豊明市立図書館自主企画
2023年第4回 4月8日(土)午前10時~12時 (毎月第2土曜日開催)
今月のテーマオペラの世界③ビゼー
< フランス・オペラ名曲集 >
■フランス・オペラについて
フランス・バロック・オペラの歴史を作った作曲家として、まずあがるのは、リュリとラモー。彼らの活躍は17世紀前半です。他の地域のバロックオペラ同様、古代ギリシャの神話や叙事詩を題材にしたオペラで、クラブサンやリュートなどの簡単な伴奏に合わせて、語るように、あるいは歌うように進む音楽劇でした。プロローグと呼ばれる長い序幕が最初にあり、踊りまで入っていることが多いのは、踊り好きのフランスの特徴でしょう。
長い間オペラの主流はイタリアでしたが、フランスでは、比較的早い時期に、自国語のオペラを作っています。それは、ラテン語から独自の発展を遂げたフランス人のプライドが影響しているのかもしれません。
19世紀に入り、ナポレオンの帝政時代からフランス革命を経て、王侯貴族の力は弱まり、富裕な市民階級が台頭。
彼らが好んだのが「グランドオペラ」です。フランス語上演で、イタリアの作曲家でもフランスからの依頼であればフランス語で作っています。グランドオペラの基本的な形式は、5幕まであり、バレエが入り、合唱は大人数で、舞台は凝った仕掛けやセットがくみこまれるという、当時としては絢爛たるものでした。代表粋な作曲家には、オーベールやマイヤーベアがいました。
当時、パリには、パリ・オペラ座、イタリア座、オペラ・コミック座があり、パリオペラ座はグランドオペラ、イタリア座は伝統的なイタリアオペラ、オペラ・コミック座はセリフ入りの軽めのオペラや音楽劇とレパートリーを分けていました。
グランドオペラは、19世紀に半ばに全盛となり、やがて衰退していきます。人々の人気は、オッフェンバックに代表されるオペレッタや、ロマン派オペラへと移っていきました。
サン=サーンスの「サムソンとデリラ」ビゼーの「カルメン」などがそれです。マスネも登場してオペラ「タイース」や「ウェルテル」を作曲します。グランド・オペラの風味は残しつつ、重点は音楽の内容、ストーリーの文学性に移されます。
ロマン派代表と言えばやはりグノーでしょう。代表作「ファウスト」の初演は1859年ですが、前年の1858年からオッフェンバックが「天国と地獄」を大流行させています。オペレッタ流行の始まりです。
19世紀の終わりから20世紀初頭には、近代音楽、印象派と呼ばれる作曲家たちが登場します。代表はドビュッシー。代表作は「ペレアスとメリザンド」。ラヴェルの「子供と魔法」など。切れ目なく続く言葉と音楽の一体化は、オペラの概念を大きく変化させました。
1 《真珠採り》「耳に残るは君の歌声」 (ビゼー) エンリコ・カルーソー Ⓡ1916
フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーのオペラ「真珠採り」は1863年にパリで初演されました。
その第1幕で歌われるテノールのアリア「ナディールのロマンス(耳に残るは君の歌声)」はオペラ歌手の面々のみならず、ティノ・ロッシなども歌っています。
漁夫の ナディールは、ヴェールで顔を覆って現れた巫女が、かつて恋した女性、レイラであることに気づき、彼女への想いを歌います。
ヤシの木陰に身を潜め、
僕には今なお聞こえるようだ、
モリバトのさえずりのような
優しくてよく響く彼女の声が…
2 《サムソンとデリラ》「あなたの声に私の心は開く」(サン=サーンス)
マリア・カラス (ソプラノ)フランス国立管弦楽団 ジョルジュ・プレートル (指揮)Ⓡ1961
サン・サーンスの代表作であるオペラ『サムソンとデリラ』からの一曲。1874年に完成。
当初は、旧約聖書を題材に取った内容ということで酷評され、オペラ座での上演も拒否されたそうです。
サムソンというのは、中東のガザ地区で生活していたヘブライ人で、並外れた怪力の持ち主です。当時、ガザ地区はペリシテ人によって支配されていました。サムソンの怪力を持て余したペリシテ人たちが、美女デリラに頼んで、サムソンの弱点を聞き出そうとします。これは、サムソンを誘惑する時のアリアです。
甘く誘う旋律に酔わされたサムソンは、ついに自分の弱点(髪の毛を切られると力を失うこと)をデリラに話してしまいます。
私の心はあなたの声に開かれます 花が開くように
夜明けのくちづけで!
けれど、おお愛する人よ 私の涙を乾かすには
あなたの声をもう一度聞かせてください!
告げてください あなたが永遠にデリラのもとに戻ってきたと!
3 《ファウスト》「この清らかな住まい」(グノー) ルチアーノ・パヴァロッティ (テノール) ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団 レオーネ・マギエラ (指揮) Ⓡ1972
『ファウスト』は、シャルル・グノー(1818年-1893年)によって1859年に完成させたオペラ。題材には、ドイツの文豪ゲーテの劇詩『ファウスト』第1部が使われています。全部で5幕からなる大作で、名曲が散りばめられており、コンサートで単独で使われるアリアがいくつも登場します。
ちなみに日本で最初に上演されたオペラは、このグノーの『ファウスト』だと言われています。
第3幕でファウストはヒロイン、マルグリートの庭にあらわれ、「この清らかな住まいよ。ここに無垢で聖なる魂が宿る!」とマルグリートの生活の様子を歌います。
挨拶しよう!慎ましく清らかな家よ ここは
無垢で聖なる魂が住むところなのだ!.
何という富がこの貧しさの中に!
この粗末な家には何という至福が!
おお自然よ 彼女をあんなにも美しく育てたお前よ
ここであの子はお前の翼の下 大きくなったのだ
お前の見守る中で眠ったのだ!
4 タイスの瞑想曲(マスネー)
マイケル・レヴィン(ヴァイオリン) フェリックス・スラットキン指揮 ハリウッドボウル交響楽団 Ⓡ1960
ジュール・マスネが作曲した歌劇『タイス』(1894年3月16日ガルニエ宮で初演)の間奏曲。甘美なメロディーによって広く知られています。日本における演奏(録音)のもっとも早い例として、1935年に15歳の諏訪根自子がSPレコード(コロムビアレコード)で録音を残しています。
修道僧アタナエルは、美貌の快楽主義の高級娼婦でヴィーナスの巫女の、タイスに、享楽的な生活から離れ、神の救いを見出すよう説得する。 出会いの後、タイスの迷いを暗示するように「瞑想曲」が管弦楽によって演奏される…
5 《ペレアスとメリザンド》 第4幕より (ドビュッシー) コレット・アリオ=リュガ(ソプラノ) ディデイエール・アンリ(バリトン)モントリオール交響楽団 シャルル・デュトワ(指揮)Ⓡ1990
抒情劇『ペレアスとメリザンド』』は、1901年、クロード・ドビュッシーが完成させた唯一のオペラ。
台本には、象徴派の詩人モーリス・メーテルリンクの同名の戯曲が、ほぼそのままの形で用いられています。フランス語の抑揚の変化がそのままピッチとリズムの変化に置き換えられているため、歌うというより語るような旋律となっており、伝統的な意味での旋律的な要素のない、20世紀のはじまりを告げる革新的な作品になりました。
1902年4月30日にパリのオペラ=コミック座でアンドレ・メサジェの指揮により初演。
日本初演は1958年(昭和33年)11月28日、東京・産経ホールにおいて古沢淑子ほかのソロ、ジャック・ジャンセンの演出、ジャン・フルネ指揮日本フィルハーモニー交響楽団によって行われました。
王太子ゴローの弟ペレアスと王太子妃メリザンドによる、禁断の恋の物語。第4幕は夜の湖。メリザンドのささやきに答えて、ペレアスが、メリザンドに愛の告白をする。
あなたの声が、春の海をはるばる渡ってきたようです。
今日まで一度も聞かなかった。
まるで雨が私の心臓に降りかかったかのようだ。
■蓄音機で聴くクラシック■
6 《ホフマン物語》~ホフマンの舟歌 (オッフェンバック)
エマ・ルアート(ソプラノ) ジェルメーヌ・セルネイ(メゾ・ソプラノ) ギュスターヴ・クロエ指揮 管弦楽団 Ⓡ1930
『ホフマンの舟歌』は、1881年初演のオペラ「ホフマン物語」第4幕で歌われる劇中歌。原曲のタイトルは、「美しい夜、おお恋の夜」。水の都ヴェネツィアの場面で歌われ、単に「舟歌」を意味する「the Barcarolle」の曲名でも知られています。
ホフマンはかつて3人の女性に恋し、そのすべてに破れてきた。ある日酒場で、ホフマンはその悲しい過去の恋愛話(失恋話)をとうとうと語りだした。心配した女神ミューズはホフマンの親友ニクラウスの姿に変身。いつもミューズがホフマンを陰で見守っていたのだ。『ホフマンの舟歌』が登場するのは、3人目の女性ジュリエッタが登場するヴェネツィアのシーン(第4幕)。ジュリエッタと、ニクラウスに化けた女神ミューズとのデュエットで歌われる。
美しい夜、おお恋の夜
喜びに微笑む
またとない甘き時間
おお美しき恋の夜よ!
過ぎ行く時は 戻ることなく
慈愛の情も遠く運び去る
時は過ぎ行く 戻ることなし
そよ風が優しく包む
そっと口づけを残して
< 映像で楽しむ、カルロス・クライバーの「カルメン」>
歌劇「カルメン」ハイライト(ビゼー)
―前奏曲「ハバネラ」「ジプシーの歌」「闘牛士の歌」「花の歌」フィナーレ―
カルメン:エレーナ・オブラスツォワ
ドン・ホセ:プラシド・ドミンゴ
エスカミーリョ:ユーリ・マズロク
ミカエラ:イゾベル・ブキャナン 他
指揮:カルロス・クライバー
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
演出:フランコ・ゼッフィレッリ
収録:1978年12月9日 ウィーン国立歌劇場
歌劇「カルメン」は、1875年3月3日、パリのオペラ=コミック座で初演。はじめは不評でした。しかしその後の客入りと評判は悪くなく、ビゼーのもとには『カルメン』のウィーン公演と、グランド・オペラ版への改作が依頼されました。快諾したビゼーでしたが、持病の慢性扁桃炎による体調不良から静養中の6月4日、心臓発作を起こして急死してしまいます。友人エルネスト・ギローが改作を引き継いだグランド・オペラ版は、ウィーン上演にこぎつけ、それ以降フランス・オペラの代表作として世界的な人気作品となって現在に至ります。
日本でも浅草オペラの演目として上演され、戦後は藤原歌劇団が数多く上演。二期会でも川崎静子が大きな当たり役とし、今日もなお日本国内でもっともポピュラーなオペラとして親しまれています。
第1幕
1820年ごろのセビリヤ。昼休みに広場に現れたタバコ工場の女工たちに、男たちが言い寄るが、カルメンは、女工たちに興味を示さない衛兵の伍長ドン・ホセに花を投げつけ、気を引こうとする。ホセの婚約者ミカエラがホセに故郷の母親からの便りを届ける。
カルメンはその直後けんか騒ぎを起こし、牢に送られることになった。護送を命じられたドン・ホセは、カルメンに誘惑されて彼女を逃がす。
第2幕
カルメンを逃がした罪で牢に入れられていたホセが、釈放される。カルメンが、衛兵隊長スニガと酒場で歌い踊っていると、花形闘牛士エスカミーリョが現れ、カルメンの気を引く。
ホセが酒場に着くと、カルメンは密輸団の仲間になるよう誘う。カルメンの色香に迷ったドン・ホセは、密輸をするジプシーの群れに身を投じる。
第3幕
ジプシーの女たちがカードで占いをする。カルメンが占いをすると、不吉な占いが出て結末を暗示する。密輸の見張りをするドン・ホセを、婚約者ミカエラが説得しに来る。闘牛士エスカミーリョもやってきて、ドン・ホセと決闘になりかける。カルメンの心をつなぎとめようとするドン・ホセだが、カルメンの心は完全に離れていた。ミカエラから母の危篤を聞き、ドン・ホセは盗賊団を去る。
第4幕
エスカミーリョとカルメンが闘牛場の前に現れる。エスカミーリョが闘牛場に入ったあと、一人でいるカルメンの前にドン・ホセが現れ、復縁しなければ殺すと脅す。ホセの執拗さにカルメンは業を煮やし、彼からもらった指輪を投げつける。逆上したドン・ホセがカルメンを刺し殺し、その場で呆然と立ちつくす。
さて、次回は…
- 関連記事
-
スポンサーサイト
コメント
今回は、オペラに慣れてきたというか残響の少ない視聴覚室が良いのか歌声が明瞭に透き通って聴こえました。これは華麗な宮廷音楽を思わせるフランス音楽の特徴かなと思います。 (フランス盤愛好家の戯言です。)
映像のカルメン歌と伴奏が一体となって迫力がありましたね。オペラは、譜面通りの伴奏だけを聴いても盛り上がらない役者(歌手)の動きに合わせないとね。
このオペラは、舞台エキスラ・オケピットに何人いるの、衣装・大掛かりな幕毎の転換???チケットは、いくらなんでしょうね。ドレスコードをしてこない貧乏人は来るなということですかね。
映像に上からの目線の撮影は(訂正)女性歌手がマッチョになりジャケットの写真が修整したと思える、音響効果を上げるためか低域を不必要に上げ、拍手を長々と写す…歌や演奏は、Aクラスなのに映像・録音編集は、Cクラスですね。
お貸ししたレコード発泡スチロールに挟み大切に扱って頂きありがとうございます。
無事に帰宅しました。
チャラン
2023/04/08 URL 編集返信家内から「カルメン」は,オブラスソォワでカラスは、体型を気にしていた。
「ホセ」の3大テノールのドミンゴは、若いですねと言われました。
クライバーの指揮:舞台に合わせオケを絶妙に指揮していましたね。
映像に違和感を感じたのは、映写スクリーンが、ワイドでなかったせいかなとYOU TUBEの画像を見て感じました。家内も全然違うと言ってます。
チャラン
2023/04/09 URL 編集返信オブラスツォワは2015年になくなられていますが、この公演の時点で39歳でした。現在はビジュアル重視で歌手も容姿があってないとなかなか起用されないようですが、この頃は歌唱力重視で、見た目を問題にする人はいなかったでしょう。そうなるとオペラの世界では現代の方がある意味サステナブル面で問題があるのかもしれません。
>役者(歌手)の動きに合わせないとね。
カルロスは歌手の動きに合わせるどころか、歌手がついてこれなくても自分のテンポで疾走していたと思います。
「ジプシーの歌」では、歌も動きも遅れてきて、大変なことになっていましたが、それが並々ならぬ緊張感を生み出していました。こんなに指揮者が主役のオペラ上演というのも珍しく、面白いと思います。
オペラ劇場はコンサートホールと違って、残響は少なめです。このDVDの公演のあったウィーン国立歌劇場も響きはデッドでした。そのせいか、オーケストラも歌も明瞭でしたね。ウィーン・フィルは残響の長い方と短い方、両者を日常的に体感しているので、海外公演でもそこの会場に合わせて音が出せるのではないかと思います。NHKホールでもいい音が出せたのは、そのあたりが理由ではないかと思います。
仏オデオン盤はいい音で録音されていました。割れたら大変と思って慎重に取り扱いました。何しろ93年前の盤です。
ヒビは裏面までは達していないので、当分は大丈夫だと思います。
yositaka
2023/04/09 URL 編集返信