新編集か検閲か-『チョコレート工場』俎上に。

ヤフー・ニュースより引用。

『チョコレート工場の秘密』ロアルド・ダール作品の新編集版に検閲と批判の声
2023.2/21(火) 10:45配信より引用

Forbes JAPAN
Getty Images
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『Charlie and the Chocolate Factory(チョコレート工場の秘密)』『The Witches(魔女がいっぱい)』など、作家のロアルド・ダールの人気作品が、より包括的な表現に変更された。しかし、一部の作家や評論家は、この編集を検閲の一種と呼んでいる。
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2月17日にThe Telegraphは、ダールの本の中の「何百もの」言葉が変更されたと報じた。『チョコレート工場の秘密』のオーガスタス・グループは、1964年の原作では「enormously fat(ものすごく太っている)」と表現されていたが、現在は「enormous(巨大な)」と表現されている。また、『The Twits(アッホ夫婦)』では、ツイット夫人は1980年に書かれたように「ugly and beastly(醜く、獣のような)」ではなく、単に「beastly(獣のような)」となった。

ロアルド・ダール・ストーリー・カンパニー(RDSC)は、出版社のPuffin Books(パフィン・ブックス)やInclusive Minds(インクルーシブ・マインズ)という団体と協力して「ダールのすばらしい物語とキャラクターが、今日もすべての子どもたちに楽しまれるようにする」ため「小さく、慎重に検討した」変更を行ったと語っている。
RDSCは「何年も前に書かれた本の新しい印刷物を出版する」際に「使われている言葉を見直すのは珍しいことではない」とし、ダールの物語をストリーミングコンテンツにする計画を持つNetflix(ネットフリックス)に買収される前に修正を行う決定を下したとしている。

著書『The Satanic Verses(悪魔の詩)』をめぐって襲撃された作家のサルマン・ラシュディは、ダールは「天使ではなかったが、これはばかげた検閲だ」とつぶやき、ダールの著作を編集した人々を「作品の持ち味を損ねる過敏な警察」と呼んでいるとしている。
文学と人権を専門とする団体PEN AmericaのCEOであるスザンヌ・ノッセルは「文学作品を特定の感性に適合させるための選択的編集は、危険な新兵器になりうる」として、この変更を「警戒」しており、読者に「本をそのまま受け取り反応する能力を認めず、我々は偉大な作家の作品を歪め、文学が社会に対して提供する不可欠なレンズに曇りを与える危険がある」と述べている。
英国のリシ・スナク首相は、2月20日に「我々は言葉尻をとらえるべきではない」と、ダールの物語でしばしば使われる作りものの言葉を用いながら「文学作品やフィクション作品を保存し、エアブラシで消したりしないことが重要であると思う」と述べた。

「私たちの指針はストーリーライン、キャラクターそして原作の不遜さと鋭いエッジの精神を維持することでした」とRDSCは述べている。(以下略)
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■新編集か、検閲か

「チョコレート工場の秘密」(1964)は、日本でも田村隆一訳で評論社から出版されていて、ロングセラーになっている。
ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で映画化(2005)もされているので、そちらで知っている人も多いかもしれない。
それが、今年になって、「何百か所」も書き換えられた「新編集版」が出版されたという。
記事のいう「包括的な表現」というのはわかりにくいが、語例を見ると「現代の価値観では差しさわりのある」表現を、ごく一般的で無難な言葉に置き換えた、ということになるのだろうか。

著者本人は1990年に死去しているので、この変更は、本人のあずかり知らぬところで行われている。
文学研究の観点から見ると、噴飯ものというしかない「テクスト改竄」ということになる。けれど、先ごろ受講した国際子ども図書館の連続講義から考えても、「現在の価値観に鑑みての改訂・あるいは絶版」の潮流は、内外問わず、押しとどめられなくなってきているような現状がある。

例の「コンプラ問題」も、その一つの現れかもしれない。

そこで気になるのが、『チョコレート工場…』日本語版のこれからだ。
現行版は当然、オリジナルのテクストからの全訳だが、将来的には、これも新版に合わせて「新編集」されるのことになるのだろうか。
アメリカではワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズも差別含みという理由で問題になっているという。
しかし日本では、話題になることもなく、そのままのかたちで訳書が発行されて続けている。その他、多くの翻訳作品も、確認はしていないが、同様のはずだ。これが問題化した場合、出版社は、図書館員は、子どもの本にかかわる活動をしている人々は、研究者は、どのように対応し、発言するのだろう。
ネコパパは、今のところ「テクスト絶対主義」。ただし、サポートは必要、という立場なのだが…

まずはロアルド・ダールの翻訳を多く出している評論社の、今後の対応を注視したい。

あと、もう一つ気づいたことがある。
この記事には、日本でこのような問題が生じた場合、決まり文句のように使われる、「ある言葉」が見当たらない。
「子どものため」に類する表現だ。
子どもの本、児童文学、子ども向けメディアに、何らかの異議申し立てが生じた場合、まず真っ先に出てくるのがこれだ。「子どもにとって有害」「教育上望ましくない」「子どもの将来が心配」
つまり「子どものため」を金科玉条とする視点である。
それが、ない。

記事を掲載した『Forbes』は書評誌でも、文芸誌でもない。アメリカ合衆国で発行されている、経済雑誌だ。それでも、こうした問題を「教育問題」にすり替えず「自分たちの問題」「文学の問題」とする、潔い見識を持っていると感じられる。小さな違いのようだが、決して無視できないことだと思う。





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コメント

コメント(4)
後だしじゃんけん
 こういうの後だしじゃんけんとぼくは呼んでいます。政治的に正しいおとぎ話とかいう本をデーブ・スペクター氏が出してましたが、いつの政治かというと、そのおとぎ話(昔話)が流布してからずっと後になってからのいまここからの後だしじゃんけんです。
 戦時中の日本で、源氏物語は不敬文学であるとレッテル貼りされ、谷崎訳源氏が出版できる環境でなくなっていたりしたのとよく似た現象かなと。いつもこんな感じ。
 しかしいま一番気になっているのは、そういう文学作品をめぐる後だしじゃんけんじたいが、まもなく教育現場では懐かしい事件になるのではないか、ということです。
 少し前に、新聞に小学校の全国統一の学力テストの国語と数字との問題が載っていましたが、国語の問題に文学作品が全くなかったです。なんだか就職試験対策みたいな問題ばかり。ぼくはこんな時代に生徒、児童でなくて良かった、教師でなくて良かった、と安堵していますが、目の前の学生がかわいそうで
もあり。これで将来、国語が嫌いになる子どもが増えるだろうな。
 というわけで、文学作品への後だしじゃんけんを批判できるいまここの時代までが、まもなく古き良き時代となるかもです。桑原桑原。

シュレーゲル雨蛙

2023/05/14 URL 編集返信

yositaka
Re:後だしじゃんけん
シュレーゲル雨蛙さん

先の先の心配。
でも実際、目の前に迫ってきているのかもしれませんね。文学の危機。「後出しじゃんけん」議論が古き良き時代として回顧されるなんて、考えただけでもぞっとします。
やだやだ。

>国語の問題に文学作品が全くなかった

そうそう、忘れていましたが、そのことも、気になってはいたんです。
ただ、もともと、文学作品というものが入学試験に馴染むものなのかどうか、出会うのは別の場所であってほしいという気持ちもあるんです。
テストには出なくても、ちっとは授業で扱ってほしいな。とはいえ、これも単純には言えない。
もともと小説は「隠れて読む」ものだったし。本当にいいものは教科書では読めない。ただ、隠れて読むにしても、そもそも、そういう世界があることを知らなくては、入口も探せない。
願わくばどの学校にも、必ず一定数入るはずの本好きの子どもたちに、その入り口を示唆する「悪い教員」がいてほしい。未来のために種をまくためにも、学生さんへのご指導、ひとつよろしくお願いします。

yositaka

2023/05/14 URL 編集返信

Re:Re:後だしじゃんけん
後だしじゃんけんは、まことにそのとおりですね。ネブカドネザル王を反ユダヤ主義で非難するのは流石にいまさらでしょう。(笑)しかし英国では、本気で植民地時代の偉人の顕彰を見直しているようですな。ロアルド・ダールはそういえば、公然たる反ユダヤ主義者でしたね。

日本の場合は、児童文学であってもオリジナル・テキストを尊重しているのでしょうか。
英米の場合は、出版社による細かな変更は日常茶飯事のようです。みっちの好きなフィリップ・プルマンのベストセラー、ライラ・シリーズでもテキストの異同があります。そもそも題名だって変更してます。意外だったのは、「運動靴」をtrainers(英)からsneakers(米)に変えちゃっていること、こんなの英米人には先刻承知だろうに、やるもんです。むろん著者の了解は取っているんでしょうが。

みっち

2023/05/15 URL 編集返信

Re:Re:Re:後だしじゃんけん
みっちさん

ネブカドネザル王といえば、ヴェルディのオペラ『ナブッコ』のタイトルロールがまさにその人だということを最近知りました。なるほど、反ユダヤ主義者ですか。紀元前の話です。でも20世紀の人ダールも確かそうでしたね。
今手元にすっと出なくて恐縮なんですが、ダールは生前、批判にこたえて自分自身で改訂しており、それが評論社の新版「ロアルド・ダール・コレクション」版(2005年)に反映している可能性はあります。たたそれは著者自身によるもので今回の「数百か所」とは意味が違うと私は思っています。3つの版の比較研究が今後なされると面白いです。

>日本の場合は、児童文学であってもオリジナル・テキストを尊重しているのでしょうか。

出版社によってまちまちです。戦後「完訳の重要性」が児童文学関や読書運動の関係者から提言され、それを受けて、それまでの「勝手な抄訳・翻案」の横行する状況が徐々に改善され、信頼性の高い全訳が増えてきました。評論社、理論社、福音館、冨山房など児童図書を専門に扱う出版社や岩波書店などは全訳主義をとることが多く、小学館、講談社などの大手はかなり鷹揚です。
ただ、そうした機運も、原著自体の改訂という予測されざる事態を前に、今後どうなっていくかは、かなり未知数です。

yositaka

2023/05/15 URL 編集返信

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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