中で楽しんでいます。教授の言われる「学問も芸術も人間を離れてありえない…人の心にアッピールする音楽の境地へ」ウーン・・・悟りが開けない。
チャラン
2023/05/17 URL 編集返信うぅーん、確かに。(笑)
そもそも『OKに依存なし!』って惹句が、意味不明です。これ、『依存』じゃなくて、『異存』なんでは?
それに『実力本意』は、『実力本位』でしょうなぁ。
昨今は一流誌でも変換ミスのような誤字は日常茶飯事ですが、この昭和のころの新聞・雑誌類は、誤字・誤植が非常に少ないんですけどねぇ。
『オープンポーラス仕上げ』はたぶんオープン ポア フィニッシュ(Open Pore Finish)のこと、要は(塗装ではなく)木目をいかしたオイルやワックス・フィニッシュのことみたいです。これ当時読者はすぐに分かったのかなぁ。
>レギュラー評論家の福原信夫…
広島出身の人のようです。ここに来日中のカラヤン夫妻と並んだ写真がありました。
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=116562
広島には会社勤めで3年ほどいたことがあります。紙屋町には立派なヤマハ日本楽器がありました。(今もありますね)オープンリールのミュージックテープが見切り大廉売になっていて、大喜びで買ったのはここです。半世紀まえですけどね。
みっち
2023/05/17 URL 編集返信>フィリップスレコードの傘下に
二重構造ですね。当時フィリップスの参加または提携関係にあったレーベルを統合していた。フォンタナはフィリップスの子会社で日本ではクラシック廉価盤レーベルでしたが、アメリカではポピュラー、ジャズで独立して活動。マーキュリーも1945年創立のアメリカの会社でしたが1961年にフイリップスに買収されています。一方リバーサイドはフィリップスとは無関係に、当時ビクターが発売権を持っていたレーベルなので、どうしてここに挙げられているのか?ちょっと不明です。
>パイオニアの広告
よくわからないながら当時としては技術レベルの高さを誇っていた印象です。97500円の強気価格も自信の表れでしょう。
>安井教授
『レコード芸術』にこんなゲストが登場するのも、時代を感じさせます。それに話に含蓄もある。近年の誌面にもゲストは登場しますが、愛聴盤の紹介とか、好きなレコードを並べて紹介するくらいで専門分野や、人生にまつわる話を引き出そうとはしないので、あまり印象に残らないのです。
yositaka
2023/05/17 URL 編集返信本文に比べると広告の誤記誤植はとても多いと思います。相手任せでノーチェックなんでしょう。それがまた、味があって面白い。
「OK」なんて、大書するほどありがたい言葉なのか、と思ってしまいますが、当時はまだインパクトがあったんでしょうねえ。言葉のカロリーはだんだんと下がるものです。
>『オープンポーラス仕上げ』
これは意味が分かりませんでしたし、1960年代にも聞いた記憶がありません。カタカナで耳慣れぬ用語を使うと有難く感じる効果を狙ったのかも。そう思ってみるとこの広告、カタカナの比率が異様に高くて、笑えます。
>福原信夫
NHKのプロデューサーを務めつつ、評論を書かれていたようで、クラシック番組への関与も深かったようです。顔が広いのもそのためでしょう。この写真は、福原氏のお母上も写っているのが微笑ましい。ロケーションがエレベーター扉の前で「食堂」の張り紙がみえます。どうしてこんな場所で?
yositaka
2023/05/17 URL 編集返信